真実の言動録~タイムトラベラー、始動する。

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宮沢賢治は超人である

2009年10月07日 05時44分38秒 | 文学
 みなさんは賢治を、どのように捉えているでしょう。恐らく大半の人が素性を知らず、日本人であれば僅かな作品から、特異なメッセージを受け取っており、それを言葉にするのは難しいけれど、途方もない大きさを感じているものと推察します。

 この魅力に惹かれた方は、少なからずの作品を見たことでしょう。そこで待ち受けていたのは、圧倒的な質量ではないでしょうか。といっても自分の小ささを恥じ入るのでなく、確かな親しみを味わいつつも、遠くて手が届かない、言わば銀河のような。それでいて得体の知れない淋しさを秘めている。

 そんな賢治に少しでも近づけたら、素敵だと思いませんか。幸いにも手立ては遺されています。書物は一方的でも、時空を超えれるタイムマシーンです。ここで設定する年代は、1922年。二十五歳の宮沢賢治は、岩手県立花巻農学校の教師になって間もない頃です。若き天才は詩の制作を始めました。


                         屈折率

                    七つ森のこつちのひとつが
                    水の中よりもつと明るく
                    そしてたいへん巨きいのに
                    わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
                    このでこぼこの雪をふみ
                    向ふの縮れた亜鉛の雲へ
                    陰気な郵便脚夫のやうに
                      (またアラツデイン 洋燈とり)
                    急がなければならないのか


 これは後に刊行された詩集の冒頭に収められていることからも、決して見逃せない作品です。私は理解できませんでしたが、どういう訳か丸暗記しました。そうしているうちに、少しずつでも見えて来たのです。そして十年越しの昨夜、ようやく解明できたという気持ちになりました。

 イキナリ問題になるのが、「七つ森」です。ちなみに天沢退二郎という解説者は、「小岩井農場南方、田沢湖線の線路と秋田街道の間に、ぽこぽこと群れている七つばかりのかわいらしい円丘」としています。仮にそうだとすれば、矛盾が生じるのではないでしょうか。

 三行目までは明瞭に、素晴らしい場所を示していると言えます。これに対して四、五行目は「でこぼこ」を繰り返したわけですから、悲惨な場所になるでしょう。そして賢治は後者を選択しました。ところが遠方へ引越した事実はありません。

 もちろん天沢氏は単純な場所でなく、境遇の違いと解釈したのでしょう。賢治の実家は裕福な質屋でした。家業を継がず、安月給でも生徒に尽くすことを選んだ決断。悪くない考察ですが、もしそうなら違う言葉が使われたのではないでしょうか。

 二行目にしろ、三行目にしろ、最上級とも取れる形容です。賢治は貧しい人から利益を上げる商売を嫌いました。実際に羅須地人協会などで、旺盛なボランティア精神を発揮したのです。少なくとも質屋に未練がなかったのは確かなことでしょう。

 それにしても不可解な点があります。三行目までと四、五行目は、明らかな対比であるにもかかわらず、いずれも現在地を指す語が用いられているのです。初めが「こっち」、次が「この」、これはどういうことでしょうか。天才といえどもケアレスミスを犯したのか、それとも……、気になりますが差し当たり保留することにします。

 ただし六行目では「向こうの」という完全な場面転換があるので、単なるミス説はなさそうです。そして「縮れた亜鉛の雲」とは、賢治が目指すところでしょうから、主旨を伝える相手、つまり生徒、ひいては貧しい農家の人達になると思います。

 具体的に言うと、「縮れた」は戦争が始まったら借り出されるかも知れないと怯え委縮した状況。「亜鉛の雲」は空でも低い位置にある灰色の雲、これは実情を教える難しさを喩えたのではないでしょうか。「陰気な郵便脚夫」は恐ろしい真実を知るが故に笑えず、それでも伝達者としての道を行かんとする賢治そのものでしょう。

 そして「アラツデイン」ですが、これだけは幾ら調べても分かりませんでした。主要言語の辞書に載っていないのです。賢治は「Vegetarian」を「ビジテリアン」と記していますから、スペルは想像できる範囲で当たりました。少数派の言語は賢治も知らなかったでしょうし。

 それでもないということは、固有名詞としか考えられません。そこへ来て、問題の行はカッコ書きなのです。これは絶大なヒントになります。要するに前行の補足であり、それは賢治自身にほかなりませんから、「アラツデイン」は賢治の別称ではないかと。

 ここで棚上げにした「七つ森」を考えます。カッバーラなら、神々が住むところです。しかも妙な指示語、瞬間移動でもしたなら納得できます。こういう『屈折率』は、決意表明なのです。これらに加えて、図抜けた理知を踏まえると、賢治は人間離れしすぎています。

 本人は謙虚に修羅と言っていますが、間違っても人の下に納まる器じゃありません。修羅とは、仏教が世界を六つに分けた内の一つであり、上から並べると、天上、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄の順になります。そもそも宗教は異星人の教えなのです。数ある教義の違いは、後世の権力者が歪めたにすぎません。

 ですからユダヤ教も、イスラム教も、キリスト教も、仏教も、元をたどれば同じです。ただ広められた場所と時間が異なるために、複数あるだけの話です。信じられない方には、太陽系の歴史全般を真面目に探索することをお勧めします。

 参考までにプラズマで構成される異星人のヤハウェは、イエス・キリストと呼ばれる人の形になって降臨しました。だからこそ処女から生まれたとか、年端も行かない時分に司教を論破したとか、とんでもない逸話があるわけです。

 以上から、賢治は異星人もしくは異次元の生命体が、人の格好で現れた存在だと考えられます。

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1 コメント

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Unknown (ぼちゃまっそー)
2009-12-01 19:27:20
アラツデインは、アラビアンナイトの主人公であるアラジンのことですよ。

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