真実の言動録~タイムトラベラー、始動する。

タイムトラベルで明かした闇の歴史・本物の歴史・真実の歴史を暴露しつつ、陰謀を仕掛ける世界権力に立ち向かう!

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忘れられない春一番

2010年04月08日 16時22分18秒 | 文学
 二年ほど前の出来事です。

 寒からず暑からず、陽気に満ちた名古屋市街は、日曜ということもあってか、大勢の人で溢れていました。そんな中で用事を済ませた私は、次の目的地に向かうべく駅へ、といっても時間に余裕はあったものですから、散歩の趣が多少なりとも含まれていたことを記憶しています。

 そういう私の前を、見知らぬ母子が歩いて居ました。買い物をしたであろう手荷物や、夕暮れが迫りつつあった時間帯を考えると、帰宅途中だったのかも知れません。その少女はA4判くらいの絵を持っていました。額に納められたものでなく、景品のようなもので、風に吹かれ、ひらひらしていたのです。

 母親は飛ばされる事態を懸念し、注意するよう言い聞かせましたが、少女は手に感じる風の力を無邪気に楽しんでいる様子でした。こんなふうですから絵は相変わらず、ひらひらを続けるばかり。文字通り母親の忠告は、何処吹く風と聞き流されていたのでしょう。

 そこへ疾風が駆け抜けます。挑戦的な握力は、たちどころに限界を迎え、絵は少女の元を離れました。そして数メートル後方に居た私の前を横切ったのです。咄嗟の出来事に私は動けませんでした。

 少女は慌てて追い掛けましたが、差は開く一方でしたから、母親は諦めるよう諭さざるを得ませんでした。側に父親が居たなら追ったでしょうが、こういう時にハイヒールを履いた女性は無力なものです。さすがの少女も無理を承知したと見えて、前を向き歩き始めました。

 この光景を間近で見た私は、絵を、問題の絵を、追おうと思いましたが、同時に躊躇もしました。失敗したら恰好悪いとか、成功したとしても風に煽られたわけだから傷ついているだろうとか、余計な考えを巡らせた挙句に、結局、何もしませんでした。

 最初に少女の母親がした忠告を私自身が真剣に聞いていたなら、絵が前を横切った時に対処できたであろうものを。一時といえども親子の笑顔が、永遠に失われました。たった一枚の絵に過ぎませんが、私は未だに恥ずかしくてなりません。
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銀河鉄道の切符を持っていますか

2009年10月09日 21時55分41秒 | 文学
 それにしても賢治が、アラツデインと名乗る謎の生命体だとすれば、今も何処かで生きている可能性が大いにあります。ちなみに天使は不死身らしいですよ。何せ限界のある肉体でなく、プラズマで構成されているわけですから、相当なものでしょう。少なくとも千年やそこらで死にそうにありません。

 アラツデインが天使かどうかは分かりませんが、徳の高さを考えると相応であろうことは推測できます。かつて地上で暮らしたエノクは人間でありながらも、義を認められ天使になりました。こうなると『銀河鉄道の夜』は、俄然、信憑性を帯びます。ジョバンニとカムパネルラが行った星巡りの旅です。

 まだの方も、覚えていない方も、できれば見て下さい。そこには本質が在ると確信します。カムパネルラは、友達を助けるべく川へ飛び込みました。ジョバンニは涙ぐましいほど優しい子です。そういう彼は、天上まで行ける切符を持っていました。私の夢は賢治の生徒になることです。
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宮沢賢治は超人である

2009年10月07日 05時44分38秒 | 文学
 みなさんは賢治を、どのように捉えているでしょう。恐らく大半の人が素性を知らず、日本人であれば僅かな作品から、特異なメッセージを受け取っており、それを言葉にするのは難しいけれど、途方もない大きさを感じているものと推察します。

 この魅力に惹かれた方は、少なからずの作品を見たことでしょう。そこで待ち受けていたのは、圧倒的な質量ではないでしょうか。といっても自分の小ささを恥じ入るのでなく、確かな親しみを味わいつつも、遠くて手が届かない、言わば銀河のような。それでいて得体の知れない淋しさを秘めている。

 そんな賢治に少しでも近づけたら、素敵だと思いませんか。幸いにも手立ては遺されています。書物は一方的でも、時空を超えれるタイムマシーンです。ここで設定する年代は、1922年。二十五歳の宮沢賢治は、岩手県立花巻農学校の教師になって間もない頃です。若き天才は詩の制作を始めました。


                         屈折率

                    七つ森のこつちのひとつが
                    水の中よりもつと明るく
                    そしてたいへん巨きいのに
                    わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
                    このでこぼこの雪をふみ
                    向ふの縮れた亜鉛の雲へ
                    陰気な郵便脚夫のやうに
                      (またアラツデイン 洋燈とり)
                    急がなければならないのか


 これは後に刊行された詩集の冒頭に収められていることからも、決して見逃せない作品です。私は理解できませんでしたが、どういう訳か丸暗記しました。そうしているうちに、少しずつでも見えて来たのです。そして十年越しの昨夜、ようやく解明できたという気持ちになりました。

 イキナリ問題になるのが、「七つ森」です。ちなみに天沢退二郎という解説者は、「小岩井農場南方、田沢湖線の線路と秋田街道の間に、ぽこぽこと群れている七つばかりのかわいらしい円丘」としています。仮にそうだとすれば、矛盾が生じるのではないでしょうか。

 三行目までは明瞭に、素晴らしい場所を示していると言えます。これに対して四、五行目は「でこぼこ」を繰り返したわけですから、悲惨な場所になるでしょう。そして賢治は後者を選択しました。ところが遠方へ引越した事実はありません。

 もちろん天沢氏は単純な場所でなく、境遇の違いと解釈したのでしょう。賢治の実家は裕福な質屋でした。家業を継がず、安月給でも生徒に尽くすことを選んだ決断。悪くない考察ですが、もしそうなら違う言葉が使われたのではないでしょうか。

 二行目にしろ、三行目にしろ、最上級とも取れる形容です。賢治は貧しい人から利益を上げる商売を嫌いました。実際に羅須地人協会などで、旺盛なボランティア精神を発揮したのです。少なくとも質屋に未練がなかったのは確かなことでしょう。

 それにしても不可解な点があります。三行目までと四、五行目は、明らかな対比であるにもかかわらず、いずれも現在地を指す語が用いられているのです。初めが「こっち」、次が「この」、これはどういうことでしょうか。天才といえどもケアレスミスを犯したのか、それとも……、気になりますが差し当たり保留することにします。

 ただし六行目では「向こうの」という完全な場面転換があるので、単なるミス説はなさそうです。そして「縮れた亜鉛の雲」とは、賢治が目指すところでしょうから、主旨を伝える相手、つまり生徒、ひいては貧しい農家の人達になると思います。

 具体的に言うと、「縮れた」は戦争が始まったら借り出されるかも知れないと怯え委縮した状況。「亜鉛の雲」は空でも低い位置にある灰色の雲、これは実情を教える難しさを喩えたのではないでしょうか。「陰気な郵便脚夫」は恐ろしい真実を知るが故に笑えず、それでも伝達者としての道を行かんとする賢治そのものでしょう。

 そして「アラツデイン」ですが、これだけは幾ら調べても分かりませんでした。主要言語の辞書に載っていないのです。賢治は「Vegetarian」を「ビジテリアン」と記していますから、スペルは想像できる範囲で当たりました。少数派の言語は賢治も知らなかったでしょうし。

 それでもないということは、固有名詞としか考えられません。そこへ来て、問題の行はカッコ書きなのです。これは絶大なヒントになります。要するに前行の補足であり、それは賢治自身にほかなりませんから、「アラツデイン」は賢治の別称ではないかと。

 ここで棚上げにした「七つ森」を考えます。カッバーラなら、神々が住むところです。しかも妙な指示語、瞬間移動でもしたなら納得できます。こういう『屈折率』は、決意表明なのです。これらに加えて、図抜けた理知を踏まえると、賢治は人間離れしすぎています。

 本人は謙虚に修羅と言っていますが、間違っても人の下に納まる器じゃありません。修羅とは、仏教が世界を六つに分けた内の一つであり、上から並べると、天上、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄の順になります。そもそも宗教は異星人の教えなのです。数ある教義の違いは、後世の権力者が歪めたにすぎません。

 ですからユダヤ教も、イスラム教も、キリスト教も、仏教も、元をたどれば同じです。ただ広められた場所と時間が異なるために、複数あるだけの話です。信じられない方には、太陽系の歴史全般を真面目に探索することをお勧めします。

 参考までにプラズマで構成される異星人のヤハウェは、イエス・キリストと呼ばれる人の形になって降臨しました。だからこそ処女から生まれたとか、年端も行かない時分に司教を論破したとか、とんでもない逸話があるわけです。

 以上から、賢治は異星人もしくは異次元の生命体が、人の格好で現れた存在だと考えられます。
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宮沢賢治は日本の至宝

2009年10月06日 04時38分49秒 | 文学
 師の作はあまりにも凄すぎて、本意に迫ることは容易じゃありません。こういう事情から世間は理解できず、ほとんど相手にしませんでした。当時、絶賛されたのは、夏目漱石やなんかです。ちなみに賢治の生涯は1896年~1933年で、漱石のそれは1867年~1916年ですけれども、両者を比べると雲泥の差があります。

 このとき既に、支配者は世界の大半を手中に収めており、日本やロシアを侵略する過程にありました。具体的に言うと、日本を誘い出すべく日清戦争が開始されたのは1894年、その日本を利用しロシアを弱らせる為に準備された日露戦争が勃発したのは1904年、という具合に大変な時代だったわけです。 

 こうした最中、漱石は英文学の研究目的でロンドンに留学しました。ところがイギリスはヴェネツィア人が乗っ取った国ですから、真相を知られないように史実をひた隠しにしています。歴史と文学は切り離せない関係にあるので、十七世紀以降の英文学なるものは歪みまくっているのです。ご多分に漏れず、シェイクスピアといえどもゴミでしかありません。

 実際に漱石は、イギリスで英文学を習得することはできないとボヤイています。これに気づいたまでは立派ですが、肝心な世情を見抜けなかったようです。少なくとも作品には反映されておらず、周知の代表作は大衆受けする売れ筋商品にすぎないと言えるでしょう。

 対して賢治は、ぞっとするほど時代を捉えています。当然にも社会批判が多くなりますから、アホな周囲に煙たがられ日の目を見ることはありませんでした。遅ればせながら多少でも騒がれるようになったのは、死後ずいぶん経ってからのことです。

 先日は預言者だったんじゃないかと書きましたが、ひょっとすると人間じゃなかったかも知れません。というのは、ある詩に、まじまじと記されているのです。私は頭が悪いので初見から十年もの間、解らずじまいで居ましたが、ようやく解けた気がします。

 興味のある方は次回の記事を見て下さい。今回は表題から逸れることもあって、譲りたいのです。焦らすわけじゃなく、別にした方が見やすく便利だと思います。もし信じられなければ、文学通の人に相談するのも良い方法でしょう。「この記事どうよ」という感じで。もちろんリンクはフリーで、コピペも構いません。

 悪人は否定するでしょうが、純粋な研究者は頷いてくれそうです。ただ、奇怪な解釈であるがために、全肯定する人は少ないでしょうけど、理路整然としていますから、ある程度の納得というか、その可能性はあると思う人は多いはずです。それだけ自信があります。

 それにしても十年間、気づかなかったなんて……。昼に食べた、たこ焼きが効いたのでしょうか。まあ、それなりにでも私は進歩したということなのでしょう。やはり素養を高める作業は欠かせませんね。なおかつ些細なことで作れるモチベーションも。
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宮沢賢治は預言者なのか

2009年10月03日 01時27分43秒 | 文学
 三日にわたり連載した『ロスチャイルドと象』は、師が秀作『オツベルと象』のカヴァーにほかなりません。言わずと知れたことでしょうが、念の為に触れておきます。これは前々から構想があったわけじゃなく、着想から第一日曜を書き終えるまでに要した時間は、九十分くらいという即興によるものです。

 けれども<原作>が素晴らしいので、結構な出来栄えだと思います。やはり文学も骨格が重要なのでしょう。特に月の使い方が見事です。月齢と反比例する餌の減少といい、諦めかけた象を励ますタイミングといい、凡人がなせる技じゃありません。

 ちなみに餌の量に関する描写は、六度にわたっています。カッバーラだと六は不完全な数字で人間を表し、七は完全な数字で神を表すそうです。そして賢治はオツベルに対する怒りを、「グララアガア」という象の叫び声で表現しています。これが発せられる場面は七回あるのです。

 私は人類史を紐解いた結果、偶然なんてものは無いと確信しています。もっともそう感じることはあるかも知れませんが、それは密な周囲を知らないだけではないでしょうか。参考までに『ヨハネの黙示録』では、七人の天使たちが次々にラッパを吹くとされています。

 それから気になるのが最後の一文です。「おや、[一字不明]、川へはいっちゃいけないったら」私は数字としましたが、この技法は他の作品でも散見できる賢治の真髄であり、かくも空間を巧みに使った人は居ないでしょう。しかも意味深なのが川です。

 有名な『銀河鉄道の夜』では、カムパネルラという少年が川で溺死します。今一つピンと来ないので辞書を引くと、川は「地表の水が集まり、傾斜した窪地に沿って流れる水路」とあります。感の良い人はお気づきでしょう。つまり悪魔が利用するマスコミに流されるなということではないでしょうか。
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ロスチャイルドと象(3)

2009年10月02日 00時00分00秒 | 文学
   第三日曜

 ロスチャイルドときたら大したもんだ。巧みに象を利用して、世界を制覇しやがった。アレクサンドロス三世も、ユリウス・カエサルも、イギリス王室の歴々でさえ出来なかったことだぜ。そのくせ象を、まだまだ使う気でいるから恐ろしい。

「白象君、メキシコでは豚のインフルエンザが流行っているそうだ」
「それは大変です」
「困っている人を助けたいから、百人力の君に行ってほしい」
「分かりました」
「テレビの報道によると、インフルエンザは草にも伝染したとか。君も量を控えた方が好いだろう」
「そういう事情であれば、仕方ありません」

 何でも真に受ける象は、メキシコくんだりまで行くことになった。そこで象はどんな月を見たのだろう。信頼できる情報屋の話だと、インフルエンザを仕掛けたのはロスチャイルドとのことだ。へとへとになり帰国した象は、二の草を食べた後、十一日の月を見ながらこう言った。「苦しいです。サンタマリア」

 翌々日、象は熱を出した。
「白象君、許しておくれ。メキシコなんかへ行かすべきでなかった」
「わざわざ見舞いに来ていただき、ありがとうございます」
「重い荷車を引くのは体に悪いから、代わりを頼むことにしよう」
「すいません。元気になったら、後れを取り戻しますので」
「とにかくインフルエンザが広まっては大変だから、大勢にマスクを着用してもらわねばならん」
「それは名案です」
「さっそく仕入れたのはいいが、運び手が足りんのだ。かといって、白象君には頼めんし、どうしたものか」
「マスクなら軽いでしょうから、私がやります」

 ふらふらになり戻った象は、遂に倒れてしまった。寝床でのことだけに、気遣う者は居なかった。重大な任務を成し遂げた反動が一気に出たのだろう。そして何も食べず、十三日の月を見ながらこう言った。「もう、さようなら。サンタマリア」

「何だって?」見兼ねた月が象に問う。
「さようならです。サンタマリア」
「なりばかり大きくて、からっきし意気地のないやつだ」
「草を思うように食べられないので、元気が出ません」
「インフルエンザを広めたのは、ロスチャイルドだぜ」
「そんなはずありませんよ」
「わしは地上を見放題なんだ。ヤツの目的はマスクを売って儲けることさ」
「困っている人を助けたいと言ってましたよ」
「インフルエンザの話だけじゃなく、寄付の話も、高級な草の話も大嘘だ」

 一晩、じっくり考え抜いた象は、明朝早くに出奔した。その後の行方は知れない。

 なお、主は悪に対し、七つのラッパをお吹かせになられた。

 おや、[数字不明]、川へはいっちゃいけないったら。
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ロスチャイルドと象(2)

2009年10月01日 12時43分55秒 | 文学
   第二日曜

 ロスチャイルドときたら大したもんだ。それにまんまと唆された象も大したもんだ。第一、見掛けが真っ白であり、牙は立派で最強のようであるけれども、攻撃をしそうにない。それでいて力は二十馬力もあるもんだから、随分と働く。

 何万枚もの紙幣が積み込まれた荷車を、造作もなく運ぶのだ。こんな具合だから、ロスチャイルドは今まで使っていた牽引車を、よそに貸して儲けている。しかも土日は割り増し料金を取っているから、その利益で象使いを雇いやがった。

 象使いは癖を見抜くとも。実際、象はインド産の草に目がないのだ。これに見せられた白象は二十五馬力を出し、近くの倉庫だけでなく中央銀行まで行くようになった。日が暮れ帰って来た象は、十の草を食べた後、三日の月を見ながらこう言った。「ああ、稼ぐのは愉快だねえ」

 調子づくロスチャイルドは、更なる一手を考えていた。
「白象君のお蔭で大助かりだ。ご褒美にインド産の中でも高級な草をあげよう」
「ありがとうございます」
「ただ高価なだけに、量が多少なりとも減ることを許しておくれ」
「平気です」

 気をよくした象は、少し離れた都市銀行まで行くようになった。実のところ、高級な草の話は嘘で、ロスチャイルドは労せず儲けを膨らませたのだ。これを知らない象は、八の草を食べた後、五日の月を見ながらこう言った。「嬉しいです。サンタマリア」

 もちろんロスチャイルドには、取って置きの手があった。
「恵まれない僻地の人に寄付をしたいから、是非とも白象君に行ってほしい」
「それは感心です。私でよければ、どこへでも行きます」
「あと少し言いづらいのだが、なるだけ多く寄付できるように、草の手当てを少々、我慢してはくれまいか」
「私は大丈夫です」

 律儀な象は遠くの地銀まで行くことになった。ご推察の通り寄付の話も嘘で、ロスチャイルドは帝王の座を欲しいままにした。すっかり騙された象は、六の草を食べた後、七日の月を見ながらこう言った。「疲れたけど、頑張ります。サンタマリア」
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ロスチャイルドと象(1)

2009年09月30日 21時36分46秒 | 文学
                    ……ある銀行家がものがたる

   第一日曜

 ロスチャイルドときたら大したもんだ。紙幣印刷機を何台も据えつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。

 各国の印刷工どもが、顔をまるっきり真っ赤にして、山のように積まれた紙を機械の中にセットし片っ端から刷って行く。紙はどんどん刷られて、また新しい山になる。そこらは、ポンドだの、ドルだの、エンだの、出回ってる紙幣が勢揃いしているようだ。

 そのうすくらい仕事場を、ロスチャイルドは、大きな琥珀のパイプをくわえ、吹殻を紙幣に落とさないよう、眼をギラギラさせながら、後ろ手を組んで、ぶらぶら往ったり来たりする。

 工場はずいぶん頑丈で、学校ぐらいもあるのだが、何せ新式の印刷機が、何台もそろって回ってるから、のんのんのんのんふるうのだ。中を見学すると広さのために、すっかり腹が空くほどだ。そして実際ロスチャイルドは、昼飯時に六寸ぐらいのビフテキやら、グリーンキャビアを餌にしたガチョウの肝臓やらを、ほくほくにして食べるのだ。

 とにかく、そうして、のんのんのんのんやっていた。

 そしたらそこへどういうわけか、一頭の白象がやって来た。白い象だぜ、ペンキを塗ったのでないぜ。なぜ来たかって? そいつは象のことだから、たぶんぶらっと森を出て、なんとなく来たのだろう。

 そいつが工場の入り口に、ゆったり顔を出したとき、工員どもはぎょっとした。なぜぎょっとしたかって? よく聞くねえ、何を仕出かすか知れないじゃないか。かかり合っては大変だから、どいつもみな、いっしょうけんめい、持ち場の機械を回していた。

 ところがロスチャイルドは、機械の陰から鋭く象を見た。それから素早く下を向き、なんでもない振りをして、今までどおり往ったり来たりしたもんだ。

 こんなふうだから、象はノコノコ中に入って来た。けれども進むにつれて機械のうるさい音が気にさわったのか、こんな文句を言ったのだ。「ああ、だめだ。私は耳が大きいだけに頭が痛くなる」

 工員どもは怖気づいていたので、やれやれと胸をなでおろしつつあったが、ロスチャイルドだけは一考した。そして、こう言いやがった。「君にも合うサイズの耳栓があるよ」

 象は「面白いねえ」と返事をした。ロスチャイルドは、しめたとばかりに「しばらく、ここに居てはどうだい」と追い打ちを掛けた。象はもっと考えてから発言すべきだったが、あっさり「居てもいいよ」と言ってしまった。

 もう象はロスチャイルドの財産だ。いまに見たまえ、悪魔は象を働かせ倒すか、サーカスに売り飛ばすか、どっちにしても万ポンド以上を儲けるぜ。
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人間

2009年09月25日 22時20分59秒 | 文学
 腕に止まった蚊を
 そのまま見ていました
 生業ですから
 我慢できます

 庶民を騙す支配者
 見過ごすことはできません
 真っ当に育てられたら
 違う結果になるのです
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言の葉に込められたもの

2009年09月22日 02時50分26秒 | 文学
 詩なんてものは、どうとでも取れるので意味がない、これを利用する預言は詐欺だ、本当に伝えたいなら直喩で書けばいい、とおっしゃる方は結構いると思います。確かに受け止め方は自由でしょう。だからといって、書き手の自由を束縛する権利はないはずです。この段階で先の主張は既に崩壊しています。

 確かに直喩であれば、大勢が知れるでしょう。果たして理解者は行動するでしょうか。残念ながら、その率は低いと言わざるを得ません。なぜなら警鐘を鳴らす人は少なからず居るにもかかわらず、痴話な芸能情報がもてはやされているのが現状なのです。

 直接言っても心に響かせることは難しい、人間には多少なりとも探究心が備わっている、謎を掛ければ解いてくれるのではなかろうか、その努力が大なら達成者は行動してくれよう、神や偉大な詩人はこう考えたのではないでしょうか。これは書き手の端くれとして言えることです。

 昨今は言の葉に命を吹き込める達人が少ないだけに理解しづらい事柄かも知れませんが、ノストラダムスの詩はレトリックの遊びなんかじゃないと確信します。脈々と続く歴史との照合からも太鼓判を押せることです。とにもかくにも肝心なのは、悟ることではないでしょうか。
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上様

2009年09月12日 18時56分30秒 | 文学
「上司は嫌なやつだ」って、みんな言うけれど、別にイイじゃない
彼らも同じことを考えてるんだから

係長は課長のことを思ってる
歌がまるで下手クソだってね

課長は次長のことを思ってる
何年たってもゴルフが上達しないってね

次長は部長のことを思ってる
ハゲてるわりに頭が悪いってね

部長は専務のことを思ってる
外国語を話せたところで所詮は田舎者でしかないってね

専務は社長のことを思ってる
いくらカネを使ってもモテナイってね

社長は会長のことを思ってる
腕が悪いのにフェラーリを買うなってね

会長は大株主のことを思ってる
泳げないくせにプール付きの家に住みやがってってね

大株主はオバマのことを思ってる
政治献金を出してるのは自分だってね

オバマはエリザベス女王のことを思ってる
ババアなんだから時期に死ぬだろうってね

エリザベス女王はロスチャイルドのことを思ってる
というかワラ人形を作ってそう

ロスチャイルドはルシファーのことを思ってる
人間といえども頂点はオレなんだってね

ルシファーはイエスのことを思ってる
神様気取りの戦争屋にすぎないってね

イエスはエロヒムのことを思ってる
その上には上が居るだろうってね

どだい軍手を買った時にもらった領収証には上様って書いてある
上下を考えることは無意味、そんなものは理想郷じゃ通用しないでしょ
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私のスタイル

2009年08月27日 00時04分54秒 | 文学
 一般的に書物を読むことを読書と言います。以前もちらっと書きましたが、私はこの言葉があまり好きじゃありません。理由は単に読むだけでは不充分だと思うからです。肝心なのは理解し、できれば発展させることではないでしょうか。

 もちろん「行間を読む」という表現はあります。しかしこの場合でも「読む」という行為には不確定要素が付きまといます。これを上回るのは書き手の意図を見抜くことです。ですから私は「見書」と言います。これは「発見」にも通じるので、お気に入りの言葉です。文章を自分なりに映像化して見られれば最高だと思いませんか。
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陰鬱な月曜日

2009年08月24日 16時43分21秒 | 文学
 なんの当てもなく、ふらっと外へ出た。太陽も今一つ覇気がない。だから私もそうなのだろうか、と物思いに耽ったところで、直ぐに明瞭な答えが得られないことくらいは知っている。なのに一瞬、考えてしまう。今は別段やることがないので、一瞬は継続する。どうせなら直接話しができればいいのに。

 こう思っても実際に「太陽さん、今日の調子はどうですか」なんてことを口にできない。実行したら間違いなく周囲に退かれるだろう。往来は多くないとはいえ、そこそこには居る。警察が居たら職質されるに違いない。シャブ中と思われて終わりである。そういうみんなは、せわしく歩いている。

 私は当てがないだけに急ぐ必要はない。それどころか次の信号を渡るべきか、左に折れるべきかすらも判らない。このまま行って、青だったら渡るだろう。そうじゃなかったら止まりたくないから、左にでもと思案している。ということは多少のやる気はあるのだ。そもそも外出したのは、そういうことなのだろう。
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カミュの文学

2009年08月21日 15時20分22秒 | 文学
 昨日は『機動戦士ガンダム』を取り上げたので、今日はアルベール・カミュの小説から引用した会話について触れることにします。このブログを初めて見る方は分からないでしょうが、これらは三日前の奇天烈なタイムトラベルに関する補足です。

 カミュは『異邦人』でノーベル文学賞を取っていますから、知っている人は多いことでしょう。問題の言葉は『幸福な死』から借用しました。これは『異邦人』の元になった作で、氏の存命中は発表されませんでした。それにしても、カッコイイセリフだと思いませんか。

 小説全体としては大したことないですけど、あれだけは光りまくっています。私は見て直ぐに暗記しました。それほど当時の私は衝撃を受けたのです。正確にはロラン・ザグルーなる登場人物が吐いたものですが、考えたのはカミュですから問題ないでしょう。

 そしてパトリス・メルソーは主人公です。彼もアムロと同様にかなり変わっています。なんとザグルーはメルソーの恋人の元彼なのです。非常に嫉妬深く、対面することになりました。この点は解り兼ねますが、メルソーに共感できるところはあります。気になる八時間というのは、ご推察の通りサラリーマンの苦悩です。

 あまり話すと、これから見ようとする人の楽しみを奪ってしまうので、この程度にしておきますが、なぜこんなことを書くかと言えば、それは悪癖を正すことにあります。どうも私は独りよがりで勝手に進み、周囲にポカンとされる状況が珍しくありません。何事も理解してもらえないのは淋しいものです。
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ガンダムは文学でもある

2009年08月20日 16時19分27秒 | 文学
 一昨日、私の書いた奇天烈な会話が見えたでしょうか。『機動戦士ガンダム』を知らない方は、訳が分からなかったかも知れません。アムロ・レイはその主人公で、ブライト・ノアは彼の上司です。共に地球連邦軍の兵士で、ジオン公国というところと戦争をしていました。問題の会話は、戦いに嫌気をさしたアムロが、ブライトの指令を無視した場面です。

 そもそもアムロは主人公の割に人気がありません。主な理由はオタクで協調性に欠けていたといった意見が多いようです。前者に関してはコメントを控えるとしても、後者に限れば仕方ないことではないでしょうか。なぜなら一年戦争時のアムロは、15歳くらいなのです。

 ガンダムというモビルスーツを乗りこなす人物が居なければ、連邦軍は危うかったと思います。アムロはこの重圧を背負っていました。たった一人の人間が大勢の命運を、それも成長過程にある少年がです。こんな状況で笑えるわけないですよね。

 こういう要素は得てして受けが悪いです。そのせいか『機動戦士ガンダム』は、当初、騒がれませんでした。というよりも不評だったために短縮されたのです。ハッキリ言って子供が理解するのは難しいでしょう。私もその口でした。ですが読解力の増した今なら、文学的にも素晴らしい作品だと思います。私は四年ほど前に、全話を見返しました。今年は放映して30周年に当たるようです。
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