考えてみれば20世紀は夢と失望の世紀だった。
資本主義の下で科学技術の発展と経済の高度成長が実現する。
さらに資本主義の矛盾を社会主義で乗り越えよう、
あるいはそれ以外の道があるんじゃないかという動きが出てきた。
しかーし、結局スターリンや毛沢東の悪夢の後は、
結局のところ夢なんか語ってもダメなんだということになる。
その後の東欧の民主化、ソ連の崩壊を経て、グローバル資本主義が出現し、
今ではこの現実に乗っかっていくしかないのが現状だ。
政治家も資本家も音楽家も芸術家も批評家もみーんな
とっくに批評も新たなる理論の構築も忘れてる。
今ではその誰しもが市場の中をどれだけ上手くサーフィンしていくかが
すべてになってしまった。まぁ、金がすべてなんだな。
昔なら反体制の急先鋒であったアートやロックや小説も、
今では単なる若者の憧れる職業のひとつになってしまった。
皮肉な話ですよねー。
キース・リチャードの娘さんなんてスーパーお嬢様ですからね。
なんでバカロックやってる親父の娘がお嬢なんだよと思うのですよ。
ヤクザの娘でも幹部の娘で慶応行ってればお嬢なんすかね?
まぁ、現状では立派なお嬢さんになるのでしょうね。
チンピラの娘で公立に行ってたらイジメの標的になるんすかね?
可哀想だけど、親の因果が子に報いということで、
現状では九分九厘いやーな対象物でしかないでしょう。
本当に世の中こんなんでいいんすかね?
本来なら、多くの理論や批評にさらされながら
この混沌とした資本主義の中で自立性を追求するべき芸術なるものが
気がついたら市場に乗せられ、ふと気がついたら単なる消費財として
ポッポコ使い捨てられている。
そう、すべて使い捨てられているんだよ。
素晴らしい名画も絵画も名曲も発明も何もかも・・・・。
世の中すべてが消費財。
今宵も酔っ払ってなんだか虚しくなってきましたよ。