音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

幻想飛行 (ボストン 1976年)

2009-11-14 | ロック (アメリカ)


今、「ボストン」と言ったら、日本人の半分以上は松坂大輔投手の在籍しているレッド・ソックスを思い浮かべるだろうが、私の青春時代に「ボストン」といえば、アメリカン・プログレ・ハードロックの先駆者となったロックバンドの事であった。どうしてもこの時代のロック音楽は、自分のバンド活動でコピーをした曲を中心に記憶が蘇ってくるものであるが、前回の「噂」同様、このアルパムも相当聴きまくったが、これはレコードとCDを1枚ずつしか持っていない。だが、このアルバムと、次回作の「ドンド・ルック・バック」に関しては殆どの曲をコピーして演奏した記憶がある。なんと言ってもプログレファンだったからだろうが、やはり、イエスやジェネシスを演奏するより、若干簡単だったのである。しかし、このボストン自体はバンドというより、トム・ショルツが一人でレコーディングのプロセスを行っている、いわばユニットである。だからライヴで演奏を忠実に再現するのは困難であった。実際、イエスなどでははっきり分かる楽器の音の聴き分けも、このアルバムに関しては難しく、そのまま再現しようとすると曲の度にバンドの編成が変わってしまう。そこで、他人の曲なのにアレンジをすることを勉強するようになった。つまりスタジオでセッション中に楽器のパートを決めたり、フレーズを変えてみたりした。そう、自分たち仕様にカスタマイズする面白さというのが、このバンドの演奏で覚えたのである。

実際、ポストンのレコーディングでも、正式録音以前に既にアルバムすべてがトム・ショルツひとりで出来上がっていた。トムはMITで電子工学を学び、ポラロイド社に勤務の傍ら自宅に設けた多重録音が可能なスタジオで収録、そのテープをCBSに持ち込んで作品化が決まった。メンバーはオーディションで選ばれたが、あくまでもこれはツアー用で、ヴォーカルのブラット・デルプ以外は、デモテープを更にクオリティの高いプロのスタジオで録音したのはトム・ショルツ一人だったと言われている。確かに、大ヒットとなった「More than feeling」の最初のギターフレーズは簡単な譜面だが、この音を再現するのに、わがバンドのギタリストは1週間悩んでいた。どのアタッチメントを組み合わせてもこの音は出せなくて、結局、シンセサイザーを被せてユニゾンにしてみた。勿論、ステージでキーボードは無表情で弾いていないフリをして、ケイオンの仲間からは、「おお~」と歓声が上がったのを覚えている。そのほかにも色々試したのだが、一番贅沢だったのが、「サムシング・アバウト・ユー」の冒頭部分のスキャットが中々上手くいかなくて、最初はフリートウッド・マック・コピーバンドの女性ヴォーカル二人を使ったのだが、やはりイメージが違って、何と彼女の友人の音大声楽科の女子大生にこの部分だけのためにゲスト出演して貰ったのだった。このときばかりは、歓声ではなく、客席が静まり返っていた。そんな自身のバンド時代でも試行錯誤した記憶の詰まっているアルパムである。このジャンルでは、この後もカンサス、フォーリナー、ジャーニー、スティクス、TOTOなどアメリカのヒットチャートを賑わすバンドが次々と人気を博してくるが、丁度、自分のバンド活動もプログレと共にこれらの曲を演奏するようになっていった。その中でもボストンは草分けという意味以外にも特別で、余りツアーバンドとしての印象は良くなかった。ロックバンドというのはやはりライヴが良いということがそのバンドの質をあげていく。日本にいると分からないが、特に全米は、アルバムとツアーはセットであり、新しいアルパムがチャートを上っていくのとツアーで人気が上がるのは比例しているし、少なくともプロモーターは皆そうだと思っている。ボストンが結成から30年以上たっても解散はせず、新しいアルバムの期待が今も求められているのは、そのアルパムとツアーのセットには固執しなかった(「出来なかった」が正しい?)ために、逆に短命に終わらず、今もまだ伝説の現役ロックバンドとして認知されているかもしれない。

このアルバムの曲の中では、好き嫌いは別として最後の「レット・ミー・テイク・ユー・ホーム・トゥナイト」が、最もアメリカのロックバンドの曲らしくて、実は最後にほっとしてしまうのだ。


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