またまた飯田さんからお聞きしたことですが、私が知らなかった香龍会の発足のことに
ついて書きます。
まず昭和56年に、柳原裕司さんや伊藤正さんらの春棋会のメンバーが名古屋に集まり、
会合が催されました。その後当時は東京(詰将棋研究会)と大阪(創棋会)でのみ会合が
催されており、鶴田主幹がいた詰パラの大本山である名古屋にも会合をという機運が
高まり、昭和58年6月に「詰将棋の集い」が再び名古屋で催されました。
その場で今後も継続的に名古屋で会合を開催しようということで、名前を交流のしゃれで
「香龍会」と名づけ、8月に第1回香龍会が開催されました。いわば6月の詰将棋の集いは
第0回香龍会だったわけです。
その後伊藤さんは関西に行かれ、柳原さんは詰パラの編集で忙しくなり、幹事を飯田さん
が引き継いだとのことです。
もし書き間違いがありましたらご指摘をお願いします。それにしても柳原裕司さんは今
どうされているのでしょうか。