ぐうたらピアノ生活

2008年9月~独学でピアノを再開(ブランク30年) 2010年9月~Lesson開始

おいしい生活

2010-05-22 20:59:22 | お庭の事
イチゴ、収穫だよ~~ん♪
キャッホ~

ほとんど鳥に食べられちゃうんでなかなか収穫できないが、今日はいっぱい♪
だいたい、自然との共存などと偉そうなことを言っていると、虫だの鳥だのに食われる羽目になるわけで・・・・。
おすそ分けなどと可愛いことを言っていられる場合ではないくらい可愛げなく根こそぎ持っていかれる・・・。
毎日、真剣勝負の争奪戦である。


実が小さいのはもちろん放置プレー栽培だからである(;^ω^)


今日はチビの運動会だったので朝4時から起きている。
何でそんなに早かったかというと、明日は雨の予報なのに野菜の苗を放置したままだったからだ。
これでまた1週間放置することになるとちょっと心配なので、今日中に植えてしまいたかったのだ。
トマトだのなすだのきゅうりだの支柱の必要なものばかりなのでそこから始めるとなると時間がかかる。
結果、早起きしてやることになった。

だってさぁ、他にもお弁当も作らなきゃなんないしぃ~。
洗濯もしなくちゃだしぃ~。

さわやかな初夏の日に思うこと

2010-05-21 06:02:28 | ぼやき
女性としての身だしなみなど、大半がどうでもいい私でも、たった1つだけ気をつけていることがある。

”手を傷付けないこと”

別に美容上の意味からではない。
看護師にとっては重要なツールだからだ。
私はこの仕事が大嫌いだが、プロとしての誇りはある。
だから、現場に携わる以上はどんな些細なことでも最善を尽くしたい。

手に傷があると感染の危険がある。
自分ばかりではなく他者への感染リスクが増す行為は極力避けねばならない。
危ないのは細菌の類だけでなく薬品の類もだ。
まず、自分自身を守れなければ他者を守ることはできない。

手が荒れていると触感が悪い。
触られて不快になるのは問題である。
身体に直接触れる手は相手にとって不快なものであってはならない(ま、手の状態だけの問題ではないが・・・爆)

爪はいつも短く切っておく。
長いと凶器になるだけでなく、不用意に何かに引っ掛けて危険だ。
第一、不潔になりやすい。


こんな、つい忘れてしまうような些細だけど重要なことをいろいろ教えてくれたのは2級上の先輩だった。
優しくて、強くて、賢くて・・・。
本当に大好きだった。
私はめったに他人を尊敬したりはしないのだが、この人は尊敬していた。
心酔や敬愛に近いかもしれない・・・。
でも、27歳で乳癌になった。
全ての延命治療を辞退して静かに逝った。
半年持たなかった。

先輩は最期の最期まで笑っていたね。
辛くなかったわけないのに。
でも、ずっと笑ってた。

こんなさわやかな季節だったよね?
先輩、元気ですか?
いつか胸を張って会える様に、私はもう少しがんばります。


ぐうたらすぎ・・・

2010-05-20 21:59:27 | piano雑記
今日は珍しくおピアノ様の練習を・・・・。
どんだけぐうたらなんだか・・・(;^ω^)

いろいろあるんだよ、私だって(o`ε´o)
 
切れてどうする・・・・・・・・

今日は久し振りなのでとりあえずスケールを弾いて調性の確認を(爆)
でもって、放ったらかしのMiyoshiを。
ってか、何故に弾けないMiyoshi・・・・・。

三善せんせー、これ本当にバイエルレベルですかぁ~?
全然弾けません・・・

いえ、見た目、確かにバイエル並みの楽譜ですけど。
ええ、どう見ても難しいリズムはないですねぇ?
これ終わったらバッハをと思っているのに、全然終れる気がしない・・・

ってか、放ったらかしにしないで練習しろって話だな・・・・。

優しいって・・・・

2010-05-20 07:00:04 | ぼやき
そもそも思いやりのある人ってどんなだろう?

もちろん他者の立場に立ってその状況を自分のことのように考えられる人であると言う事は異議のないところであるが、自分サイドにいる人に対してそれができたからと言ってそれは優しいことになるのか?
私的には、通常の人間としての感性があるならそれって特別なことではなくて当たり前のことなんじゃないかとか思ったり?

例えば、理不尽は理由で大切な人を奪われた経験があるとして、奪われた人の気持ちに寄り添うことができるのは普通のことだ。
しかし、奪った方の人に対しては?

生れ落ちたその日から悪人だったなんて、そんな人がいるわけがない。
悪業を行う人はそのように育つ環境を与えられ、そう育まれたのだ。
その過程にだってやはり苦痛や苦悩があったはず。
人間、誰だって生きていればいろいろな事がある訳で。
だからって他人の利益を侵害していい訳はないのだが、それでもその過程をも考慮に入れることができるのが優しいってことなのじゃないかと思ったり。

そもそも弱者をかばうのは純粋に優しさからじゃない。
それは自分の方がより強いという優越感からのこともあるし、”感謝”という報酬欲しさからと言う事もあるし、他者から依存されることに喜びを感じるからと言う事だってある。
単純に相手に好かれたいと言うこともあるだろう。
詰まる所、自分がそうしたいだけのことなのだ。

私が先のベビーカーのお母さんの手助けをするのだって別に”大変でしょう”と思いやってのことじゃない。
単にさっさと道を空けて欲しいからだ。
結果的に助けたことになったとしてもそれは私が優しいからじゃない。


優しい人と言うのは、自分の利害を全く考えることなく他人の立場で考え行動できる人、あるいはそうあろうと努力する人。
しかもそれは全ての対象について、自分を害する相手も含めてである。

誰だって特別な対象に対してはそんな風に接したいと思うのだ。
でも、それは優しいからじゃなくて対象を失いたくないからだ。
そして自分も対象にとって特別でありたいと思うから。

だからこそ、対象を限定しない行為が可能な人を優しいと言うのだと思う。

満員電車のなかで思うこと

2010-05-19 16:22:42 | ぼやき
久しぶりに満員電車に乗った。
パニックを発症して以来なので2年ぶり?
もうちょっとかな・・・・。

混雑する電車の中でベビーカーの"ママ"が出口付近をもたもたしていた。
私はこんな時優しい気持ちになれない。
”ああ、邪魔!!!”と思ってしまう。
私だって子供を育てているが、子育て中をいいことに好き放題なお母様連中には日々悩まされているのでよりいっそう嫌悪感が募るのかも知れない・・・。

だってさ、こういう人は弱者じゃないもんね?
どうしても必要な車椅子とは違うんだし。
回避できるトラブルを避けようともしないのはただの我侭。
迷惑なんだよ。

個人的には混んでる場所でのベビーカーの使用は控えるべきだと思う。
母体の身体的な理由からどうしても使わざるを得ない場合でも時間帯を選んだり、タクシーを使ったりすることだってできるはずだ。
そもそも、他人のことだけでなく低い位置で移動する子供自身にもとっても危険な行為なんだという自覚が何故ない?

子供はただでさえ他人に迷惑をかけるものだ。
子供がいるだけでも迷惑なこともある。
そして、周囲の人もそんなものだと大目に見てくれることも多い。
でも、だからって、それを育てている側が当然のことだと片付けてしまうのはちょっと違うと思う。


まあ、そんなことを考えていたって、目の前でもたもたされたら手を貸すだろうし、”お気をつけて”の一言ぐらいは言うだろう。
うっとうしいには違いないが、いつまでももたもたしていられたら邪魔だし(爆)
面と向かって”邪魔!!”とか言ったりしないので思うくらいはお許しください(爆)
私は自分が優しくないと自覚しているし、優しくありたいとも思っていないのでそれは致し方ない。
ああ、それでも、ルールを外れて好き勝手に生きるリスクを負う度胸もないし、意図的に他人を傷付ける趣味もないので、おとなしくしていようを思う。


さて、満員電車に乗れたのでこれでカウンセリングもお終い。
晴れて無罪放免♪
めでたし、めでたし。