村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

古短冊

2024-03-12 21:24:05 | Weblog

春は物の句になり易し古短冊 夏目漱石


今日はお弟子様の森金さんの
お茶事
今年の大河ドラマに因んで
源氏香の茶事

今日の水屋は三名
行くときは小雨チラホラ
午後からの天気は春の嵐
強めの風が吹きすぎ
冷たい雨が降る
タクシーを降りたら
一刻も早く家のなかに入りたくなる

写真は今日の花
胡蝶侘助と日向水木

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春の心はのどけからまし 

2024-03-11 21:02:31 | 古筆

世の中にたえて櫻のなかりせば
春の心はのどけからまし 

散ればこそいとゞ櫻はめでたけれ
うき世になにか久しかるべき
(伊勢物語)

掛軸の箱を開け
軸を取り出し掛ける
鑑賞したら巻く
そして箱にしまうまで
それぞれ緊張する

箱の蓋を開けるとき
気を許してはならない
爪で箱を傷つけることがあってはならないから
慎重に
掛け紙があればゆっくり外して
箱の甲書きを読む
裏を返して極めを見る
軸の紐をほどき巻き紙を外して
軸を掛け少しずつそっと掛け下ろす
乱暴にしたら掛け緒が外れてしまうかも知れぬ
または掛けている竹釘や軸釘が
壊れているかも知れないから
様子を見ながら掛ける
軸を鑑賞したら巻き上げるのだが
掛け下ろすより巻きあげる方が難しい
軸を持って均等に巻き上げる
傾くとどんどん斜めになってしまう
固くもなく柔らかくもなく巻く
でないと巻き皺シワが寄ってしまうから
力を入れすぎず
さわってるだけの感じで
扱う
あとは巻き緒で巻いて箱をしまうのだが

掛軸に関わる一連のことが
最近、面倒になってきた
毎週、稽古毎に変えていた掛け物
考えるのも、変えるのも
面倒になってきた
これが年を取っていくことかも

掛け物は第一の道具
面倒と思わず
面倒と言わず
気持ちが小さくならないように
頑張ろう
甘いものでも食べて
少し頑張ろう

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霞たち

2024-03-10 21:30:07 | 短歌・俳句の事

 紀 貫之
霞たち
このめも春の雪ふれば
花なきさとも
花ぞちりける

今日は日曜日
用事のないリラックスの日曜日
でもあまりに散らかってるので
片付けをせねばならぬ
でも
なんと朝の寒いことよ
お昼頃になって
かさばる道具のいくつかを納戸にしまった

とりあえずここまで

写真は先日の食事会の
白魚の卵とじ
春の白魚
将軍の気分

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飛雲

2024-03-09 20:55:12 | 古筆

料紙の装飾に「とびくも」がある

とび‐くも【飛雲】とは
和紙の装飾として
ところどころに
雲のような形に漉(す)きこんだ、
藍色や紫色の繊維。
〔文芸類纂(1878)〕

飛雲は大きい方が古い
時代がさがるにしたがって
小さくなる

「中院切 」
「小島切」
「筋切」
「伊予切」
「敦忠集切」

「中院切 ナカノインキレ」は
『後拾遺和歌集』の断簡で、
もとは粘葉装の冊子本であった。
「中院切」の名前は、
江戸時代に公卿で能書であった
中院通村(1588~1653)が所持して
いたことにちなむ。
藍と紫の飛雲を漉きこみ、
金銀の揉み箔を全体に散らしている。

「小島切」
小島切の名は、
茶人でもあった小島宗真が
所有していたところから、
江戸末期の頃には『小島切』と称されている。


和紙販売のネットには
小島切の臨書の用紙が出ている

藍と紫に染めた繊維を
飛雲として漉き込んだ薄茶の染紙に、
砂子状の雲母を紙面全体に
鏤めた装飾料紙です。

尚、漉込の飛雲は
非常に手間がかかる為、
現在では藍と紫に染めた
楮の繊維を料紙を加工する際、
紙面に飛雲状に撒いて
定着させたものを使用しております。

ネットに説明があった

古筆の時代のような
自然な飛雲はまだ
作られてないようだ
今のものは
とこか不自然
平安のレベルにはまだのようだ

写真は「かおり姫」

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あしたのはらにあはゆきぞふる

2024-03-08 22:22:41 | Weblog

 源実朝
わかなつむ
ころもでぬれて
かたをかの
あしたのはらに
あはゆきぞふる

今朝4時半 雪が降っていた
昨日は木曜稽古
終わったのは夜9時半過ぎて
ブログは書けなかった

三日前から建仁寺垣を新しくするため
庭師の御兄さん達が仕事にきた
若いしとても感じがいい
あまりに好青年なので
おやつをたくさん用意して
お稽古日にはアイテラ氏にお薄を点てて貰った
初めての御抹茶
「結構なお点前で」なんて言って
感動していた

出来上がりは
真みどりの竹の建仁寺垣
初めは青竹だから緑なのは当たり前だが
変色してからの方が見慣れてる
この青竹もすぐに色が変わってしまうだろうが
しばし緑の垣根を楽しもう

今朝は雪が降った
たいして積もってないが
傾いた灯籠も直ったし
ちょっといい雰囲気

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徒然まさる春雨

2024-03-06 22:02:10 | 村雨庵 稽古 

 藤原俊成
ながめする
みどりの空もかき曇り
徒然まさる
春雨ぞふる

今日は水曜稽古
雨が降ってる
寒い
今日は出稽古なので
花を持参す
庭の椿 
加茂本阿弥と曙
日向水木
それと雪やなぎを切るが
手がかじかんで
ゆっくり選んでは
取れない
それくらい寒い

月に一度クマショウさんのお宅で
七事式のお稽古

短歌を作らないといけないから
筆で文字を書かないとならないからと
みんな嫌がる香付花月

わりと気楽な炭付花月

午前午後の二組に別れて集まる
いやだと騒ぐ割には
みなそれなりに短歌や俳句を作り
筆のせいにしつつも上手に記録紙に書いてる

午前は雪子さんが
午後は白子さんが花をひいて
記録紙を貰った
ワイワイ賑やかな一日だった

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啓蟄や

2024-03-05 20:11:37 | Weblog

啓蟄や指反りかへる憤怒仏 楸邨

加藤楸邨 カトウシュウソン
俳人。東京生まれ。
東京文理大卒。
水原秋桜子に師事し、
「馬酔木(あしび)」同人として活躍。
昭和一五年(一九四〇)「寒雷」を創刊主宰。
中村草田男、石田波郷とともに「人間探求派」と呼ばれた。
句集に「寒雷」「野哭」など。
明治三八~平成五年(一九〇五‐九三)

今日は啓蟄
読売カルチャーへ
2ヶ月休んでしまった

「秀吉と利休の話し」
秀吉の醍醐の花見
慶長三年三月十五日
1598.4/20
この花見で読まれた短冊は
重要文化財「醍醐花見短冊帖」として
今も醍醐寺の三宝院に保管されている

いつだったか
東京国立博物館の醍醐寺展で
ガラス越しに拝見したことがある
豪華な金箔の下絵に
サラサラと和歌をしたためて
優雅であること
この上なし

招待客は約1,300人。
秀吉は下見のために醍醐寺へ足繁く通い、
殿舎の造営や庭園の改修を指揮し、
醍醐山の山腹にいたるまで、
伽藍全体に700本の桜を植樹した。

場内には
八番の茶屋が設けられ、
茶会や歌会が催されたほか、
湯殿のある茶屋もあった。
参加した女性たちには
2回の衣装替えが命じられ、
一人3着ずつ着物が新調され、
衣装代だけで2015年現在の39億円に相当する金額がかかった。

と、それは知らなかった。

 

写真は春とは思えない景色だ

 

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顔 わすれめや雛二対 

2024-03-03 20:59:01 | 短歌・俳句の事

箱を出る
かほわすれめや
雛二対 
   蕪村

今日はひな祭り
何もしない日曜日
午後に森金さんがやって来た
昨日買ったお醤油のたっぷりかかったお煎餅
ちょっと食べたら止まらない
朝の番組でゲストが言った
人は辛いこと厳しいことには耐えられるのだが
快楽には抗えない
この先きっとお菓子の
欲望は止まらない
帰りに持っていってもらった
あとは残りの
雛あられでも食べよう

写真は庭の「胡蝶侘助」

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住替スミカワる代ぞ

2024-03-02 19:54:54 | お勉強

草の戸も住替る代ぞ雛の家 芭蕉

今日は朝日カルチャーの「崩し字の読み方」
三十六歌仙和歌 角倉素庵
江戸初期 東京国立博物館
を勉強

角倉 素庵(すみのくら そあん、
元亀2年6月5日〈1571年6月27日〉 - 寛永9年6月22日〈1632年8月7日〉
江戸時代初期の土木事業家、
儒学者、書家、貿易商。
角倉了以の子。
本姓は吉田、
名は与一、
諱は玄之(後に貞順と改め)、
字は子元、素庵と号した。
別号は期遠、西山。
書道角倉流を創始。

長男に玄紀(京角倉家)、
次男に厳昭(嵯峨角倉家)。

母は吉田栄可の娘。
儒学を藤原惺窩に、
書を本阿弥光悦に学び、
書道の角倉流を創設、
能書家としても近世五人の一人に挙げられている。
父・了以の跡を継いで貿易業や土木事業にも携わる。

晩年、活版業を志すも、
寛永4年(1627年)らいに倒れ、
家業を子に譲って嵯峨野へ隠居。
その後、光悦門下の俵屋宗達の協力を得て、
古活字の嵯峨本(角倉本)を刊行した。
また、茶の湯を古田織部に学んでいる。

写真はうちの椿
加茂本阿弥

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桃の月

2024-03-01 21:33:47 | 食事会

雛祭る都はづれや桃の月 蕪村

今日は食事会
場所は綱島のふくもと
まずは菱形の向付にヨモギ豆腐
タレがかかり
美味しいのなんの
そして
かけ汁の余ったのを菱形の角から
そっとそっと口許に運ぶバイ様と辛子様
「喉が渇くわよ」と言うと
渇いても良し
美味しいものは残さず頂く
私も真似して半分頂いたが
汁だけでなく
中身が欲しい

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