村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

月やどるべきひまもなく

2022-07-16 22:28:48 | 美術館・博物館

 西行
おのづから
月やどるべきひまもなく
池に蓮の
花咲きにけり

今日は
ふくもとで食事会
幸せなときだ 

食事がすむと
お店のシンリンさんから
写真のチョコレートを頂いた
末富の包装紙に似たパッケージだ
嬉しい
お稽古の時にみんなで食べよう
そのあと
今日が初日の根津美術館へ
企画展 
「よめないけど、いいね!
根津美術館の書の名品」
開催期間: 2022年7月16日 ~ 8月21日

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紫の睡蓮の花

2022-07-15 23:34:14 | お勉強

 与謝野晶子
紫の睡蓮の花ほのかなる
息して歎く水の上かな

今日は朝日カルチャーへ志野焼のお勉強
室町時代の茶人・志野宗信が
美濃の陶工に命じて作らせたのが始まりか
資料がなく不明とのこと
土砂降りの中
お盆なのでお坊様が棚経をあげに見えた

写真は
高畠式部の朝顔の短冊
一部読めない

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夏 瀧 ナツタキ

2022-07-14 23:51:02 | 村雨庵 稽古 

今日は木曜稽古
朝の九時から稽古が始まる
夜の部がなかったので
夜はゆっくり
久しぶりに広島の凛様から懐かしい電話 
それから
九十四歳のエムイー先生からのお電話
一時間位お話しをした
私めが淡交歌壇に何度か短歌が載ったことがあり
それを今も楽しみに淡交を見てると
仰ってらっしゃるが
このところ全く投稿していないから
載るはずはない


先生ご免なさい
次からは頑張ります

今日の掛軸は
瀧 直下三千丈の一行
それと香川景樹の詠草
詠草の内容は2020/07/08に自分で細かく書いてた

 夏瀧ナツタキ
 香川景樹
裁タち縫ヌはぬ 
こや山姫ヤマヒメの
白重シラカサね
涼しく見ゆる
瀧の色かな

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茂る夏草

2022-07-14 00:31:17 | 村雨庵 稽古 

 藤原定家
菅の根や
日かげもながくなるままに
むすぶばかりに
茂る夏草

今日はお彼岸の入り
水曜稽古
お菓子屋さんから届いたお菓子は朝顔の生菓子と
おはぎ

秋のお彼岸に食べるのがお萩、
春のお彼岸に食べるのが牡丹餅。
と言うが
でも、最近は季節にかかわらず、
通年「おはぎ」

夏と冬
夏は夜船、、 
冬は北窓と言うらしい
理由は、
ご飯をつぶして作るおはぎは、
お餅のようにペッタンペッタンと音がしないので、
いつ作っているのかわからない
夏は
搗(つ)き知らず 
→ 着き知らず となり、
夜の船はいつ岸についたのかわからないから。
冬は
搗(つ)き知らず
→ 月知らず となり、
月が見えない北の部屋の窓と言うことで
北窓となった。
とネットにあると御弟子に聞いたが
知らなかった

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狩野常信 カノウツネノブ

2022-07-11 23:01:06 | 茶道具、古美術、骨董

写真は浪の図
箱裏に古筆の極めが直に書かれてある
落款は
法眼古川叟筆と
細く小さな文字で書いてある

狩野常信 
カノウツネノブ
寛永13(1633)~ 正徳3(1713)
江戸時代前期の江戸幕府に仕えた御用絵師。
木挽町狩野家。
父は狩野尚信。
幼名は三位、右近と称。
養朴・朴斎・耕寛斎・紫薇翁・古川叟・青白斎
・寒雲子・潜屋・弄毫軒、篁渚山人など号す。

京都出身。
1650年(慶安3年)4月父の尚信が没した後、
15歳で狩野派(木挽町狩野家)を継いだ。
同年12月剃髪、養朴と号し家光にお目見え、
後に家綱の御用を勤めた。
父没後は狩野探幽に画を学んだとされる。
古来より
狩野元信・狩野永徳・狩野探幽とともに
四大家の一人とされ高く評価されてきたが、
狩野派内での地位が上がるのは遅かった。
これは叔父で妻の父でもある狩野安信に
疎んじられたからだと言われる。

その間に
中院通茂に和歌を学び、
また、徳川光圀の愛顧を得て、
近衛家熈の『槐記』には、
しばしば近衛家の画事を勤めた記事が載る。
探幽同様古画の学習に努め、
後に膨大な古画鑑定控え「常信縮図」、
粉本・画稿を残した。

天和2年(1682年)20人扶持を拝領、
宝永元年(1704年)法眼に叙される。
同5年(1708年)内裏造営で賢聖障子を描き、
翌年(1709年)11月3日に
前年の画事と江戸城修理の功績を賞され
中務卿法印位を得て、
翌年12月19日には200石を加増された。
(ウィキペディアより)

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青の竜舌蘭リュウゼツラン

2022-07-10 22:44:31 | 植物・茶花

写真は浜離宮の青の竜舌蘭リュウゼツラン
数十年に一度だけ花を咲かすとか
写真は6月の時なので
もはや咲いただろうか


・葉の形を竜の舌に見立てた名前。
・地面近くの”葉”はすごく固く、
 巨大なトゲがたくさんある。
・葉のしぼり汁を醸造して
 テキーラを作る。
・花はめったに咲かないそうで、
 ニューッと 
 5m以上の花柱が伸びてくると、
 「70年に一度しか咲かない花が咲く!」
 ということで
 マスコミにとりあげられ、
 話題になる。
 花が咲くとそのあとで
 枯死してしまう。
 でも枯死する寸前に
 子株を根元のところに
 作っておき、
 しっかりと子孫を残すそうだ。
(季節の花300ヨリ)

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「粘葉本和漢朗詠集」デッチョウボン ワカンロウエイシュウ

2022-07-09 23:10:39 | 覚えたい古筆

和漢朗詠集は
もともとは
藤原道長の娘の
威子イシ入内ジュダイの際の
引き出物の屏風絵に添える歌として
撰集され、
のちに
公任の娘が藤原教通(道長五男)と
婚姻を結ぶ際の引き出物として、
朗詠に適した和漢の詩文を
達筆で知られる藤原行成が清書し、
それを冊子として装幀されたものといわれている。


「粘葉本和漢朗詠集」
デッチョウボン ワカンロウエイシュウ
「権跡朗詠ゴンセキロウエイ」ともいわれる。
料紙は中国渡来の装飾紙・唐紙
上下2冊
明治11年(1878)近衛家献上。
文字は楷書・行書・草書をまぜ,仮名を加える。
料紙は
布目,綾目の茶,赤,藍,黄などの各色に
唐草,雲鶴,亀甲,唐花,野菊,
鳳凰丸の文様を雲母摺 キラズリした
唐紙を用い,
華美を尽している。
古筆の典型とされている。(ウィキペディア)

写真は定家像

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風姿花伝フウシカデン

2022-07-08 22:50:29 | お勉強

風姿花伝フウシカデンに
「まづ、
 この道に 至らんと思はん者は、
 非道 を行ずべからず」とある
非道とは→専門外の道とのこと
能では能楽以外の事はするなと言う事
以前
お茶の先生から言われたことがある
 私が長唄をやってみたいというと
「お茶以外の稽古事はしないように」と言われたが
同じことだろう

いにしえの頃から
稽古ごとを極めんとすれば
非道は行わない方がお勧め
又この後に
「ただし歌 道 は
 風月 延年の かぎりなれば
 最も これを用ふべし」
とあって
歌道は必ずやりなさいとうのだ

写真は,熱海のMOAのお茶室の裏

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ひとよとおもへどたなばたの

2022-07-07 23:59:47 | Weblog

 紀 貫之
ひととせに
ひとよとおもへど
たなばたの
あひ見む秋の
限なきかな

今日は七夕
五節句の一つだ。
中国の乞巧奠キコウデン
と日本の「たなばたつ め」をあわせて
奈良時代から行われていたようだ
江戸時代には
民間にも広がった。
書道や裁縫の上達を祈るもの。

昨日の木槿はしぼんでしまい
今日の花がない
花を切りに花鋏とおおきな紙袋を持って
朝6時家を出るが
はたから見ると怪しい人物だろう
花の枝をいくつか切る
その宗旦木槿と庭の水引を篭に入れたのだが
午前中に
庭の木槿が咲きましたねと
お弟子様に言われて驚いた
なんだ
咲いてたの
灯台もと暗し
取りに行くことなかったのに
観察力 注意力 不足
無駄な事してしまった

写真は今日のお菓子朝顔
別名は牽牛花ケンギュウカ
「朝顔や客が好みの立ち話」水原秋桜子

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今宵こん

2022-07-06 23:33:14 | 村雨庵 茶事茶会

 柿本人麻呂
一年に七日の夜のみ逢ふ人の
恋も過ぎねば夜は更けゆくも

今日は水曜日
花がないので
表通りに咲いている木槿を取りに行った
大きな紙袋を持って
鋏も持参
確信犯だから
お縄になるかも
うちの木槿よ
早く咲いて

写真は巻物
古今和歌集 
素性法師の七夕の和歌を開いてある

今宵こむ
人にはあはじ七夕の
ひさしきほどに
待ちもこそすれ

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法印ホウイン・法眼ホウゲン・法橋ホッキョウとは

2022-07-05 23:58:49 | Weblog

今日は読売カルチャー茶話指月集チャワシゲツシュウ
『茶話指月集』は
利休の孫千宗旦から聞いた
利休に関する茶話を、
高弟 藤村庸軒が書き綴り、
久須見疎安が編集して、
江戸中期の元禄十四年に刊行した板本。

そのはじめの方に
 正親町天皇の禁中茶会のとき
 秀吉から「綱位」を下される機会があったが
 利休はこれを受けず居士号を称することを請うた。と

その【綱位コウイ】 の解説
僧綱 ソウゴウの位。
古くは僧正・僧都 ソウズ・律師。
のちに法印ホウイン・法眼ホウゲン・法橋ホッキョウ が加えられた。 
( 日本国語大辞典ヨリ)
今度は【僧綱ソウゴウ】がわからない
僧綱ソウゴウとは
日本における仏教の僧尼を
管理するためにおかれた
僧官の職である

864年(貞観6年)には
僧綱ソウゴウに対応する僧位として
僧正に法印大和尚位、
僧都に法眼和上位、
律師に法橋上人位が与えられた。

平安時代後期以降は
仏師や絵仏師、連歌師などにも与えられるようになった。
近世になると絵師が任命される例が増え、
武士の入道、儒者、医師などにも及んだ。
絵師の中では、
御用絵師だけでなく民間絵師も叙任されたが、
その手続きは面倒であった。
門跡寺院を窓口として
しかるべき旗本などの名義を借り
師匠などに保証人を頼んだ上で
町奉行に願書を提出し
許可を得た後、
寺院に再度申請を差し出し
評定にかけられ武家伝奏を介して
叙任の宣旨が下された。
(ウィキペディア)

狩野栄信の号は
法眼時代は伊川、
法印叙任後は伊川院、玄賞斎。
狩野探幽法印の「法印」は何か疑問
絵師に僧侶の位を当てて
ある事は知っていたが
それは【綱位】という事で
上の方から授けられるのだと
ちょっと解ったような気がする

写真は浜離宮のノウゼンガズラ

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蝉も雀もぬるる程

2022-07-05 00:38:59 | 短歌・俳句の事

水うてや蝉も雀もぬるる程 其角

今日は雨が降ったり止んだり
遠くには台風が出来て
九州地方に上陸するかも
どおりで体が重いし
具合が悪い
サカチカさんが道具の出し入れを
手伝いにきてくれた
私はちょっと動くと疲れてしまい
ごろり横になっている
お天気病とか気象病という症状

写真は
知らないおうちの
背の高い百合の花一本が
まもなく開花するところ

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ぬけがけ の

2022-07-03 23:13:42 | 茶道具、古美術、骨董

ぬけがけの浅瀬わたるや夏の月 蕪村

今日は久しぶりに美術倶楽部の正札会へ
昨日は混んでいたようだが
今日はすいている
買いたい人は初日午前中に行くもの
私はゆっくりだ

かつて私は某所で毎月ひらかれる
色々な種類の茶事に参加していた
そこで使われるお道具は古いものが多く
大層勉強になったものだが
ある薄器は「堺庄サカショウ」という作家だった
聞いたこともなかったし
いったいどのような人物か
色々調べてみたが不明
ずっとモヤモヤのまま
今日の正札会の並べられた品の中に
その名前の薄器があった
お値段は二十二万円ほどの高価なもの
それを見つけて
一緒に行ったサカチカさんと
それについてあれやこれや話しをしていると
その持ち主の道具屋さんが
親切に作家の事を教えてくれた
ずっと何年もわからなかったのに
暑いけど今日出かけたおかげで解決納得
ちょっと爽快感
それ買えなかったけど 

漆工、萩野嵩山(堺庄) (1846-1929)
益田鈍翁お抱え蒔絵師
江戸京橋の茶道具商「堺屋庄兵衛」の子に生まれ、
江戸後期の書家「市河米庵」より「嵩山」の号を授けられ、
光悦・光琳・常憲院時代の
印籠の写しを得意とした と
ネットにもあったが

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かたまりし暑さの果

2022-07-02 22:06:29 | お勉強

かたまりし暑さの果や雲の峰 千代女

今日も暑かった
香の_
崩し字の読み方
伊勢物語絵巻の詞書コトバガキを読む
筆者は愛宕通福オタギミチトミ、、あぅ

愛宕通福オタギミチトミは
寛永11(1635)~元禄12(1699)66没
江戸時代の公卿
愛宕家オタギケの祖であり
中院通純ナカノインミチスミの猶子ユウシ
権大納言従二位

詞書コトバガキは
むかし、男ありけり。
いかがありけむ、
その男すまずなりにけり。
のちに男ありけれど、子ある仲なりければ、
こまかにこそあらねど、
時々ものいひおこせけり。
伊勢物語94段の途中まで読んだ

写真は虎屋の夏梨 運ぶ時転がって三角

 

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七月やうすおしろいをしたる風

2022-07-01 23:33:39 | 短歌・俳句の事

 与謝野晶子
七月や うすおしろいをしたる風 
歩み来りぬ木の下行けば

今日から七月
カレンダーをめくる
今日は金曜日
暑いので外へは出ない
冷房をかけて
前から干してある茶碗をかたずける
茶碗や水指を箱に入れ
もとの場所に戻す
七月のお茶の用意をする
たいした運動量でもないのに
疲れる
休んでばかりではかどらない

写真は火曜に出かけたMOA の庭

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