村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

賀茂季鷹

2015-05-15 22:57:38 | 茶の事
月に一度の茶の稽古
予定の時間の一時間以上も早く着く
近くのケーキ屋でモーニングセット
ゆで卵とサラダをつけた
顔見知りの店員さんに
今日は長居してもいいかしらと聞き
11時15分から12時半過ぎまで居た

食事が終わると
テーブルに賀茂季鷹の懐紙のコピー
季鷹の文字はとても読みにくい
私も短冊や軸を持っているので
友人が呼んでほしいと渡された
さあと
広げて読み下すのだが
難しいのなんのって
読めるのは
最初の「岸の」の文字と
最後の「秋は来にけり」
それでも時間があったので
一文字ずつ探していくと
20文字くらいはわかった
でも全く
意味が続かない
大変なのだが
ちょっと 楽しい


賀茂季鷹
かもの すえたか
江戸後期の国学者。京都生。
姓は山本、号を生山・雲錦。
和歌を有栖川宮職仁親王に学ぶ。
江戸では加藤千蔭・村田春海ら歌人・文人と交わり、
京に帰って上賀茂の祠官となる。
狂歌を得意とし、
居を雲錦亭と名づけ歌仙堂を設け、
また文庫に数千巻の書を蔵した。
天保12年(1841)歿、91才。
《美術人名辞典より》



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《ウィキペディアより》


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青葉若葉

2015-05-15 01:26:45 | 村雨庵 稽古 
あらたうと青葉若葉の日の光 芭蕉

芭蕉が奥の細道の旅の
日光でよんだ俳句だ


木曜稽古
暑い日だ
緑がまぶしい
夜には新人が入門
まず座り方
立ち方
おじぎの仕方
菓子の食べ方
薄茶濃茶の頂きかた
誰か
お茶を点ててくれないか
早く桃ちゃんが来ないかと
思っていた夜8時ころ
桃ちゃん到着
薄茶と濃茶をすらすらと

今年はもっと先に進もう
半年ぶりの風炉でも迷わず点前する
よしよし
茶の世界は広い
そして奥が深い



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入門希望者見学

2015-05-14 00:18:43 | 村雨庵 稽古 
水曜稽古は今日が初風炉
久しぶりに会うお弟子様も
風炉に変わった茶室に新鮮な眼差しを向ける
茶の湯は飽きないように出来ている

夜には稽古場案内から紹介された方が見えた
今日は見学
若い背の高い方だ
着付けとお琴とお花を習っているとのこと
着付けを習ってらしたら
着物を着るという事が日常にないと
身につかない
必ず着なけれならないのは日本舞踊と茶道くらいだ
お茶は脳トレ筋トレだ
茶の中には社会が詰まっている
とか何とか言い
お茶を薦めた
そんな調子のいい私目とか
先輩方の稽古の雰囲気を御覧
それでも良しとされたらし
あり難くも明日から入門なさるとのこと
最近それぞれ都合でお弟子様が少なく
夜の稽古が特に少なくなった
水木と夜に稽古があるが
誰も来ない日もあったりし
悲しかったが
明日からは大丈夫だ
涙を拭こう

写真の筆者は
福田浩湖
ふくだ こうこ
南画家。東京生。名は浩治。
佐竹永湖・小室翠雲に師事。
また谷文晁に私淑し南北合派を研究した。
日本南画院同人となる。
戦後は日本南画院の再興に尽力し、
最長老の同人として重きをなした。
昭和34年(1959)歿、76才。
《美術人名辞典より》
明治16年3月14日東京市本郷に生れた。
とあった



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若楓

2015-05-12 22:52:31 | Weblog
公達の手ならひの間や若楓 涼菟

岩田涼菟イワタリョウト
(朝日日本歴史人物事典の解説)
没年:享保2.4.28(1717.6.7)
生年:万治2(1659)
江戸前期の俳人。
伊勢の人で伊勢神宮の下級神職。
本姓は秦氏だが岩田氏を称す。
元禄7(1694)年ごろ各務支考を知り,
以後親しく交わった。
松尾芭蕉の最晩年の門人と考えられているが,
両者の直接的な交渉を示す記録はない。
物にこだわらない鷹揚な性格で,
「凩の一日吹いて居りにけり」
のような平明な作風を特色とした。
伊勢の俳諧結社である神風館の第3世で,
俗談平話を標榜した伊勢派の創始者と目されているが,
江戸,北越,九州などに行脚して
芭蕉死後の俳壇で大きな勢力を得た。



本当は
茶の稽古に出かけるのだったが
富山から飛び姫が日帰りでやってくる
というので お休み
サカチカさんも待ち合わせて三人でお昼を食べた
この三名は何年か前は
袋物のお稽古を一緒に行っていたし
和菓子教室も一緒
お昼はいつもお酒付き
その後に美術館などへ行き
食欲と好奇心を満たした
楽しい時期があった
飛び姫はご懐妊で富山に帰ることになり
お茶もほかのお稽古もやめ
昨年
母になった
久しぶりの飛び姫は
少し痩せたようで
美貌が益々際立つ
綺麗な人は環境が変わっても綺麗なのだ
その上何より性格が良い
長くお付き合いしてもらえるように
嫌われないように
しようっと
また来てね





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いずれがアヤメかカキツバタ

2015-05-11 23:54:16 | お勉強
五月
月に一度の研究会
新緑の五月
先生のお宅のお庭も若緑で楽しい


見分け方
アヤメ
紫、まれに白 主脈不明瞭 網目模様
外側の花びらに黄色い模様がある 乾いた所に育つ 5月上旬から中旬

カキツバタ
青紫のほか紫、白、紋など 主脈細小 網目なし 水中や湿った所に育つ 5月中旬から下旬

ハナショウブ
紅紫、紫、絞、覆輪など 主脈太い 網目なし
花の色はいろいろある 湿ったところに育つ 6月上旬から下旬




花の特徴
アヤメ
外花被片に網目模様がある
カキツバタ
外花被片に網目模様なし
外花被片に白い斑紋がある
ハナショウブ
外花被片に網目模様なし
外花被片に黄色い斑紋がある

なお、「いずれがアヤメかカキツバタ」という慣用句がある。どれも素晴らしく優劣は付け難いという意味であるが、見分けがつきがたいという意味にも用いられる。
《ウィキペディアより》




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東下り

2015-05-10 22:52:56 | 懐石・料理
今日は久しぶり
自宅でする懐石料理教室
内容は五月の末にする茶事の献立
出しを引く
ああそうだ
この香り
その美味し香りに堪能
サヨリ
鱚 蛍烏賊
青豆 蚕豆
初夏の材料の爽やかさ
時間はかかったが
そのあとの大吟醸での一杯
至福の時間だ



掛軸は東下りの図


伊勢物語の九段
東下り

ある男が京にはいられないと思い
友人の一人二人と東の方へ行く
道を知っている人が居ないので迷いつつ進んだ
三河の八橋についた
八橋というのは川が蜘蛛の足のようで
橋を八つ渡しているから
八橋と言う
その沢のほとりの木陰で乾飯を食べた
そこに
かきつばた が素敵に咲いている
それを見て

「かきつばたといふ五文字を句の上(かみ)に据ゑて、旅の心をよめ。」
と言ひければ、よめる。
唐衣(からごろも)
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
旅をしぞ思ふ
  
とよめりければ、
皆人(みなひと)、
乾飯の上に涙落として、
ほとびにけり。




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ふじわらのあさただ

2015-05-09 23:23:05 | 三十六歌仙
藤原 朝忠(ふじわら の あさただ、
延喜10年(910年) - 康保3年12月2日(967年1月15日))は、
平安時代中期の公家・歌人。
藤原北家、三条右大臣・藤原定方の五男。
三十六歌仙の一人。
官位は従三位・中納言。
土御門中納言または堤中納言と号する。
小倉百人一首では中納言朝忠。
(中略)
歌人として『後撰和歌集』(4首)以下の勅撰和歌集に21首が入集。
家集に『朝忠集』がある。
小倉百人一首の歌は『天徳内裏歌合』で六番中五勝した中の一首である。
また、和歌のほかに笛や笙に秀でていた。
《ウィキペディアより》




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天豆

2015-05-08 22:35:22 | 植物・茶花
築地に用事があると最近は
自分では行かない
頼んでいってもらっていたので
久しぶりだ
築地

ベジタブル石橋で野菜を買う
重い野菜は近所で買うので
今日の買物は
莢入りのえんどう豆
莢入りの蚕豆
白瓜、ウド、牛蒡、インゲン、
わけぎ、
何ということは無いが
築地へ行けば大丈夫
ないものはない
場外に八百屋は18軒ある

平日の午前中だが
築地は結構混雑している
ほとんどは観光客
外人も多い
歩きながら何かを食べ
嬉しそうにきょろきょろしている
行列の店もいくつもあり
縁日のようだ
築地はたのしい
ひとりでも楽しい
不思議と元気になる



《そらまめ》
ソラマメ(蚕豆、空豆、英: Broad bean または Fava bean、学名 Vicia faba)は、
マメ科の一年草または越年草。
別名、
ノラマメ(野良豆)、
ナツマメ(夏豆)、
テンマメ(天豆)、
シガツマメ(四月豆)。
和名の由来は、
豆果(さや)が空に向かってつくため「空豆」、
または蚕を飼う初夏に食べ、
さやの形が蚕に似ていることから「蚕豆」という字があてられた。
酒処では「天豆」と表示している場合も多い。
《ウィキペディアより》


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三級浪高魚化龍

2015-05-07 23:26:38 | 村雨庵 稽古 
ゴールデンウイークが過ぎた
今日から常のように
茶の生活が始まる
村雨庵木曜稽古だ

写真は鼓 花入にした
蘭や射干とかをシュッとした花を
入れたかったがうちには無い
裏に咲いていたユキノシタを使った
ご存じだろうか
白く小さい花弁には鮮やかな紅色の筋が入っている
よく見るととても可愛らしい

菓子屋さんから届いた菓子は
練りきりの花しょうと柏餅
いかにも 五月


今日の掛物は
三級浪高魚化龍

この禅語には対句があるようだ
三級浪高魚化龍、癡人猶戽夜塘水。

三級浪高くして魚龍と化し
痴人なお汲むやとうの水

『禅語字彙』には、
「禹帝治水の時、
龍門の瀧を切り開きて三段と爲せり。
此三段の瀧を、
春三月三日桃花の咲く時
鯉魚が跳び越へると、
火を發して尾を焦き
角を生じて龍となるといふ。
鯉魚が已に龍と化したのも知らずに、
愚人は暗夜の池水を汲み干して
鯉を探して居るは
見るに堪へぬ」とある。

《茶席の禅語より》





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茶会のおさそい

2015-05-06 23:11:48 | 茶の事
鬼に泣く子にはやるまい柏餅 小波

連休最後の今日
北側の窓を開けると
あることに気が付いた
蜂の巣だ 
たぶん

外に出て確認すると
裏の家の壁に小さいが確かにある
3メートル位の高さだ
虫取り網を買った
それを手にして
隣の家へ行った
裏側に蜂の巣ができているが
取ろうとしても届かない

その人は虫取り網の柄を持つや
バンと網を巣にかぶせ
ゴリゴリと引っ張る
案外しっかりついている
でも取れた
蜂の巣を取るのを初めて見た
蜂はいなかった



茶会のご案内

楽々会茶会
5月31日の日曜日
村雨庵小宅にて
小さな茶会を開きます
午前の席・10時半席入り
4名様ほど
濃茶・後炭・薄茶
会費は四千円
申し訳ありませんが
今回は都合でお食事はありません
点前は盆点の予定です


花丹茶会のご案内
6月12日の金曜日
場所・東京・目黒区役所
濃茶席と薄茶席
一番の席・10時30分席入り
二番の席・11時50分席入り
三番の席・午後1時10分席入り
会費は三千円
申し訳ありません
お茶席のみで
食事はありません

ご参加をご希望の方は
恐れ入りますが
コメント欄に
ご連絡先
メールと住所などを
ご記入くださいませ
のちほどご連絡させて頂きます
コメント欄は
パソコンには表示されません
内容は後日破棄いたします




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端午の節句

2015-05-05 23:36:40 | Weblog
今日は五月の五日 こどもの日である
火曜日は午後から片付け隊がひとりやってくる
ある会社に頼んでいるのだが
少しずつものを捨てて住みやすくなっている
ような気がする 私はその曜日に
留守をしていることが多いが
今日は私と一緒に片付けをした
思い切って捨てましょ
事あるごとにそう言われる
それで
思い切って捨てた
ひとりでは
迷ったら捨てないし
まして捨てようとも思わない
「捨てましょう」
を忘れぬようにしよう


菖蒲湯に入った
菖蒲の香りが懐かしい
五月五日は
五節句の一つ端午の節句 
菖蒲の節句ともいうらいい


端午の意味は
旧暦では午の月は
5月にあたり、この午の月の
最初の午の日を節句として祝っていたものが、
のちに5が重なるこの月の5日が
端午の節句の日になったという。
「端」は物のはし、
つまり「始り」という意味で、
元々「端午」は月の始めの午の日のことだった。
後に、「午」は「五」に通じることから毎月5日となり、
その中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになったともいう。
同じように、奇数の月番号と日番号が重なる
3月3日、7月7日、9月9日も節句になっている
《ウィキペディアより》




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薫風

2015-05-05 01:30:48 | Weblog
うすうすと窓に日のさす五月かな 子規

11時40分頃携帯が鳴った
ミカワ様だ
「今どこにいるの?」


今年の連休はどこへも行かず
炉風炉の交換と道具のかたづけをする
と決めた
押入れを開けて
風炉を出し縁の下を開けて灰を出す
あちらこちらに散らばって仕舞っている道具を
なるべく同じところにしたい
たちまち道具は部屋いっぱいに広がり
足の踏み場も無い
明日は文の会の予定だから
それまでに整えておこう
細い路地から
薫風が吹き込む
心地よいころだ
それほど暑くも寒くも無い頃
今日はゆっくり片付けだ
と思っていたら
電話だ
「今どこにいるの?」

待ちあわせは11時30分いつもの中華屋
「忘れてました はい 今すぐ行きます」

なんと明日だと思っていた文の会が
本当は今日だった
ガーン
どうしよう
そうだ考えれば4日だったが
火曜日だと思い込んでいた
広がった道具を寄せて
大きな布をかぶせたが
殆ど隠れない
見渡すと
とてもお客様をお招きできる状態ではない
掃除機をちょっとだけかけて
なんとか座る場所だけは確保した
あとは
諦めるしかない

勘違い、物忘れ、早飲み込み
出かける用事のダブルブッキングや
予約してある美容院や鍼の忘れ
ああぁ 我ながら
うっかり がっかり


写真は茶会の帰りに寄った
京都のいつものお菓子屋さん
ラ・ブチュウール
美味しいお菓子と珈琲
また行こう



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みなもとの しげゆき

2015-05-04 00:30:58 | 三十六歌仙
源 重之(みなもと の しげゆき、
生年未詳 - 長保2年(1000年)頃?)は、
平安時代中期の歌人。
清和天皇皇子貞元親王の子である従五位下源兼信の子。
子に有数・為清・為業・宗親・源重之女がいた。
伯父の参議源兼忠の養子。
官位は従五位下・筑前権守。
三十六歌仙の一人。

冷泉天皇が皇太子であった頃に帯刀先生(たちはきせんじょう)、
967年(康保4年)村上天皇が崩御し、
冷泉天皇が即位すると左右の近衛将監となり、
11月に従五位下に叙爵するが、
その後976年(貞元元年)相模権守を皮切りに、信濃守、日向守など
地方の微官に任ぜられるが
官職には恵まれなかった。
995年(長徳元年)以後、
陸奥守藤原実方に従って陸奥国に下向し、
その地で没したという。
享年は60余。
《ウィキペディアより》


小倉百人一首 48番 
風をいたみ 
岩うつ波の己のみ 
くだけて物を 
思ふころかな
   (「詞花和歌集」恋上210)




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金太郎

2015-05-02 23:35:26 | お勉強
写真は 金太郎と熊

最近金太郎と桃太郎と浦島太郎の
テレビCMをよく見る

金太郎とは

<伝説>
金太郎にはいくつも伝説が存在する。

静岡県駿東郡小山町の金時神社
(金太郎が祭られている神社)に記されたものによると、
天暦10年(956年)5月に誕生したという。
彫物師十兵衛の娘、八重桐が京にのぼった時、
宮中に仕えていた坂田蔵人と結ばれ懐妊した子供とされる。
八重桐は故郷に帰り金太郎を産んだが、
坂田が亡くなってしまったため、
京へ帰らず故郷で育てることにした。

成長した金太郎は
足柄山で熊と相撲をとり、
母に孝行する元気で優しい子供に育った。

そして天延4年3月21日(976年4月28日)、
足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、
その力量を認められて家来となる。
名前も坂田金時(きんとき)と改名し、
京にのぼって頼光四天王の一人となる。
なお、他には渡辺綱、卜部季武、碓井貞光が四天王に名を連ねる。

永祚2年3月26日(990年4月28日)、
丹波の国、大江山(現在京都府福知山市)に住む
酒呑童子を退治する。
酒呑童子は都に訪れては悪いことをするため、
源頼光や四天王たちが山伏姿に身をかえ、
神変奇特酒(眠り薬入り酒)を使って退治した。

坂田金時は寛弘8年12月15日(1012年1月11日)、
九州の賊を征伐するため築紫(つくし・現在北九州市)へ向かう途中、
作州路美作(みまさか)勝田壮(現在の岡山県勝央町)にて
重い熱病にかかり死去。
享年55だったという。

勝田の人々は金時を慕い、
倶利加羅(くりがら、剛勇の意)神社を建てて葬った。
その神社は現在、栗柄神社と称する。

以上が金時神社に記された金太郎の伝説である。
《ウィキペディアより》





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藤原氏

2015-05-02 00:18:43 | Weblog
写真は平等院の藤棚
平等院は藤原道長の子の頼通が
1052に道長の別荘宇治殿を寺院に改めたという
藤は藤原の藤だ


藤原氏は
姓の代表的なものの一つとして
源氏・平氏・橘氏とともに
「源平藤橘」(四姓)と総称され、
その筆頭名門氏族である。

中臣鎌足が大化の改新の功により
天智天皇に賜った「藤原」の姓が、
子の藤原不比等の代に認められたのに始まる。
鎌足が中臣氏の出身であるため、
祖は中臣氏と同じく天児屋命と伝える。

奈良時代に南家・北家・式家・京家の四家に分かれ、
平安時代には
北家が皇室と姻戚関係を結んで
摂関政治を行った。
藤原氏の一族は、
奈良時代から平安時代までは
本姓の「藤原」を称したが、
鎌倉時代以降は姓の藤原ではなく、
「近衛」「鷹司」「九条」「二条」「一条」
などの苗字に相当する家名を名のり、
公式な文書以外では「藤原」とは名乗らなかった。
これらをあわせると特に朝廷における比率は圧倒的であり、
地方に散った後裔などもふくめ、
日本においては皇室(およびその流れを汲む源平など)に次いで
大きな広がりと歴史を持つ家系である。
《ウィキペディアより》




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