啓蟄や指反りかへる憤怒仏 楸邨
加藤楸邨 カトウシュウソン
俳人。東京生まれ。
東京文理大卒。
水原秋桜子に師事し、
「馬酔木(あしび)」同人として活躍。
昭和一五年(一九四〇)「寒雷」を創刊主宰。
中村草田男、石田波郷とともに「人間探求派」と呼ばれた。
句集に「寒雷」「野哭」など。
明治三八~平成五年(一九〇五‐九三)
今日は啓蟄
読売カルチャーへ
2ヶ月休んでしまった
「秀吉と利休の話し」
秀吉の醍醐の花見
慶長三年三月十五日
1598.4/20
この花見で読まれた短冊は
重要文化財「醍醐花見短冊帖」として
今も醍醐寺の三宝院に保管されている
いつだったか
東京国立博物館の醍醐寺展で
ガラス越しに拝見したことがある
豪華な金箔の下絵に
サラサラと和歌をしたためて
優雅であること
この上なし
招待客は約1,300人。
秀吉は下見のために醍醐寺へ足繁く通い、
殿舎の造営や庭園の改修を指揮し、
醍醐山の山腹にいたるまで、
伽藍全体に700本の桜を植樹した。
場内には
八番の茶屋が設けられ、
茶会や歌会が催されたほか、
湯殿のある茶屋もあった。
参加した女性たちには
2回の衣装替えが命じられ、
一人3着ずつ着物が新調され、
衣装代だけで2015年現在の39億円に相当する金額がかかった。
と、それは知らなかった。
写真は春とは思えない景色だ