村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

霜月照清池

2010-11-25 23:13:35 | 茶の事
午後から自分自身の茶の稽古に出かける
この会は月に一度の稽古である
会員は13名
以前からの友人も何名もいるが
会で初めて知り合った方もいる
初めはバラバラで共通するものは
お茶を勉強しようという意気込みだけだったが
一年を過ぎると何となく
共通の色か
共通の音のようなものを感じるのだ
それぞれ明度や彩度は違うが
色は黄色系統
音はマリンバのような音で
高い人も低い人もいる
ようするに
明るくて気楽な・・・

今日の掛物は
大徳寺五百六世
小田雪窓の一行もの
後藤瑞厳の法を嗣ぐ
昭和四十一年に65歳寂

霜月照清池ソウゲツセイチヲテラス
虚堂録キドウロクにある
寒雲抱幽石カンウンユウセキヲイダキ霜月照清池ソウゲツセイチヲテラス
初冬の厳しい風景は
一切を捨て去った禅者の心境なのだろう
十一月の科目は
口切、長板総荘初炭、長板総荘濃茶、貴人清次濃茶付花月


写真は
自宅の床の間に掛っている
関精拙の画
箒ホウキと巻物
寒山と拾得を意味している

昔に通販で買った軸だ
箱は共箱では無い
小さな蕾という骨董の雑誌の通販に写真があり
筆の絵とあったが
隣に小さな巻物があるから
筆ではない
これは箒ホウキだと思う
力強く勢いがある
寒山は文殊菩薩の化身
拾得は普賢菩薩の化身ともいわれている
山も色づき
里も落葉の吹き寄せる
この大きな箒で
憂いや塵も掃き寄せて
きれいさっぱり捨て去れよ・・・
さすれば新しき心に
新しき知識もスイスイと染み入ろうものを



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おのれを慎め

2010-11-25 01:27:20 | 村雨庵 稽古 
木曜日の稽古はないので
今日は
11月最後の稽古日である
軸は直心是道場
光厳童子という修行者が、
騒がしい城下を出て、
閑静な修行場所を探していた時、
維摩居士に出会った、
光厳訊ねる「どちらから来られましたか?」
維摩答える「道場から来た」、
光厳問う「その道場は何処に」、
維摩居士は 「直心是道場ジキシンコレドウジョウ」と返答をした

「直心」とは素直な心、我見、我執のない真っ直ぐな心のことだ
それがあるば世界中どこでもどんなに大変な時でも道場となりうる
どこでも勉強はできる

棚を出して小習いの稽古
各自貴人点の濃茶、薄茶とか
貴人清次の濃茶と薄茶などしていた
棚は円能斉好みの壺々棚
利休好みの山里棚を出した
炭の点前は 初炭でも後炭でも
なんでも出来る事
特に濃茶は湯相が肝要であるから
美味しい濃茶を差し上げる為にも
炭手前は肝要

先日あるイベントがあり
「あの人は自分の事ばかり考えて、いつでも自慢ばかり、ホントに勝手な人なの。わがままでしたい放題、そばにいると気分が悪くなるわ、近くの席になど座りたくないから、一時間前に来て席の順番を取ってもいいかしら」
という人がいた
どうぞと言うものの実際は
席取りの為だけに一時間前に来てもらっては困るのだ
それでは予定の少なくとも30日分早く用意をせねばならない
貴方が文句をおっしゃっている自分勝手の人の話は
全て貴方にも当てはまるのに
あなたにはわからないらしい

不思議である
人の欠点はこうも ありありと わかるのに
自分の事はチラとでもわからないものだ
誰も注意をしてくれないから
だから 自分で自分を顧みないといけないのだ
昨日の茶会で
客から褒められると
「そうなんですよ、上手でしょう。みんな褒めてくれますよ」と初めから終わりまで得意満面な席主がいたが・・・
誰も何も言わないはず
気分の良いのはその亭主だけ
お客様の気持ちなどは考えていないから
茶会をしても
茶にはなってない


わがお弟子には常に
茶会でお客様に褒められたら、決して同調しない事
良いでしょうとか 自分側の道具を絶対褒めない事

茶事や茶会はお招きして
その時の精いっぱいの
良い道具を出すのは当たり前の事だ
良いところを見つけて
お客様は褒めて下さるのも当たり前だ
それに褒めるのにもランクがある
もっともっと上等のものがあるけれど
「まあまあ良いです」と言う事なのだから

最上級ではないのだから 
自分側を褒めない
人の欠点はすぐにわかるが
自分のことは見えないから 
案外
誰しもがやってるかもしれない
そう言えば 私めも 
自分勝手でしたい放題である
人のことより 
まず
おのれを慎まないと・・・




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