年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

検索技術の向上

2019年04月14日 | 宅老のグチ

10年ほど前に長井昌言とパソコンに打ち込んで検索した。殆んど何も出なかったが北海道大学の論文がPDFで出てきた改革派の幕臣の一人で出自は不明とあった。

グ-グルブックの検索で原田清著作集(幕末政局の動向)と日本史研究476巻103ペ-ジ(2002年)と文献に出てくる。どうやら徳川家茂が京都滞在時期、小栗・京極・長井昌言が京都でクーデ-タ-を計画し、それが幕府内部から漏れ攘夷派浪人の暗殺情報が在ったようで長井らは退職願いを出したようだ。彼ら3人は積極改革派で小栗のように幕府を見放し、徳川の家臣として行動するより日本を守る意識があったという。国内の勅許を得ず条約締結は攘夷による外国との戦争は日本の破綻となることを避けることだった。

 これで長井昌言が堺町奉行から京都町奉行に異動しても赴任しなかった理由が判明した。さらに維新後旧幕臣が大部分静岡に行ったが、長井は明治政府に仕事を得た。鉄道寮で明治5年新橋・横浜間の鉄道開業時に役人として官員名簿に載っている。

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