年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

二本松のこと

2013年06月16日 | 宅老のグチ

テレビで二本松少年隊の悲劇が放映される。会津の白虎隊にと比較して生存者が多いのに語られることが少ない。これは二本松藩の戊辰戦争の複雑な戦いがあり、藩内部の混乱もある。
 郡山の石井研堂、二本松の高橋太華の関係からも見ることが出来る。福神漬の資料調査で郡山へ行ったとき、宮本百合子文学の発祥地であることを知った。彼女の父は建築家で曾根達蔵と共に三菱関係のビルを設計している。郡山市開成館には石井研堂の小学校時代の校長だった御代田(みよだ)豊先生の影響が大きい。御代田は開成館にも関係していたようで福島の中通り地方の感情は複雑である。戊辰の傷は平成の今にも残っていて、県庁所在地を郡山へという看板がむなしい。
 震災と放射能で新たな傷が増え、今後の福島浜通り地方はどうなるのだろうか。今開成館付近の放射能の数値はどの位になっているのだろうか。漏れ聞く話では福島市の小学生は今でも公園では遊ばないという。本当なのだろうか。
 二本松のキュウリの生産者組合に今年も漬物用キュウリを頼んでいる。やっと本当の支援となる。
コメント
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