えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

かすかな希望を抱いて幸せを自慢する尊大な手紙。重複掲載御免。造花仏花の造花輸入卸売問屋ニューホンコン造花提供

横山英治氏を偲ぶ「正義感が強く努力家、そして」

2017年09月18日 14時46分18秒 | 大阪、生野
 みなさん こんにちは
 
 「正義感が強く努力家でした」

 妻洋子さんの挨拶に、葬儀に参列していた誰もがうなづきました。
 横山英治さんと知り合ったのは15年前、当時大阪商工会議所生野支部の異業種交流会だったフォーラム・アイ(FI)が、「生野を日本のミラノに」と壮大なはったりをかまして、生野を元気にしようと活動を活発化させた時でした。毎日新聞に載ったその記事を見た彼が、一目散に駆けつけてくれました。

 遺影の写真は白いタキシードに水色のシャツ、紺の蝶ネクタイの胸元には青色のポケットハンカチーフ、そして白いハット。斜に構えながらも顔はきりりとこちらをまっすぐに見据えています。洋子さんの「正義感が強く努力家でした」にもう一つ形容詞をつけるなら「ダンディ」、そのものです。

 読売テレビというマスコミに在籍していて、こちらも一時は毎日新聞に席を置いた身、はからずも同い歳。気が合わない訳がなかったのかもしれません。フォーラム・アイで毎夏開催している平和を考える勉強会も彼の手助けが無ければ9回も続かなかった。尊大かもしれませんが、こちらは一番の理解者と信じていたし、彼もこちらを一番の理解者と感じてくれていたはずです。

 生野を日本のミラノにの夢はついえたままです。普通のマスコミ人なら、その時点で去ってしまいます。しかしながら彼はひつこくもフォーラム・アイにとどまり、生野の中小零細企業のおっさん、おばはんとの付き合いを続けました。何の得もないのに。

 その間、在日韓国朝鮮人の方が多くお住まいの生野で、韓国語も一緒に習い、韓国へも旅しました。彼はこちら以上にのめり込み、同じ仲間の故・高仁鳳さんと自転車での済州島旅行までも。

 彼を15年間も生野に引きつけた理由はどこにあったのでしょうか。彼が生野に足を運ぶのは何の疑いもなく当たり前のように思っていましたが、振り返ると有り難いことです。その理由を尋ねぬままに逝ってしまいました。色んな事象に、深い知識で理路整然と延々としゃべる彼に、もしその問いをぶつけたら、

 「岡田さん。リビングフィールド、生野はこれからですよ。へへ」

 と独特の調子で、優しく笑顔ではぐらかされたことでしょう。その笑顔は今も私を励ましてくれます。しかし、高仁鳳さん、新井明夫(朴正泰)さんに続き、よすがにする友を亡くし、悲しみ深く途方にくれてしまいます。
 たった15年だけれど、良い友と幸せな同時代を過ごせたことを誇りに思い、もう「ありがとう そしてさよなら 」とつぶやくのみです。

 横山英治さん 2017年9月7日逝去 享年56歳

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コメント (2)
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