母の四十九日満中陰は12月30日でした。しかし、師走も押し迫った大晦日前日に、お参りしてもらうのは心苦しく、法要は一週間前の四十二日の23日に我が家で行い、35人ほどの親類に集っていただきました。
法要の後の会食は近くの料理屋さんにしました。しかしそれでも自宅に大勢の方に集まってもらうための準備は一仕事です。そのほとんどを妻がしてくれました。姉や妹にも手伝ってもらいましたが。
写真はその準備の一つ、ハンガーです。冬場にいらっしゃるのだからコートをかけるのが必要だろうと妻が用意しました。とてもありがたい。
そんなこんなで、11月11日から、母宏子の危篤、看病、死去を伝えてきました物語も満中陰の今日で終わります。とても幼いのでしょうが、書かずにはいられない気持ちでこれまで書いてきました。長々と個人的な話にお付き合いいただきありがとうございます。また思い出したように、母を話題にするでしょうが。
法要の後の会食は近くの料理屋さんにしました。しかしそれでも自宅に大勢の方に集まってもらうための準備は一仕事です。そのほとんどを妻がしてくれました。姉や妹にも手伝ってもらいましたが。
写真はその準備の一つ、ハンガーです。冬場にいらっしゃるのだからコートをかけるのが必要だろうと妻が用意しました。とてもありがたい。
そんなこんなで、11月11日から、母宏子の危篤、看病、死去を伝えてきました物語も満中陰の今日で終わります。とても幼いのでしょうが、書かずにはいられない気持ちでこれまで書いてきました。長々と個人的な話にお付き合いいただきありがとうございます。また思い出したように、母を話題にするでしょうが。