中国禅宗の始祖・菩提達磨は、その生まれを南インド香至国王第三子とも、西方ベルチアの人ともいわれ、今も謎につつまれた人物だそうです。
520年頃に中国に渡り、嵩山(すうざん)の少林寺での厳しい修行は有名で、九年もの歳月を壁に向かって座し、悟りを開いたという「面壁九年(めんぺきくねん)」の故事が伝えられています。
そのときに、あまりにも長い間身動きしなかったため、手足が腐って落ちたといわれています。
大乗安心の法を説き、人々に生きる喜びと力を与えた菩提達磨は、150歳あまりの長い生涯の終わりを日本で迎えたともいわれています。
あくまでも、伝説です。
昔、碓氷川のほとりに観音様を祀るお堂がありました。
ある年の大洪水のあと、村人たちが川の中から香気のある古木を引き上げて霊木として観音堂に納めておきますと、延宝八年(1680)一了居士(いちりょうこじ)という行者が霊夢によって訪れ、信心を凝らして一刀三礼、達磨大師の座像を彫り上げ観音堂にお祀りしました。
この噂は「達磨出現の霊地・少林山」として近隣に広まりました。その頃の領主・酒井雅楽頭忠挙公(さかいうたのかみただたか)は厩橋城(前橋城)の裏鬼門を護る寺として、水戸光圀公の帰依された中国僧・東皐心越(とうこうしんえつ)禅師を開山と仰ぎ、弟子の天湫(てんしゅう)和尚を水戸から請じて、元禄十年(1697)少林山達磨寺(曹洞宗寿昌派)を開創しました。
享保十一年(1726)水戸徳川家から三葉葵の紋と丸に水の徽章を賜い、永世の祈願所とされました。
このお寺の、九代目住職東嶽和尚が1782年(天明2年)から 1788年(天明8年)の「天明の飢饉(ききん)」に苦しむ農民の副業として達磨の木形を彫って紙張抜き達磨を近くの農民に作らせ同山七草の縁日に売り出されたのが、達磨の始まりです。
日本各地に伝わる郷土玩「起き上がり小法師」と呼ばれる底に重りのついた達磨が作られました。
「転んでも、転んでも心配することはありません。その度に起き上がり、また、一から始めなさい。今度はきっとうまくいくでしょう」これが「達磨の心」です。
少林山達磨寺の福達磨は、「七転八起」の教えをもとにつくられ、菩提達磨の慈愛の心そのもとに縁起物として、多くの方々に大変親しまれています。
しかし、七回転んで八回起きることは出来ません。七回転んだら七回しか起きられません。
この達磨の特徴は、「まゆは鶴」、「ひげは亀」を表し、達磨の赤色は家庭が明るく円満でありますようにとの願いをこめ、縁起ものとしてたくさんの人々に親しまれています。
赤い達磨は、諸病厄を除け、家内安全・商売繁盛・交通安全を願い、白い達磨は、幸せを呼び、婚礼寄せ書用などとして、広くたくさんの人々に親しまれています。
片目を墨で塗り願掛けをするのは、江戸時代の養蚕農家(ようさんのうか)がそのようにしたところ良い繭が出来たというのを商人が真似て広がったそうです。
ちなみに、左目を黒く塗って祈願し、成就したら右目を入れるそうです。
また、「験(げん)を担ぐ」とよく言いますが、「験(げん)」とは、「縁起(えんぎ)」が「ぎえん」となり「げん」と転訛した言葉です。
それにしても、9回に転んだダルビッシュ。惜しかったね~。
したっけ。
本日の主題は、最後の絵にあるだよ~!違うか・・・!
3で転んで4で起きるリズムなら、9転び10起き!
若いダル君、チャンスはまだまだ!
都月せんぱ~い、長い間身動きしなかったら、壊死するの?
どうしよう~しゃべらずにいて、口がそうなったら。
今日は達磨さんなんですね^^?
いいと言われるとなんでも揃えたくなってきます^^
人は1時間じーっと座ってると命が縮むんですってね。
一昨日テレビであってました。
でも達磨さんは長生きされてよかったぁ^^
七転び八起きはどうする?爆
ダルビッシュ
君は英雄だU\(●~▽~●)Уイェーイ!
そうだよ~。
何で最後、ピッチャーゴロにならないんだ。
大丈夫ですよ。全身が壊死しても口だけは生き残りますから・・・^^
したっけ。
ありがとうございます。
え~そうなんですか。
それじゃあ、座禅は体に悪いですね^^
したっけ。
そうでしょう。みんな騙されてたんですよ。
すいごいね、ダルビッシュ^^
したっけ。
ダルちゃん、惜しかったね。。
そうですね。がんばっれってことなんですが、冷静に考えたら無理ですね。
ダルビッシュは惜しかったよ~^^
したっけ。
でも、まだ若いからこの次ですね。
そうですね。
でも、実力だけでなく運もありますからね~^^
したっけ。