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鰯雲が流れる午後

2009-04-10 16:02:53 | 短編小説

「鰯雲が流れる午後」

都月満夫

 麻子は現在三十二歳で、今春結婚のするはずであった。彼女の婚約者は、以前、麻子の父親の部下であった。今は役場の建設水道部建築住宅課建築係の係長であった。

 麻子は、私が勤務する建設会社の社員で経理課に勤務している。目鼻立ちがはっきりして、社内で一番の美人として誰もが認める存在であった。仕事ぶりもてきぱきしていて責任感も強く、私が信頼している部下である。

 麻子には「過換気症候群」という病気があり、時々その発作に苦しんでいる。

「過換気症候群」とは緊張、不安、興奮、恐怖、疲労などが原因で発作的に速い呼吸を繰り返し、呼吸が苦しくなる病気である。発作中は血液中の炭酸ガスが極端に減って、血液が強いアルカリ性になり、手足のしびれあるいは全身の痙攣を伴った強い不安状態に陥り、失神することもある。二十五歳から三十五歳の間が発病のピークであり、男性より女性のほうに発症割合が多いという。対処処置としては紙袋等を口に当て自分の息を吸い、血液中の炭酸ガスの濃度を上げることにより過呼吸の症状が消失していくという。

麻子に初めて過換気の症状が出たのは、七、八年も前であった。彼女がまだ二十四、五歳いであった。今春結婚するはずであった彼と最初に付き合っていた頃である。

一歳年上の彼との付き合いが上手くいかず、悩んでいた頃であった。

麻子の父親は、彼をことのほか気に入っていたのだが、彼女はそれほど乗り気ではなかった。かといって、どうしても嫌だというほどでもなく、気持ちを決めかねていた。

そんな状態のまま、ズルズルと付き合っていたようだが、二年も続かないうちに、関係は自然消滅をしてしまった。

 その後、父親との仲も気まずくなり、麻子は新たな悩みを抱え込んでしまった。

 それが原因なのか、麻子は、会社でもしばしば過喚起の発作を起こすようになった。その度、彼女は休憩室でビニール袋を口に当て、症状を落ち着かせていた。

 やがて、麻子は私に悩みを相談するようになった。私は娘のような年代の麻子を本当に心配して、何とか普通に仕事のできる環境を作って上げたかった。それだけのはずであった。しかし、二人は月に一、二度食事をして関係を持つようになってしまった。 

 いつしか、二人の社内での会話は裏の意味を持つようになり、慎重かつ緊張感溢れるものとなった。私と麻子の仲は誰にも気付かれることもなく、密かに続いていた。

 気がつくと、麻子は発作を起こすこともなくなり、平静を取り戻していた。

 突然、麻子が私との仲を解消したいと切り出したのは、去年の春であった。

 麻子は以前の婚約者と縒りを戻し、結婚すると私に告げた。父親が役場を退職したのが、切っ掛けになったと、麻子は言った。

 私は、麻子との思いもよらず始まった関係が、重荷になっていたので、多少の未練を装いながら、安堵の心を隠して承諾した。

 三十歳を過ぎた麻子と彼の関係は、以前とは違い順調のようであった。夏が過ぎ、秋が終わる頃には、来春結婚するので、二月に退職したいとの申し出があった。

 正月休みが明けると、麻子は、かなり饒舌に、父親の話をするようになった。父親との仲も修復でき、嬉しそうであった。しかし、結婚を控えて、彼の話ではなく、父親の話をする麻子に、私は奇妙な違和感を覚えた。

 麻子の話によると、父親は自分を溺愛しているという。自分の身の周りことは小さいときから、父親がすべてやってくれたという。

 家庭内の家事も父親がやっていて母親は洗濯ぐらいしかすることがないという。高校時代から、お弁当は父親が作っていると、麻子は自慢げに話した。

去年の秋に麻子が、親元を離れ市内にマンションを借りてから、昼食がコンビニ弁当に変わったのはそのせいなのだ。思えば、麻子が部屋を借りたのは、結婚の準備のためであったのだろう。

 麻子は結婚に向かって、親元を離れ必死に親離れをしようとしていた。

 しかし、運命は残酷であった。麻子の婚約者が勤務中の交通事故で突然命を奪われてしまったのだ。まだお正月の気分が抜けない、一月半ばのことであった。

麻子は当然のように落ち込み、精神状態が不安定になった。

私は、気持ちが落ち着くまで、暫く会社を休んでもいいと彼女に勧めた。しかし、「部屋にいると、気持ちが滅入るので勤務に着きたい。」と、麻子は一週間ほど会社を休み出社した。その後、麻子は退職を取り消し、就業を継続することになった。

麻子の彼が交通事故で亡くなってから、彼女の父親は頻繁に部屋を訪れるようになったという。父親は年金生活のため暇をもてあましているらしい。そのため夕方、麻子がまだ勤務中に、部屋に来て、夕食を作ってくれることも度々あるという。「だから、お料理がちっとも上手にならないの。」彼女は幸せそうに笑いながら言った。

雪が降ると父親は除雪に来る。朝、麻子が起きる前に、駐車場の除雪を終えて、朝食まで作ってしまうという。自分のことが心配でたまらないのだという。

麻子が以前のように、父親の話をするようになった三月の初旬、私のもう一人の部下である紀香が結婚のため退職することになった。既に妊娠しているので、結婚後の勤務は難しいとのことであった。

紀香は丸顔の明るい人柄で、麻子より一歳下である。二人はとても仲が良かった。仕事も良くできて、特にパソコンの操作については、麻子は紀香を頼りにしていた。

 紀香の代わりとして、綾子という十九歳の女性が入社した。当然、麻子に負担がかかり仕事量も多くなっていた。麻子は紀香が退職した後も連絡を取り、綾子の仕事に対する愚痴をこぼしていた。明るい性格の紀香は麻子の話を嫌がりもせずに聞いていた。

 紀香が退職してから一ヶ月ほどした頃、麻子に過換気症候群の症状が再発した。紀香が退職して自分ひとりで仕事のプレッシャーを感じてしまったようだ。一週間に一度位の間隔で過換気症候群の症状が起きていたが、麻子は前回の経験から袋を常備していた。その都度、彼女は私に合図をして休憩室で袋を口に当て症状を治めていた。

 麻子は五月の桜の花が咲く時季になってから、朝が起きられないとか、心臓がドキドキすると言うようになった。胸が苦しくなることがある、胃がもたれる、頭から血が抜けていく、フラフラするといった具合である。病院で診察して、心臓の検査をしたり、胃カメラを飲んだりしても内科的な異常は見つからなかった。

 七月になってからは、朝が辛いと言って遅刻するようになった。綾子の仕事ぶりはまだまだで、私は麻子の仕事までも手伝わなくてはならなくなった。私は彼女たちの仕事をすべて掌握しているわけではない。麻子に立ち直ってもらおうと必死であった。

 私は彼女の症状などから、インターネットで病名、症状などの検索を繰り返し「パニック障害」という病気にたどり着いた。

 「過換気症候群」も「パニック障害」の症状の一つで、そのほかに心臓がドキドキする、胃を掴まれたような感じとか、頭に霧がかかっている感じ、気が狂うのではないかという不安、痺れ、寒気、ほてりなどがあり、いずれも内科的には異常がない。更に死への恐怖そして鬱の症状などが現れるという。

私は麻子に病院の精神科の診察を受けるように勧めた。初めは嫌がっていたが、私が調べた症状をプリントした紙を見せると、自分の症状と合致することばかりで、今までどう表現していいか分からなかった症状まではっきりしたと、喜んで診察を受けに行った。

 診察を受けた後の麻子は晴々とした表情であった。やはり「パニック障害」であったといい、医師が長髪の若い先生であったことまで話して、少し興奮気味であった。

その後は、多少の波があるようであったが、大きな発作もなく順調であった。病院で処方される精神安定剤が彼女の気持ちを落ち着かせているようであった。

仕事中にたびたび休憩室に行き、遅刻の多い彼女に批判的な役員もいた。私は精神的な病気は現代病であり、誰もが発病の可能性があることを知っていた。そのことを理由に、彼女を退職させることは納得できなかったので、麻子を擁護していた。

「課長、いつもご迷惑をかけて申し訳ありません。」

「いいんだよ。君がいないと困るのは私なんだから。そんなことは気にしなくても…。」

 麻子は体調の良いときは、本当に頑張って仕事をしてくれる。しかし、それは自分が迷惑をかけているという気持ちの表れでもあった。パニック障害については私もかなり知識が増えていて、あまり気を使いすぎたり、頑張ったりすることがストレスとなることが分かっていた。

「麻子君、そんなに気を使ったり、頑張ったりしなくてもいいんだよ。もっと気楽に仕事をして、病気を早く治そうよ。」

「でも、それでは課長が毎日残業で…、申し訳ありませんから…。」

 いつの間にか、そんな会話が挨拶のように交わされるようになった。

 

秋口に入り、麻子の状態がほとんど正常といえるほど安定してきたので、父親は役場の嘱託の仕事に就いた。近頃は、日曜日しか顔を出さなくなったらしい。しかし、それが麻子の不安感を呼び覚ましてしまった。

発作を起こした時に誰も自分を助けてくれないのではないかという、予期不安である。

麻子は車で通勤していたが、事故を起こすのではないかという不安のため運転もできなくなった。病院の診断では二週間の休養が必要であるとされた。鬱を併発したようだが軽い抗鬱薬ですぐに回復するという診断書が提出された。

私は以前勤めていて、結婚のため退職した春菜と連絡を取った。彼女は麻子と同じ歳で、今でも食事に行ったりする仲である。私は事情を説明し、一ヶ月か二ヶ月になるか分からないが、仕事を手伝ってくれないか聞いてみた。彼女は既に麻子から話を聞いていて、快く引き受けてくれた。

 麻子が休養に入って一週間がたった。春菜のおかげで仕事も順調であった。私は昼休みに麻子の部屋を訪ねた。仕事で聞きたいこともあったし、様子も見ておきたかった。

 麻子はジャージー姿のまま、気だるそうに私を迎えた。

「どうぞ…。」

「大丈夫か?辛いんだったらこのまま帰るけど…。」

 麻子はかなり痩せたようだ。もともと細身の身体が更に細くなった。視線はゆっくりと移動し目はくぼんで見えた。

「どうぞ、座ってください。薬の副作用で頭痛がしてぼんやりするの。でも大丈夫。」

「仕事のことは春菜君が来てくれているから心配しないで休んでいていいよ。」

「課長、私何処かへ旅行しようかな…。雲っていいよね。ふわふわと空に浮かぶ雲…。自由に形を変え、行く先は風に任せて、何も考えなくていいなんて…、羨ましい。この部屋にいても気が滅入ってしまうし…、雲みたいな旅がしたい…。」

「何を言ってるんだよ。今は何も考えずにゆっくり休養して、治ったら又一緒に仕事をしようよ。」

「でも、春菜がいるから…、私の仕事もうないんでしょ。」

「そんなことないよ。春菜君は麻子君が治るまでのピンチヒッターだから大丈夫だよ。」

「本当。私の仕事なくならないよね。私、彼が死んじゃって、仕事までなくなったら、生きている価値なくなっちゃうから…。」

「そんな心配ばかりしていると、病気は治らないぞ。」

「そう…、私もそう思う。このまま治らないような気がしてきたの…。」

 まずいことを言ってしまった。

「もう、死のうかと思って、夕べ旭川の妹に電話したの。そしたら、美智子、妹は美智子っていうの。美智子が、今度の日曜日、こっちに来るから、なんか美味しいものでも食べに行こうって…。私も美智子と美味しいもの食べてからでもいいかなって思って…。」

「…。麻子君、最近ご両親は来ないのかい。」

「二人とも働いているから。日曜日に来てくれたけど…。私、月曜日から金曜日の今日まで…。その間一人で家にいて、発作が起きたらどうしよう…、誰も助けてくれない。そのまま死んじゃうのではないか…と不安でたまらなかった。でも今日、課長が来てくれて嬉しかった。ねえ、私、大丈夫だよね。私、綺麗だよね。」

「ああ、大丈夫、綺麗だよ。それより、暫く実家に帰ったらどうなの。ご両親といたほうが安心じゃないの。」

「まだ帰れない。私は本当に彼が好きだったのか、父の喜ぶ顔が見たかったのか、確かめるまでは帰れない…。」

「そうか…。」

「それより、課長が来て…。毎日昼休みに私を見に来て…。それで私…安心する。」

「…。」

 私は困惑していた。私たちは、もう以前のような関係ではない。かといって、断ると麻子の不安を助長しそうな気がする。

すると突然、麻子がジャージーを脱ぎ、痩せ細った肢体が曝しだされた。窓から降り注ぐ午後の光線が、針金細工のような影をフローリングの床に描いた。

「課長、さっき、私がまだ綺麗だといってくれましたよね。だったら私を抱いて…。毎日私を抱きに来て…。以前のように、麻子を抱いて。お願いっ…。」

 麻子の心を映す鏡は歪んでいた。映し出される歪んだ思考の中で、彼女は踠いていた。

 窓から見える公園の桜の木に、小春日和の日差しを受けて、一輪の花が咲いていることに気づく人はいない。

空には、白い雲が静かに流れていた。晴れ渡った、透きとおるような秋空であった。

それから暫らくして、麻子は退職した。

私は、自宅に近いスーパーで、妻と買い物をしていた。そこで、偶然麻子と出会った。会社を退職し、体調もよくなったという。半年ほど前に父親を癌で亡くし、引越しをしたといった。

「課長の家の近所に引っ越してきちゃったの…。ヨロシクね。」

麻子は、鈍器のような緩やかな視線を、私ではなく、隣にいた妻に投げかけ、微笑んだように見えた。

妻は驚きの表情を隠しきれず、刃物のように鋭い視線を私に突き刺した。

私は、麻子の狂気と妻の疑惑の視線の三角形の頂点で、存在を消滅したかった。

麻子の退職から、一年ほど経った、秋晴れの、鰯雲が流れる日曜の午後であった。

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