信楽の狸は、信楽初代狸庵陶芸家「藤原鐵造(三重県の槙山生まれ、1876~1996)」の体験から生まれたそうです。
若くして京都で修行していたある夜のこと、不思議な大狸小狸が月光に照らされて、腹鼓を打っていたのを見たそうです。
親方に話すと、「それは滅多に聞けぬ狸の腹鼓だ」と教えられたそうです。
それ以来自分で小狸を飼い、観察してから後1935年、本格的に縁起物としての狸を作り出したとのことです。
福々とした狸が編み笠を被り少し首をかしげながら徳利と通帳を持って突っ立っている型が定番となっています。
置物狸の原型は、江戸の手まり歌に、「雨のしょぼしょぼ降る晩に 豆狸が徳利もって酒買いに・・・」という一節があり、それをヒントに作られたそうです。
信楽焼の狸は「他を抜く」と言う洒落で「商売繁盛」として店の軒先に置かれることが多いです。
信楽焼の狸には「信楽焼八相縁起」と呼ばれる決まり文句があります。
① 「笠」は災難から身を守るもので用心や準備
② 「目」は物事を正しく見つめ気配りが出来る目
③ 「顔」は愛想良く誠実にふるまう笑顔
④ 「腹」は大胆な決断力
⑤ 「徳利」は人徳
⑥ 「通帳」は信用
⑦ 「金袋」は金運
⑧ 「尾」はしっかりと身を立てることが真の幸福
また「杖」を持つことで転ばなくて済み、幸運をつかむという意味があります。
これはご存知かと思うのですが、昔タヌキの皮は、金箔を作るのに使われていました。
小さい金の玉(一匁目)をタヌキの皮に包んで、小槌で叩いて伸ばすと、八畳敷きまで伸びるとされて、「金袋」が金運の縁起となりました。タンタンタヌキの・・・・・
■おまけ―タヌキの腹鼓―
明治十七年(西暦一八八四年)の『郵便報知新聞』に、タヌキの記事が載りました。ある家で飼われるタヌキが、腹鼓を打ったというのです。 その家は、清水東谷という人の家でした。清水氏は、日本の写真師(写真家)の草分けの一人です。記事には、タヌキが腹鼓を打つ様子が、克明に書かれています。たいへん具体的なので、本当のことではないかと、ちょっと考えてしまいます。 この「腹鼓を打つタヌキ」は、夜に、その様子を目撃されています。明治時代の夜は、今よりずっと、暗かったでしょう。電灯など、ありませんからね。家の中で、何かの音がしても、その正体を見極めるのは、難しいです。ごそごそ動くタヌキを見て、「腹鼓を打っている」と、勘違いしたのではないでしょうか。
ちなみに、「タヌキの腹鼓」の俗信は、タヌキが夜行性であり、夏祭りの夜にたまたまタヌキに出会った人が「祭の太鼓」を勘違いしたのでは・・・、といわれています。
したっけ。
縁起物として、完璧じゃないですか~。
一体欲しくなりました。
あの・・・八畳敷きってそういう意味だったんですか!
叩いて伸びるのは、他のものかと今まで思っていました。
猫背のタヌキは、オコゼの刺身を買って帰ったんですね。
え、今までなんだと思ってたんですか?
まさか、・・・。
そうそう、オコゼの刺身です^^
したっけ。
かわいいタヌキさん。
信楽の狸さんも縁起物なんですね^^
狸を置くのはちょっと勇気がいるみたい^^
でも見てるだけでいいことありそうな
ほんわかした、かわいい顔ですね(*^。^*)
商売繁盛の置き物には間違いないよね^^
いつもありがとうございます♪
たぬきの置物は大阪に住んでいる時に信楽に
行きたぬきを3個買ってきてマンションは1階の
専用庭付きに住んでいましたので庭に出る階段
に飾ってこちらに越してくる時1個は野良猫に割
られて2個こちらに持ってきて1個割れましたので
1個になり隣の愛知県の瀬戸市に行く途中にたぬき
の置物がたくさんありましたので寄りましたら信楽焼
きのたぬきが大きいのから我が家にあるたぬきと同じ
サイズがありたぬきの左腕にカエルとふくろうを抱いた
たぬきの置物を買い足して庭の階段に飾っています。
縁起がいいと聞くと探して買ってきます。
そうですね。
しかし、信楽狸の起源が面白いですね。
したっけ。
はい、間違いありません^^
したっけ。
カエルとフクロウを抱いた狸!
それは、三重の縁起物ですね^^
したっけ。
そうなんですよ。
知恵と理屈ではどうにもならないことを、そういう縁起物に頼ったのでしょうか^^
したっけ。