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小説『クラスメイト』

2016-04-01 00:00:00 | 短編小説

都月満夫

 

 

 私は、阿寒町と弟子屈町の区間、通称阿寒横断道路を、弟子屈に向かって、車を飛ばしていた。

一九六八年十一月の日曜日のことだ。季節外れの観光道路を走る車は、ほかに見当たらなかった。

 私の車のヘッドライトだけが、黄昏の空を照らしたかと思うと、山蔭の暗い山肌を、スライドのように照らし出していた。

くねくねとヘビが進むようなカーブと、ジェットコースターのようなアップダウンが、激しく繰り返される道だった。ヘッドライトの向うに見える景色は、猫の目のように変わり続けた。

 そのたびに、私は昂りと鎮静を繰り返す。

 リアガラスは、後ろが見えないほどに埃にまみれていた。

 何故、私がこんな季節に、こんなところを一人で車を運転しているのか…。

 それは、二時間前に、作田恵子から家に電話があったからだ。

「ねえキミ、迎えに来てくれない?」

「え、いいけど…、何処に?」

「弟子屈の警察…。待っているわね」

 それだけ言うと電話は切れた。理由などない。いつものことだ。それが、彼女だ。

近辺だと思ったら、弟子屈。弟子屈って急に言われても…と思ったが、私に選択肢は与えられていない。彼女は、待っていると言って電話を切った。直ぐに出掛けるしかない。

 私と彼女の関係は、恋人というわけではなかった。親しい友達でもなかった。ただの高校のクラスメイトだった。

 しかも、学校では、ほとんど話したことがなかった間柄だ。二人の恋人とも言えない、友達とも言えない、微妙な関係が始まったのは、二年前の、高校の卒業式のことだ。

 

 私は、誰もいなくなった教室に居た。ぼんやりと外を見ていた。行く大学もない。当然就職先も決まっていない。この教室から出ていくのが怖かったのかもしれない。

「ねえ、キミ…。まだ居たんだ」

 振り向くと、作田恵子が居た。いつもの彼女とは様子が違う。後ろで手を組み、もじもじしている。

「作田さん、どうしたんですか?」

「あ、まだ付いていた。よかった」

「何のことですか?」

「キミの、第二ボタン」

「え…、第二ボタン?」

「第二ボタン…、わたしにちょうだい」

 突然の要求に、私は驚いた。

「僕の?」

「そう、キミの…」

 当時、学生服の第二ボタンは、大切な人に渡すものだった。心臓に近いため、ハートを掴むという意味があった。

これは、詰襟学生服のはじまりが、軍服からだといわれていることによるらしい。

戦時中に強制的に戦争に行かされた若者たちが、もう二度と帰ってくることができないかもしれない旅立ちの日に、一番大切な人に思いを伝え、形見として、軍服の第二ボタンを渡していたそうだ。

そんな悲しい歴史が、戦後二十年を経て、今は卒業式のブームになっている。

 何故、私なのだ? 彼女には、好きな人がいると思い込んでいたので、困惑した。

「何考えているの? 早くちょうだい。わたしだって、恥ずかしいんだから…」

 彼女は珍しくうつむいて顔が赤くなった。

 私も顔の血管が膨張するのを感じた。

「本当に僕の、…ですか?」

「そうよ、キミの…。ほかに誰がいるの? わたしじゃ、嫌なの?」

「そんなことは、ありませんけど…」

「じゃあ、ちょうだい」

 この場合、渡してもいいのだろうか? 渡すってことは、好きだってことにはならないのか? どうしていいか、分からなかった。

「早く、ちょうだい」

「あ、はい…」

 私は、催促されて、無意識でボタンを引きちぎろうとした。

「これで切りなよ」

 彼女が、裁縫セットの小さな鋏を出した。

「ありがとう」

 この場合、「ありがとう」が、適切だったかどうかは解らない。とにかく、ボタンを切り取り、彼女に渡した。

「嬉しい。大切にするね」

 そう言うと、彼女は背中を向けた。大股で歩く後ろ姿が、弾んでいるように見えた。肩まである髪が揺れた。何が何だかよく分からない展開だが、私は、少し嬉しかった。

 私はいつも、遠くから彼女を見ていた。彼女の周りには人が集まり、笑い声が絶えなかった。彼女はちょっと背が低いので、人の隙間から顔が見えた。両目は、『始め括弧』を横に二つ並べたように、いつも笑っている。

話の終わりに口を尖らすのが癖だ。話がウケた時は、顎まで突き出し、得意満面だ。それが、とても可愛い。

 これは、彼女の告白なのか…。誰かに言ってみたかっただけの気まぐれなのか…。

 今まで、彼女と話したのは、必要最低限のことでしかなかった。

突然の出来事だった。不可解な女心を、私が男として、初めて経験した瞬間だった。

こんなことを、女性は突然言うものだろうか? 彼女だけが、特別なのだろうか?

あっという間の出来事に、困惑していた。この行為が、良い判断だったのか、考える暇もなかった。

 卒業後、私は何とか市内の会社に就職し、彼女は札幌の大学に進学した。

 そして、私は彼女のことを、忘れていた。

 

 その年の夏、多分夏休みだったのだろう。彼女から、家に突然の電話があった。

「作田です。元気?」

「え、作田さん? 恵子さんですか?」

「そうよ、わたし。今喫茶店にいるの。歩笑夢(ポエム)ってお店よ。おいでよ。待ってるわね…」

 住所を言って電話は切れた。私の事情はお構いなしだ。

何なんだ。挨拶とか、ちょっとくらいの話があってもいいだろう。いったい何の用事なんだと思った。

しかし、この予想外の電話が、私は嬉しかった。卒業式の日のことが、突然よみがえった。あの時の彼女の顔を思いだした。

何だか分からないが、待っているというのだから、行くしかない。

 その喫茶店は、ビルの地下にあった。私は何故か、静かに階段を降りた。どんな顔をして、待っているのだろう。恐る恐るドアを押した手が震えた。

「よう。早かったね」

 ドアが開くと同時に、カウンターの端に、あの笑顔の彼女が座っていた。

「あ、作田さん…」

 そう言うと私は、ぺこりと頭を下げた。

「ここにおいでよ」

 彼女は、隣の席を指差した。私は言われるままにその席に座った。

「ところで、作田さん。今日は僕に、何の用事ですか?」

「あら、用事がなければ、キミを呼び出しちゃいけない?」

 相変わらず、彼女は口を尖らせて言った。

「いや、そんなことはありませんけど…」

「じゃあ…、いいじゃない」

 そう言うと、また笑顔になった。

 日曜日の午後なのに、喫茶店は閑散としていた。ほかに客はいなかった。

「ねえねえ、ここはストレートコーヒーを出してくれるのよ。日本茶もあるわよ。わたしはお煎茶を飲んでいるの…。ねえ、ママ…」

 ママと呼ばれた四十代くらいの女性が、微かな笑みを浮かべて、静かに頷いた。

 長い黒髪に、黒っぽいワンピースを着ていた。半袖から伸びた腕は白く、とても艶っぽかった。薄化粧の落ち着いた大人の女性だった。作田恵子の、子供っぽい可愛らしさとは対照的だった。

 ストレートといわれても…、私に豆の知識などある訳がない。喫茶店でコーヒーと注文すると出てくる、ブレンドコーヒーしか飲んだことがないからだ。そのくせ、生意気な盛りで、見栄を張りたい年頃だった。

「ブルーマウンテン…。お願いします」

 分かりもしないのに言った。それしか知らなかったのだ。

「あら…。キミ、コーヒー分かるんだ。すごいじゃない」

「そんなことはないですよ。作田さん…」

 暑いのに冷汗が噴き出た。

「ねえ、キミ…。その作田さんって言うの、やめてくれないかな。恵子でいいよ」

「恵子だなんて、そんな…。呼べませんよ」

「わたしが、いいって言ってるんだから、いいじゃない」

「そんな呼び捨てなんてできませんよ。恵子ちゃんでもいいですか?」

「作田さんよりはマシね」

 それから二人はどんな話をして、どうなったのか覚えていない。

 ママがアルコールランプに火を点け、サイフォンの沸騰したお湯を、優しくかき混ぜる姿が、とても美しかったことだけは、今でも覚えている。

 後日、私はコーヒーサイフォンを買った。そして、いろいろなコーヒー豆を買っては、試してみた。アルコールは、薬局で書類に署名捺印をしなければ買えないことも知った。

 

 その後、中華の店にも呼び出された。

「わたし、今中華のお店にいるの。唐点香ってお店。待ってるから…」

 住所を言って、電話が切れた。

「夕飯はいらない」と母に言って家を出た。

 その店はすぐにわかった。

「いらっしゃいませ」

 胸に「唐点香」と、黄色い文字が書かれた赤いエプロン姿の彼女がいた。

「何しているの?」

「驚いた?」彼女は満面の笑みだ。

「アルバイト?」

「違うわよ。ここは昔から知っている店だから、ちょっとイタズラしてみたの」

 彼女は、笑顔で、ぐっと顎を突き出した。

「この人は、恵ちゃんの彼氏かい?」

 店主だろうか? 店のオバサンが聞いた。

「だったらいいんだけどね」

彼女はオバサンの方を向いて、肩をすくめてみせた。

「よせよ」私は困った顔で言った。

「ここに座ろうよ」

 彼女が私の手を引いて、席についた。

「五目あんかけ焼きそば、美味しいのよ」

「そうなの…」

 と言いながら、私はメニューを開いた。

「五目あんかけ焼きそば二つね」

 私に選択の余地はなかった。

「本当に美味しいんだから…。キミも、きっと気にいるよ」

 彼女は、ニコニコして私の顔を見ていた。

「はい、どうぞ。お待たせしました」

 焼きそばが出てきた。

「美味しいよ。食べなよ」

 私は箸を割り、麺を持ちあげようとした。麺はパリパリに固まっている。

「駄目よ。アンが絡まって麺が柔らかくなってから食べるのよ」

 そういわれてアンを見ると、たくさんの具が入っていた。豚肉、むきエビ、きくらげ、白菜、パプリカ、人参、たけのこ、うずらの卵などが入っていた。

「これは五目じゃないね。八目だよ」

「あら、数えたの? キミらしいね」

彼女は私の顔を見て、首をすくめて、プッと吹き出すように笑った。

 それは、本当に美味しかった。それからしばらく、五目あんかけ焼きそばにハマっていたことを覚えている。

 

「ねえ、七夕見においでよ。広小路の西二条側で待っている」

 それだけ言って電話が切れた。また、一方的な呼びだしだ。出かけるしかない。

私は、当時流行っていた、白いワイシャツを半袖にした「ホンコンシャツ」というシャツを着て行った。袖の切り口の、V字に割れた部分を、まくるのがお洒落だった。当然、私はそうしていた。

彼女が、あの笑顔で、白に藍の桔梗柄の浴衣を着て待っていた。赤い鼻緒が、色白の小股に切れ込んでいた。藍の鼻緒だと、もうちょっと、大人に見えたかもしれない。

私を見つけると、飛びついてきて、私の左腕を抱きしめた。勿論、あの笑顔だ。

浴衣の、身八つ口から覗く胸の横が、私の腕に微かに触れる。温かくて、柔らかい。とても気持ちがいい。

雑踏の中で我に返る。女性の胸に触れている自分に赤面する。もっとこのままでいたいと思う自分が恥ずかしい。私は狼狽えながら離れた。

「ねえ…、恥ずかしいの? 顔が赤いよ…。私、初めてなんだ、男の人と七夕見るの…」

「僕だって、初めてですよ」

彼女はしなやかに身を寄せ、私の腕を、また抱え込んだ。

私は無理に腕を動かすわけにもいかず、緊張していた。私の全神経は、左腕の二の腕に集中していた。この柔らかさと温かさは、私の胸をときめかせ続けた。

ぶらぶらと大通りまで歩いた。女性の肌の温もりとは、こういうものなのか。とても気持ちがいい。一方では、そんな気持でいる自分が恥ずかしくて、誰かに見られているのではないかと、落ち着かなかった。

どんな会話をしたのか、どんな飾りがあったのか全く覚えていない。

 

 他にも何回か呼び出されたことがある。いつも、突然の電話で彼女が私を呼びだし、私は飛び出し、彼女が笑顔で待っている。

 私は彼女の話をボーッと聞いている。話をする彼女の笑顔が、私は大好きだった。

 しかし、第二ボタンの話や、好きとか嫌いという話は、一度もした記憶がない。

 私にとって、彼女は好きになってはいけない人。当時は真剣にそう思っていた。

 彼女は、建設会社の社長の一人娘。彼女か彼女の夫は、将来会社を継ぐだろう。

私はサラリーマンの長男だ。父が両親と暮らしているように、私もそうするだろう。彼女と私の将来は両立できない。だから、自分から連絡はしない。自分から連絡すると、本気になってしまいそうだったからだ。それが怖かった。

 彼女は大好きな人だが、現実的には好きになってはいけない人だと、自分に言い聞かせていた。

 私にとって、彼女は、魅力的で可愛いアイドル(偶像)なのだと思うようにしていた。

 

 弟子屈に着いたときは、もうすっかり日が暮れていた。七時前後だったと思う。

国道二四一号線から、街の中に入っていくと、警察署はすぐに見つかった。

私は車を降りて、大きく腕を伸ばし、息を吸った。静かに息を吐いて、一度屈伸をしてから玄関に入った。

右手に受付があった。私は名前を言い、作田恵子さんを迎えに来た者だと告げた。

受け付けの警察官が、私を生活安全課に案内してくれた。

生活安全課の警察官に引き継ぎをして、案内してくれた警察官が出ていった。

そこには、白髪交じりの警察官がいた。

私は衝立の向うに案内された。

 彼女が、くたびれたソファーに、ちょこんと座っていた。私の顔を見ると、満面の笑顔になった。

 そして、口を尖らせてこう言った。

「遅いよ、キミ…」

「ごめん…」

 どうして私が謝るのだ。でも、彼女の笑顔を見てホッとした。この調子なら大丈夫だ。

警察官が私に言った。

「君が彼氏君ですか? ま、これは余計なお節介ですが、ちゃんと彼女を捕まえておいてください。何があったかは知りませんが…。それと、警察が保護した関係で、引取り人の君に、ここに署名と拇印を、お願いします。一応身分確認に、免許証も見せて貰います」

 私は書類に署名し、拇印を押した。

 緊張の糸が切れた私は、膀胱が破裂しそうなことに気が付いた。

 トイレを借りて部屋に戻ると、警察官が私の耳元で囁いた。

「女心は、なかなか難しいですよ。私はいまだに理解できないでいます。彼女を叱ってはいけませんよ。黙って話を聞いてあげてください。いいですね」

完全に勘違いをしているようだ。そう言ってから、大きな声で言った。

「お茶でも一杯飲んで、少し休んでいきなさい。事故でも起こすといけませんからね」

淹れてくれた番茶を飲んでから、警察官にお礼を言って、私たちは帰路についた。

 

「遠いけど、釧路廻りで帰るよ。あの道を帰るのは、もう御免だよ。暗くなったし、危ないから…」

「どっちからでもいいわよ」

「ところで、何故弟子屈にいたの? 僕を彼氏って言ったの?」

「わたしね、何処かに泊まるって言ったんだけどね。お巡りさんが、『誰か迎えに来てくれる人はいないのか?』って聞くのよ。自殺志願者と思われたみたい。それですぐに、キミのこと思い出して、電話しちゃった」

 私の質問とはまるで違う答えだ。

「あ、そうなの…。僕の聞いたのは、そうじゃなくて…」

「あ、彼氏ね。迎えに来る人を、彼氏って言わなきゃ何て言うの? 変じゃない。ただの友達じゃ信じてもらえないと思って…。それから、私がどうして弟子屈にいたかって…」

 私は「そうだよ」と頷いた。

「摩周湖の歌あるでしょ。霧で星も見えないとかっていう…」

「流行っていたの、高校生の時じゃない?」

「それが、ラジオから流れてきたら、急に見たくなったのよ。なんか、とても切ない気持ちになっちゃってさ…」

 彼女の顔が、少し寂し気に見えた。

「そうか…。でも、普通はそれだけでは、来ないでしょう」

「私バカだから、思いついたら何にも考えずに行動しちゃうでしょ。気が付いたら弟子屈にいたの」

「え、本当に、それだけで来ちゃったの?」

「そうよ。道が分からないから、タバコ屋のオバサンに聞いたわ。『摩周湖はどっちですか?』って…。

『今頃摩周湖へ行きたいのかい? もう誰も行く人はいないよ。バスも夏の営業終わったしね』

 オバサンは怪訝な顔をして言ったわ。

『どっち?』 もう一度聞いたわ。

『そこの角を左に曲がったら一本道だけど、歩いて行くには遠いよ。二時間はかかるよ。やめた方がいいよ』

 私は、オバサンが言い終わる前に歩きだしていたの。一時間くらい歩いたら、道はだんだん上りが急になってきたわ。歩きながら、自分が本当に、摩周湖に行きたいのか、分からなくなってきた…。

 暗くなってくるし、車も通らないし、心細いし、寒いし、雪がちらちら降ってくるし、あとどれくらい歩けばいいのかも分からないし、もう戻るわけにいかないし…。寂しくなって、心が凍えてきたのよ。

 誰もいるわけがないのに、たまらなくなって振り向いたの。そしたら、遠くに赤いランプが、クルクル回っているのが見えた。それが、みるみる近づいてきた。パトカーが停まって、お巡りさんが降りてきた。私は、駆け寄って、お巡りさんに飛びついちゃったわ。子どもみたいに、エンエン泣いちゃった。タバコ屋のオバサンが、警察に連絡してくれたみたい。それで、お巡りさんに保護されて、こうなったのよ」

 彼女は手で涙を拭いた。

「見ないでよ。恥ずかしいから…」

そう言って、無理に笑顔を作って見せた。

「それでね。わたしがキミに電話をして、待っている間、お巡りさんが聞くのよ」

「何を…」

「どうして、こんな時期に摩周湖に来ようと思ったんですかって…」

「そうだろうね。普通は聞くと思うよ。こんな時期だからね」

「だからわたし、理由をいったわよ。でも信じてくれないのよ。それだけですかって…」

「恵子ちゃん、それは無理だよ。普通は、なかなか信じてくれないだろうね」

「でも、キミは信じたじゃない」

「僕は、恵子ちゃんがどんな人か、少しは知っているからね」

「それから、キミに電話したときも、『そんな電話で迎えに来るんですか? もう一度掛け直して、ちゃんとお願いした方がいいですよ』っていうのよ。掛け直したって、いないわよ。もう、こっちに向かっているわよって言ったら、信じないのよ」

「そうだろうね。お巡りさんは、恵子ちゃんが失恋したと思っているし、そんな相手にあんな電話じゃね。僕のことを恋人って言ったんだろう?」

「お巡りさんは、困った顔をしていたわ」

「それはそうだろう。そのお巡りさんは、この娘を、今晩どうしたらいいのか、考えてたんだろうね。きっと僕が来ないと思っていただろうから…」

「そんな心配しなくていいのに…」

「いや、心配するよ」

「でも、キミは来たじゃない」

「そうだけどさ…」

「そうでしょう」

「理由も言わずに、いきなり弟子屈に迎えに来てと言われたら、来るしかないじゃない」

 

 九時近くに釧路についた。

「全部話したら、急にお腹がすいちゃった」

「そうだね」

駐車場のある店を探して、ラーメンを食べた。麺が細くて、ソーメンみたいだった。その頃は、釧路ラーメンの情報などなかった。今のように、グルメ雑誌や、地図にそんな情報は載っていない時代だ。

「細い麺だね」

「本当だね」

「スープも、あっさりしてる」

二人で驚いたことを覚えている。

 ラーメンを啜ると鼻水が出て、二人で洟をかんで笑った。

 

 店を出て、また彼女が話し始めた。

「札幌で、一人で部屋にいた冬の夜。私ここで何してるの? って思ったことがあるの。寂しくてさ、なんか物足りないのよ…」

「大学に通って、友達もいたんだろう?」

「違うわ…。そういうことじゃないのよ。キミには解らないかな…。この膨らんだ胸が、何故か虚しいのよ。どうしてオッパイなんかできたんだろう」

 彼女の顔から笑みが消えた。

「女性が大人になると、オッパイができるのは、当たり前じゃないか」

「そういうことじゃないのよ。私が女子として、思い描いていたのとは違うのよ」

「女子としてか…」

「そうよ。女子としてよ。やっぱり、キミには解んないか…。解んないよね」

「男子だからね」

「バ~カ」

 彼女の顔が、ちょっと笑顔になった。

「それでさ、十一時ころ、近所の公園に行ったのよ。そこで、二つ並んだブランコが揺れていた。さっきまで、誰かが乗ってたのね。恋人同士かな…。私も隣のブランコを揺らして乗ってみた。ちっとも楽しくないのよ。当たり前よね。そうしてたら、雪がチラチラ降ってきたの。ブランコが空に向かって飛び出すと、暗い空から雪が湧いてくるように見えて、楽しくなってきた。顔に当たる雪も、冷たくて気持ちがよかった。子供のようにはしゃいでしまった」

「そうだね。僕も経験がある。空を見上げると、雪空の中に吸い込まれるような錯覚をするよね」

「ちょっと違うな。火照った顔が雪で冷やされて、さっきまでの、モヤモヤを忘れたの。そうしてたらね、お巡りさんが来たの。『お嬢さん、もう、遅いから早く帰んなさい』だって…。子ども扱いよ」

「恵子ちゃん、可愛いからね」

 

「キミさ、成人映画って見たことある?」

「急になんだよ…。見たことはあるよ。あ、わざわざ見に行ったわけじゃないよ。お客さんが招待券をくれるんだよ。若いから研究しろなんて、冷かしてさ」

「わたしね、成人映画で、初めて総天然色の意味がわかった。あれって、その場面だけ天然色なのよね」

 今どき、わざわざカラーなどという映画はない。当時はカラー映画の出始めで、「総天然色」は、大事な宣伝文句だった。

「どうして、そんな映画見に行ったの?」

「なんとなく…。だって興味あるじゃない」

「へーっ、そうなの…。女子なのに…」

「そうよ、悪い? あ、キミ変な想像してない。嫌だ、違うわよ。ただの興味よ。本当だってば…。そしたらね、途中でオジサンが、私の肩をトントンして、外に出ろと合図したの…。変な人かと思って、ちょっと怖かったけど出たわ。なんて言ったと思う。『君はどこの中学ですか?』だって。児童指導員の人だったの。私、学生証見せたわよ。私ってそんなに子供っぽいかな。女として魅力ないかな…」

「そんなことはないよ。十分魅力的だよ。」

 

 もう、幕別を過ぎたころだった。

「キミさ、モーテルって知ってる?」

 モーテルとは、車が部屋の前までつけられる、車用の連れ込み旅館のことだ。モーテルという名前と設備の新しさが、時代にマッチしたのだろう。当時、次々に建てられ、若者はこぞって車を買った。

「何言ってるの? 恵子ちゃん」

「キミ、入ったことある?」

「ないよ。ありませんよ」

「ないの? わたしもないのよ。じゃあ、入ってみようか?」

「恵子ちゃん、モーテルがどういうとこか、知ってるの?」

 私の心は、その年の五月に起きた、十勝沖地震のように、激しく揺れた。当然だろう。こんな誘いを受けて、動揺しない男はいないと思う。

「あれ、なに慌ててるの? 冗談よ。冗談に決まってるじゃない」

 急に、車内の空気は密度が濃くなり、息苦しくなった。会話は途切れてしまった。

 

 あれから四十年後…。定年を迎える歳になり、クラス会が開かれ、私たちは再会した。

「よう、元気だった?」

 恵子ちゃんは、最初に喫茶店で会った時のように、笑顔で声をかけてくれた。

「ここにおいでよ」

 彼女は、隣の席を指差した。私は言われるままにその席に座った。

 彼女の夫は建設会社の社長になり、私は父を亡くしたが、母親と暮らしている。

 それから、毎年一度、クラス会は八月に行われるのが恒例となった。

 今日は五回目のクラス会だ。

 今、私たちは二次会で、ステージがある大型カラオケスナックにいる。私たちは、バブルという華やかな時代を生きてきた。そのため、八トラックから始まったカラオケブームの中、宴会や接待で鍛えた咽が自慢の芸達者ばかりだ。

 私はお酒が飲めないが、彼女はかなりご機嫌で、出来上がっていた。

「キミぃ~。私とデュエットするよ」

「恵子ちゃん、大丈夫なの?」

「わたしは~、酔ってはぁ~、いませ~ん」

 立ち上がると、彼女は足元がふらついて、私の左腕にしがみついた。私は彼女を抱きかかえるようにして、ステージに上がった。

「お前たち、そんな仲だったのか?」

 誰かが冷やかした。

 彼女は、マイクのスイッチをオンにした。

「そうよ。今頃気づいたの? あなた達、鈍いわね。もっと早く気づいてほしかったわ」

 その声が店中に響き、大爆笑となった。彼女は、満面の笑顔で、私の顔を見上げた。もちろん、顎をぐっと突き出した。

 

※この作品は第五十五号帯広市民文芸に掲載されたものです。

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6 コメント

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Unknown (yumita)
2016-05-02 10:42:57
この胸キュンな思い出の繊細な描写で
まるで自分がその場にいたような感覚になりました
恵子さんにドキドキしっぱなしでした~~~
★yumitaさん★ (都月満夫)
2016-05-02 15:08:34
そうですか。
ありがとうございます。
ちなみに、これは実話ではありません。
こんないい思い出はありません^^
したっけ。
Unknown (甘姫)
2016-10-21 21:46:37
初めまして~♪甘姫です~


“したっけ”さんって、どんな方なのかしら?って

小説を書かれてるのですね~いや~凄い~
情景が広がっていき、流れるように楽しく読ませて頂きました~

文才がお有りなのですね~楽しかったです~有難う!!
★甘姫さん★ (都月満夫)
2016-10-22 06:19:10
ありがとうございます。
そんなに、文才なんてものはありませんが、書くのが好きなもので・・・^^
したっけ。
魅了されました (でくのぼー)
2016-11-30 09:19:47
はじめまして
でくのぼーと申します。サスペンスかと思いながらドキドキしながら読み進みますと別な意味のドキドキになりほろ苦い思いがココロを満たし、
遠い昔の切ない思い出が蘇って来ました。
素晴らしいです。
★できのぼーさん★ (都月満夫)
2016-11-30 10:23:52
ありがとうございます。
若さゆえ、女の子に振り回される男の心。
いじらしいでしょう^^
したっけ。

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