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紅葉のように燃えた夜

2009-02-28 13:34:35 | 短編小説

 

都月満夫

 

今年は全国的に暑い夏で、連日の熱帯夜のせいか、殺人事件が各地で多発していた。人の心も陽炎(かげろう)の向こうで揺れ動き、蜃気楼(しんきろう)のように捻じ曲げられ、狂気だけが、オアシスのように浮かび上がったのかもしれない。嫌な夏であった。

北海道でも連日三十度を超える、暑い夏であったが、私の住む十勝平野の市(まち)では、そのような事件は起こらなかった。

 

 彼女と私が出会ったのは、数時間前のことである。毎年、九月の中旬に行う「観楓会(かんぷうかい)」と称する会社の飲み会の後であった。

いつものように私と部下の男性二人、女性二人の五人で街へ出た。土曜の夜であった。居酒屋で食事をしながら飲んだ後、九時近くから、いつものスナック「マリリン」でカラオケを楽しんだ。そして、いつものように午後十一時を過ぎて、私たちは店を出た。私は四人がそれぞれタクシーに乗るのを見送っていた。いつもと同じ時間の流れであった。しかし、今夜の街は霧に蔽( おお )われていた。

その時、後ろから、女が声をかけてきた。

「すみません。もうお帰りですか。」

「ええ、何か…。」

「私、今の店にいたのですが、もう一軒だけ私に付き合っていただけませんか…。」

 私は彼女と付き合うことになった。何故、あの時、私は見ず知らずの女の申し出を受け入れてしまったのだろうか。

 初秋特有の、焦げたコーヒー豆の匂いがする、夜霧の誘惑だったのかもしれない。気紛れな夜の風情の悪戯(いたずら)に、私は取り返しのつかない代償を払うことになってしまった。

 

 彼女は地味なベージュのシャツに薄手のブラウンのジャケットをはおり、Gパンをはいていた。髪は後ろで無造作に束ね、化粧もほとんどしていないように見えた。色白の彼女はとても清潔で、大人しそうに見えた。年齢は三十歳位であろう。三十前後の女が、五十過ぎの男に声をかけるという行為は、通常の場合、警戒すべきであるが、私は彼女と当たり前のように、自然に歩き出していた。

 

 私たちは「餃子」の看板が出ていたラーメン店に入った。十席ほどある店内は、ほぼ満席で、入り口近くの席に案内された。

「私、名前はサチコと言います。あなたはなんとお呼びすればいいかしら…。」

 席に着くとすぐに彼女は口を開いた。

「坂田です。坂田と呼んでください。」

「分かりました。でも…、これ以上の自己紹介はよしましょうね。」

 そう言うと、彼女は餃子とビールを注文した。すぐにコップとビールが運ばれてきた。彼女はコップを私に手渡し、ビールを注いでくれた。私も彼女の手からビール瓶を取り、彼女に注いだ。

よく見ると彼女は美人であった。少したれ気味の目は大きくて、まつげも長い。卵形の輪郭はふっくらとし、とても優しそうであった。視線は伏し目がちではあるが、落ち着きがあり、全体から受ける印象は知的で品があった。更に、時折見せる微笑(ほほえみ)には軟らかい温(ぬく)もりが感じられ、子どもを見る母親のようであった。とても見知らぬ男に声をかけるような女性には見えない。

 店の隅にあるテレビの画面を見ながら交わす会話はとりとめもなく、ゆっくりと時間は流れた。気が付くと、時刻は午前零時を過ぎていて、もう店内に、客はほとんどいない。

「出ましょうか。」

 私が会計票を手にして立ち上がると、彼女も腰を上げ、慌てて言った。

「私が払います。」

彼女は私の手から会計票を取ると、レジへ向かった。少し猫背の背中の上で、無造作に束ねられた髪が振り子のように揺れた。

 

店を出ると通りの人影はまばらであった。九月の中旬にもなると、夜風は肌寒く、十勝岳の山頂ではもう紅葉が始まる季節である。

「では…、私はこれで…。ご馳走様でした。」

 私は左手を上げ、彼女に背を向けて歩き出そうとした。すると彼女は小走りに私の前に出て、大きな目で私を見つめた。縋(すが)るような目であった。思いつめた目であった。少しの間があって、彼女はうつむいて言った。

「私を抱いて…、下さいませんか。」

 小さな声であった。何か事情がありそうだとは、うすうす感じていたが、予想外の言葉であった。その衝撃的な言葉は、私の耳に針のように突き刺さり、脳に達した。私の脳は思考を停止し、時間が止まった。

「…。」

「私は今夜、私を抱いていただく方をずっと探していました。あのスナック「マリリン」であなた方の会話を聞いておりました。あなたが、普通のサラリーマンで真面目で優しい方だと感じました。ラーメン店でも、あなたは私のことを詮索しないで、私の目を見て静かにお話をして下さいました。私は、もう決めました。坂田さん…、お願いします。」

「そんなことを…、お願いされましても…。」

「分かりました。あなたが何をご心配なさっているか、私にも想像が付きます。私は如何わしい女ではございません。自己紹介をしない約束でしたが、職業だけお教えします。私は小学校の教師をしております。どうか私を助けると思って…。」

 教師と聞いて、私は更に驚いた。こんなに美人の女性教師が何故こんなことをしているのだ。その女性教師が必死の形相で「抱いてくれ。」と見知らぬ中年男に懇願している。

しかし、私は教師という彼女の言葉に納得していた。彼女のしゃべり方、雰囲気は、本当に教師かもしれない、と思わせるものがあった。そして、奇妙な安心感が生まれ、彼女に対する男の興味が大きく膨らんだ。

「分かりました。人通りもありますから、取り敢えず、何処かに部屋を取りましょうか。」

 

 十数分後、私たちはホテルの一室にいた。彼女はシャワーを浴びている。気まずい空気が澱(よど)んでいた。私は気恥ずかしさで、逃げ出したいほどであったが、ここまで来て、いまさら逃げ出すわけにもいかず、ただうろうろするばかりであった。彼女が浴室から黄色いバスタオルを巻いて出てきた。

「私も…、シャワーを浴びてきます。」

 私は逃げるように浴室に飛び込み、気を落ち着かせるように、浴槽にお湯を張った。蛇口から出るお湯は、スローモーションのように流れ落ちた。お湯の中に身を沈めると、酔った身体に、お湯の感覚は心地よく、私は少し落ち着きを取り戻した。

私がバスタオルを腰に巻いて浴室を出ると、彼女は束ねた髪を解き、鏡の前で化粧をしていた。振り向いた彼女を見て、私は息を呑んだ。化粧をした彼女の顔は驚くほど美しく、紅を含んだ表情は華やいで見えた。

「抱いていただくのに、素顔のままでは失礼だと思い…。そんなに見つめないで下さい。何処か変ですか、私…。」

「いいえ…、あまりに綺麗なもので…。」

 赤く引かれた口紅が紅葉のように鮮やかであった。私は妖( あや )しく赤い唇に目を奪われ、黄色い狂気が、枯葉のようにひらりと、彼女の瞳を過( よ )ぎったことに気づかなかった。

 彼女は立ち上がり、ベッドに入った。毛布の下で解かれた黄色いバスタオルが、するりと赤いカーペットの床に滑り落ちた。

「お願いします。」

 彼女が小さな声で、私を促した。

「失礼します。」

 私は、バスタオルをはずし、彼女の左横に滑り込んだ。ベッドの左側にいた彼女は、腰をくねらせて右側に移動した。私は左利きなので、女性とベッドを共にする場合、左側に寝るのが習慣になっていた。

「温(あった)かい。坂田さん、サチコって呼んでいただけますか。好きだと言って下さいますか。」

「…。」

 私は戸惑っていた。数時間前に会ったばかりの女の名前を呼び、しかも、好きだと言えと言われても、言えるものではない。

「サチコって呼んで下さい。好きだと言って下さい。好きだと言って…。」

 呪文のように言い続ける彼女の肌は次第に汗ばみ、互いの身体が密着してくるのを感じていた。私はいつの間にか理性を失い、彼女にむしゃぶりつき、我を忘れていた。

「…サチコ、…好きだ。好きだよ…。」

「嬉しい…。ありがとう。」

 私たちは激しく求めあった。それは、質の違う二つの粘土の塊が捏(こ)ねられ、混じりあっていくようであった。やがて水を含んだ土肌はぬるりとして光沢をおび、異質の一個の塊となった。

「あっ…、うっ…、うっう…。」

 サチコは何かを押し殺すように呻( うめ )いた。

「ゲンゾー…。」

 サチコは男の名前を呟(つぶや)いて果てた。気が付くとサチコは失神していた。私は慌てて起き上がり、サチコにまたがり、頬を打った。

「うっ…。」

 サチコは虚(うつ)ろな目を開け周囲を見渡した。

「…私、どうなってしまったの…。恥ずかしいわ。」

 サチコが意識を取り戻して、ほっとした私は、再びベッドの上に倒れこんだ。久しぶりの激しいセックスに、私は興奮していた。

「サチコ…、君は…素晴らしいよ。こんな快感は…初めてだよ。もうこのまま…死んでもいいくらいだ…。」

「死んでもいいって…、本当ですか。あなたにお願いして、本当に良かった…。」

 暫くの間、会話が途切れた。

「私、シャワーを浴びてきます。」

 彼女はベッドの下のバスタオルを拾い、素早く身体に巻くと、浴室に入っていった。

 彼女と入れ替わりで、私もシャワーを浴びに入った。湯気の中で、彼女が呟(つぶや)いた「ゲンゾー」という名前が耳に蘇(よみがえ)った。

 私が浴室から出ると、彼女はバスタオルを身体に巻き、ベッドに横たわっていた。私もバスタオルを腰に巻いたままベッドに腰を下ろした。

私は彼女が呟(つぶや)いた名前がどうしても気になって、聞いてしまった。

「ゲンゾーって…、誰?」

「私、そんなこと言いましたか…。」

「いや、いいんです。別に…。あなたを詮索する気はありませんから。」

 私は慌てて言った。

「そうですか。私、ゲンゾーって言いましたか…。申し訳ありません。お話いたします。」

「いや、結構です。」

「いいえ、聞いてください。本当は誰かに聞いて欲しかったのです。話をさせて下さい。」

 

「小学校の教師だった父は私が幼い頃に亡くなりました。母は私を連れて農家の後妻に入りました。私が小学生になる前のことです。養父には子どもが居りませんでしたので、私をとても可愛がってくれました。

私が中学生になると、母は養父に気兼ねして、私に農作業の手伝いから、掃除洗濯、夕飯の支度にいたるまでやらせました。私も、それを当然のように行っていました。

高校に入学すると、文章を書くことが好きだったので、文芸部に入部しました。そこで私は一年先輩を好きになりました。部活動の中で、私の文章を批評してくれる先輩はとても優しくて、放課後、部室へ行くのが楽しみでした。それは片思いでしたが、とても充実した二年間でした。私が初めて好きになった人です。その後、私は恋をしていません。

高校を卒業し、教師になりたかった私は、釧路の教育大学に進学しました。亡くなった父への憧憬だったのかもしれません。母は高校を出たら働けといいましたが、養父が母を説得してくれました。養父は春採湖の近くに部屋を借りてくれました。私は寮でいいと言いましたが、養父がアパートで勉強に集中しろと言って強引に借りてくれたのです。

春採湖って知ってますか。ハルトリとはアイヌ語で「岬の向こう側の土地」という意味だそうです。向こう側って、少し寂しい言葉ですね。そこには緋鮒という金魚のような鮒がいます。もうあまり生息していないようですが…。雄の数が極めて少なく、処女生殖をしているそうです。ウグイなどの精子の刺激で卵は発生を開始するそうです。赤い色がいっそう哀れで悲しいとは思いませんか…。

緋鮒の棲む春採湖は天然記念物で、ボート遊びもでき、夏は観光客が大勢訪れます。そんな環境で私は大学生活を始めたのです。

ところが、大学一年の冬に悪夢は起こりました。養父が釧路のアパートにやって来て、私を犯したのです。私は母にも打ち明けられませんでした。どうしても教師になりたかった私は大学もやめられず、我慢するしかありませんでした。その後、三年間、毎年農閑期の冬になると養父はやって来ました。

大学を卒業した私は地元へ帰り、市内の小学校の教師になりました。その頃、母が心臓を患い、入退院を繰り返しておりましたので、地元へ帰るしかなかったのです。

私は市内に部屋を借りましたが、養父はそこへも訪ねてきました。母さえ病気でなかったら、何処か遠くの町で教師をしたかったのですが…。私は恋人を作ることもできずに、八年間、この市( まち )で教師を続けて参りました。

その母も去年亡くなり、先日、一周忌の法要も無事に終わりました。私は疲れました。

紅葉の始まるこの時季が私は嫌いです。山が赤く燃えると、大嫌いな冬がやってくるからです。紅葉は深紅に燃え、叫び声さえあげずに散っていきます。紅葉が辛( つら )い厳しい冬を乗り越えるために、自らを燃やして散っていくことなど、誰も考えてはくれません。

でも、私は見ていて欲しかった。私が自分の意思で選んだ人に抱いていただき、紅葉のように燃えて、燃え尽きていく私を、誰かに見ていて欲しかった。

私は今朝、今となっては、もう昨日の朝ですが、養父を刺しました。私の部屋で、あの男は死んでいます。その男の名が「源三(げんぞう)」です。何故、この大切な瞬間(とき)にその名を呼んでしまったのか、悔しくてなりません。

それでも、あなたは先程、死んでもいいと仰って下さいました。私は女として初めて幸せを感じました。ありがとうございました。」

彼女は本を閉じるように話し終えた。私の思考は風に舞う枯葉のように混乱していた。

 

その時、私の腹部に突然冷たいものが侵入してきた。そして、温かい液体が身体から静かに流れ出て行くのを感じていた。何が起きたのか、とっさには理解できなかった。

「お父さん…。お父さんがつけてくれた私の名前。幸せって書いて幸子(さちこ)。でも…、私、幸せになれなかったの。ごめんなさい…。」

彼女が突然、小さな子供のように話しはじめた。彼女は幻想の中で、父親に抱かれていたのかもしれない。

「ウッ…。」

 彼女の小さな呻( うめ )き声が聞こえた。その声は、ざわざわと部屋中を駆け巡り、紅葉を撒き散らす風のように、私の身体を吹き抜けた。

舞い落ちる枯葉のように、ぱらぱらと散っていく意識の中で、妻と娘たちの困惑した顔が、ひらひらと脳裏を通り過ぎた。

二人の血が、山肌に燃える紅葉のように、白いシーツを赤く染めていった。

私の意識の最後の一葉が枝を離れた時、一滴((ひとしずく)の涙が零(こぼ)れ落ち、赤く染まったシーツの上で、虫食いのような、小さな染みとなった。

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