団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

節分に年の数だけ豆を食べますか?:「ブログ人投票箱」今週のお題

2011-02-07 17:44:47 | トラ場(ブログ人投票箱)

節分に、みなさん豆をまきましたか?

豆をまいた後は、家族で年の数だけ、豆を食べる人もいるのではないでしょうか。

みなさんは、年の数だけ豆を食べますか、それとも年の数は気にしないで食べますか?

 又だ。ちゃんと聞けよ

>それとも年の数は気にしないで食べますか?

・・・だと、来年の話になっちゃうだろ。今年の節分は終わったんだから「食べましたか?」じゃないと、おかしいだろ。過去形で統一しろよ

 ま、いいや。食べません。オレは北海道人。人呼んで「道産子」ってヤツだ。北海道の豆撒きは落花生。落花生を歳の数だけ食ってたら、次の日は吹き出物だらけだ

 もう、落花生の脂肪分は消化しきれねえ歳なんだよ

 ま、大豆にしたって、歳の数だけは食わねえだろうよ。昔は人生50年。今とは事情が違う。歳の数だけ食ってたら、長生きすればするほど体に悪いってもんだぜ

したっけ。

コメント (2)
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「おやじの語源」について考える

2011-02-07 07:44:31 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

  「おかあさん」は一昨日、「おふくろ」の語源は昨日書きましたから、それじゃあ「おやじ」は・・・、という疑問は当然出てきます。今日は、「おやじ」の語源を考えてみましょう。

おやじ」は、ご想像のとおり「親父」を訓読みすると「オヤチチ」になります。昔は「オヤチチ」と読んでいたものが、詰まって「オヤヂ」となり、「オヤジ(おやじ)」と表すようになったということらしい。これは、わかりやすいですね。

また、他の説もあります。

Photo_2 それは「狂言」にまつわるもので、1642(寛永19年)に狂言の流派である大蔵流の宗家であった、大蔵虎明が記した大蔵流狂言の台本『狂言集』の「かうじだわら柑子俵:こうじだわら)」に、「一つたべてみたひが、定て数がさだまつてあらふところで、おやじや人のあづかられたにしかられう」という一節があり、この「おやじゃ人」を省略語形化したのが「おやじ」というくだけた言い方で、「親父」の漢字表記と結びついたという説があるそうです。

おおくら‐とらあきら【大蔵虎明】

15971662]江戸初期の狂言師。山城の人。大蔵流宗家13世。大蔵流最古の台本「狂言之本」(通称「虎明本」)を書き留め、狂言論「わらんべ草」を著した。

大辞泉

柑子俵(かうじだわら):あらすじ

毎年、都の市に柑子(みかん)を持って行き、商いをする柑子売りが、いつもの宿へ柑子の俵を預けて、年忘れの繁華街へと出かけていきます。

いつもなら柑子をたくさんくれるのに忘れられてしまい、その上、今年は柑子が不足して貴重な品、ちょっと見てみようと俵を開けた亭主、どうしても食べたくてたまりません。

こっそり食べているところを子どもに見つかり慌てますが、結局二人ですっかり食べ尽くしてしまいます。亭主は子どもに、柑子の代わりに俵の中に入り、鬼に化けて柑子売りを脅してくれと頼みます。・・・

Photo_3 おやじ(親父)とは一般的には自分もしくは友人の父親を呼ぶ場合のくだけた呼称です。転じて「おやじ」は、自分の上司(ボス)や店の主人などに親しみを込めて呼ぶ呼称にもなっています。

さらには中年から壮年にかけての男性を親しんで、「おやじさん」と呼ぶこともあります。

あるいは見下して呼ぶときも、「オヤジ」として使われる。「オヤジ臭い」は、その代表といえます。「ダメおやじ」、「おやじギャグ」、「頑固おやじ」・・・

北海道では、羆(ひぐま)のことを尊敬を込めて、「山親父」といいます。

おや‐じ〔‐ぢ〕【親▽父/親▽仁/親×爺】

1 自分の父親を親しんで、また、他人に対してへりくだっていう語。⇔おふくろ。

2 中年または老齢の男をいう語。「隣の

3 店の主人。「飲み屋の

4 部下がその集団の長を親しんでいう語。

5 ヒグマの俗称。山のおやじ。

大辞泉

だからといって、「団塊オヤジ」の私が「オヤジ臭い」わけではありません。私は謙遜を込めて「オヤジ」といっているわけで・・・。ああ、どんどんオヤジ臭くなる・・・。

ん・・・、「オヤジッチ」は親しみを込めてなのか?見下されているのか?どっち・・・。

Photo

したっけ。

コメント (4)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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