高知にかえる日をむかえた
運営委員Hです。
旅行していると
外食ばかりになります。
ふだんの
玄米と野菜の食事から
どんどんはなれてゆきます。
それが少しずつ
きつくなってきます。
と言いながら
昨日の晩は
石垣島のいきつけの食堂で
地ビールを飲みながら
あかもんがにのボイルを
食べちゃいました。
その近所にJA石垣のショップがあって
ぶらぶらしているうちに
波照間島産の小麦粉をみつけました。
全粒粉とは書かれてませんが
見たところ
かなり全粒粉ぽいです。
ともかく
波照間島の小麦粉
はめずらしいです。
高知にかえったら
これで全粒粉パン(こちらとか)を焼こう
と思いました。
きっと
おいしいパンが焼けると
思います。
運営委員Hです。
旅行していると
外食ばかりになります。
ふだんの
玄米と野菜の食事から
どんどんはなれてゆきます。
それが少しずつ
きつくなってきます。
と言いながら
昨日の晩は
石垣島のいきつけの食堂で
地ビールを飲みながら
あかもんがにのボイルを
食べちゃいました。
その近所にJA石垣のショップがあって
ぶらぶらしているうちに
波照間島産の小麦粉をみつけました。
全粒粉とは書かれてませんが
見たところ
かなり全粒粉ぽいです。
ともかく
波照間島の小麦粉
はめずらしいです。
高知にかえったら
これで全粒粉パン(こちらとか)を焼こう
と思いました。
きっと
おいしいパンが焼けると
思います。
運営委員Hです。
あしたは高知にかえるので
西表から石垣市にもどってます。
さっそく
街の中央にある市場へ。
那覇でももちきびを
買ったばかりですが(こちら)
波照間島産のもちきびを
買っちゃいました。
波照間島のもちきびといえば
沖縄産もちきびのブランドです。
それが1キロたった1200円
さすが本場です。
クッキーを
ふわふわさくさくにするのに
もちきび粉は欠かせません。
家でクッキーを
焼きたくなりました。
あしたは高知にかえるので
西表から石垣市にもどってます。
さっそく
街の中央にある市場へ。
那覇でももちきびを
買ったばかりですが(こちら)
波照間島産のもちきびを
買っちゃいました。
波照間島のもちきびといえば
沖縄産もちきびのブランドです。
それが1キロたった1200円
さすが本場です。
クッキーを
ふわふわさくさくにするのに
もちきび粉は欠かせません。
家でクッキーを
焼きたくなりました。
西表の運営委員Hです。
宿のちかくの食堂で
うちあげ会をしました。
しこやとは
西表のことばで
田んぼや畑の休憩小屋のことです。
ぼーりのーしとは
お疲れさま会のことです。
あかまちというお魚のコース
がでました。
おさしみ・おすし・あら煮。
からあげは
確か他のお魚。
左から
しこ屋の大将、漁師のおじい、ガイドの飯田さん。
あかまちは
このおじいがとってきてくれました。
楽しすぎて
飲みすぎちゃいました。
宿のちかくの食堂で
うちあげ会をしました。
しこやとは
西表のことばで
田んぼや畑の休憩小屋のことです。
ぼーりのーしとは
お疲れさま会のことです。
あかまちというお魚のコース
がでました。
おさしみ・おすし・あら煮。
からあげは
確か他のお魚。
左から
しこ屋の大将、漁師のおじい、ガイドの飯田さん。
あかまちは
このおじいがとってきてくれました。
楽しすぎて
飲みすぎちゃいました。
西表の運営委員Hです。
シーカヤックで
パイミ崎にいってきました。
どーしてもいきたかったのに
お天気にめぐまれず
これまで
どーしてもいけなかったところ。
西表の西はじの岬です。
ほとんど休憩なしで
ゆきに2時間
かえりは向かい風で3時間。
へばりました。
岬は英語でケープです。
ガイドの飯田さんのショップ(HPはこちら)のなまえ
ケープ・パイミとは
この岬のことです。
ショップのロゴ・マーク
も当然この岬。
こんどはキャンプしながら
この岬の向こう側まで
いってみたいと思います。
シーカヤックで
パイミ崎にいってきました。
どーしてもいきたかったのに
お天気にめぐまれず
これまで
どーしてもいけなかったところ。
西表の西はじの岬です。
ほとんど休憩なしで
ゆきに2時間
かえりは向かい風で3時間。
へばりました。
岬は英語でケープです。
ガイドの飯田さんのショップ(HPはこちら)のなまえ
ケープ・パイミとは
この岬のことです。
ショップのロゴ・マーク
も当然この岬。
こんどはキャンプしながら
この岬の向こう側まで
いってみたいと思います。
西表の運営委員Hです。
自然のなかにでたら
うっとり
ぼーっとする時間を
たいせつにします。
キャンプしたビーチで
ぼーっとしていて
ふとみつけた貝。
写真だと
うつくしさが100分の1しか
つたわりません。
じつぶつは
この100倍うつくしいです。
せめてもうひとつほしい
と思って
ビーチ中をさがして
もうひとつだけ見つけました。
こちらも
写真の100倍うつくしい貝です。
こちらは
ビーチ中さがして
7つほど見つけました。
名前はわかりません。
とてもうつくしい貝なので
名前はいらないような気がします。
自然のなかにでたら
うっとり
ぼーっとする時間を
たいせつにします。
キャンプしたビーチで
ぼーっとしていて
ふとみつけた貝。
写真だと
うつくしさが100分の1しか
つたわりません。
じつぶつは
この100倍うつくしいです。
せめてもうひとつほしい
と思って
ビーチ中をさがして
もうひとつだけ見つけました。
こちらも
写真の100倍うつくしい貝です。
こちらは
ビーチ中さがして
7つほど見つけました。
名前はわかりません。
とてもうつくしい貝なので
名前はいらないような気がします。
西表にいる
運営委員Hです。
シーカヤックで
キャンプにいってきました。
かえりによったビーチ。
西表にある
外離(ふかぱなり)と呼ばれる
無人島のビーチです。
カヤックでないと
来ることができません。
はじめてここに来たとき
この世でいちばんきれいな場所だ
と思いました。
いるだけで
しあわせになります。
運営委員Hです。
シーカヤックで
キャンプにいってきました。
かえりによったビーチ。
西表にある
外離(ふかぱなり)と呼ばれる
無人島のビーチです。
カヤックでないと
来ることができません。
はじめてここに来たとき
この世でいちばんきれいな場所だ
と思いました。
いるだけで
しあわせになります。
西表の運営委員Hです。
沖縄では
地元産のものに
なんでも「島」をつけて呼びます。
だから
西表でとれたレモンは
島レモン。
まるくて
ちいさいです。
皮もうすいです。
あまりすっぱくない
ミカンのようなレモンでした。
沖縄では
地元産のものに
なんでも「島」をつけて呼びます。
だから
西表でとれたレモンは
島レモン。
まるくて
ちいさいです。
皮もうすいです。
あまりすっぱくない
ミカンのようなレモンでした。
運営委員Hです。
西表(いりおもて)に来ています。
おとといは台風のため
宿にじっとしていました。
昨日はカヤックで海へ。
ランチは
スクガラス・パスタ。
スクとは沖縄のことばで
アイゴの稚魚です。
カラスは
塩漬けのことです。
なので
スクガラスは
アイゴの稚魚の塩漬けです。
沖縄の食材です。
ガイドの
ケープパイミ・飯田さん(HPはこちら)の
自家製スクガラスを
もってきてもらいました。
私が食べた
いちばんおいしい
スクガラス。
そのスクをこまかく刻んで
ガーリックオイルでいためながら
おなじみ全粒粉パスタを
ゆでます。
パスタがゆであがったら
スクとあえて
できました。
飯田さんのスクガラスと
全粒粉パスタでつくった
スクガラス・パスタを
西表の海をながめながら食べることが
今回の旅の目的のひとつでした。
飯田さんからは
「ふつうのパスタだと
スクの骨のざらざらが
気になることもあるが
全粒粉パスタの
ごわごわした食感のおかげで
それが気にならなくてグー」
との評価。
全粒粉パスタをもってきた
かいがありました。
やっほー。
西表(いりおもて)に来ています。
おとといは台風のため
宿にじっとしていました。
昨日はカヤックで海へ。
ランチは
スクガラス・パスタ。
スクとは沖縄のことばで
アイゴの稚魚です。
カラスは
塩漬けのことです。
なので
スクガラスは
アイゴの稚魚の塩漬けです。
沖縄の食材です。
ガイドの
ケープパイミ・飯田さん(HPはこちら)の
自家製スクガラスを
もってきてもらいました。
私が食べた
いちばんおいしい
スクガラス。
そのスクをこまかく刻んで
ガーリックオイルでいためながら
おなじみ全粒粉パスタを
ゆでます。
パスタがゆであがったら
スクとあえて
できました。
飯田さんのスクガラスと
全粒粉パスタでつくった
スクガラス・パスタを
西表の海をながめながら食べることが
今回の旅の目的のひとつでした。
飯田さんからは
「ふつうのパスタだと
スクの骨のざらざらが
気になることもあるが
全粒粉パスタの
ごわごわした食感のおかげで
それが気にならなくてグー」
との評価。
全粒粉パスタをもってきた
かいがありました。
やっほー。
運営委員Hです。
昨日紹介した
『脱牛肉文明への挑戦』
からもう少しだけ。
第1次世界大戦のときのお話です。
「1917年、連合国は北ヨーロッパのドイツ占領地の周囲に封鎖艦隊を派遣した。
デンマークの人々はこの封鎖できびしい打撃を受けた。
通常の食糧供給ルートを絶たれたために、デンマーク政府は余儀なく、ジャガイモと大麦の供給を増やして食肉の供給を事実上廃止する食糧配給制を施行した。
一夜にして約300万人のデンマーク人が菜食主義者となり、その結果、興味深い現象が起きた。
配給制度発足から1年間で、病気による死亡率が34パーセント低下したのである」(215ページ)。
1年間の「菜食」で、病気で死ぬ人が3分の2になった…。
当然ですが、これが2年間、3年間となったら、もっと減るはずです。
ずっと、だったら、もっともっと減るはずです。
しかもこのお話は、今から100年も前のお話。
食べる肉の量は今よりもずっと少なかったはずです。
そういえば去年紹介した本(こちら)にも
動物性食品と健康のかかわりのことが書かれていました。
やっぱり
肉を食べるのは
ほどほどにしましょう。
昨日紹介した
『脱牛肉文明への挑戦』
からもう少しだけ。
第1次世界大戦のときのお話です。
「1917年、連合国は北ヨーロッパのドイツ占領地の周囲に封鎖艦隊を派遣した。
デンマークの人々はこの封鎖できびしい打撃を受けた。
通常の食糧供給ルートを絶たれたために、デンマーク政府は余儀なく、ジャガイモと大麦の供給を増やして食肉の供給を事実上廃止する食糧配給制を施行した。
一夜にして約300万人のデンマーク人が菜食主義者となり、その結果、興味深い現象が起きた。
配給制度発足から1年間で、病気による死亡率が34パーセント低下したのである」(215ページ)。
1年間の「菜食」で、病気で死ぬ人が3分の2になった…。
当然ですが、これが2年間、3年間となったら、もっと減るはずです。
ずっと、だったら、もっともっと減るはずです。
しかもこのお話は、今から100年も前のお話。
食べる肉の量は今よりもずっと少なかったはずです。
そういえば去年紹介した本(こちら)にも
動物性食品と健康のかかわりのことが書かれていました。
やっぱり
肉を食べるのは
ほどほどにしましょう。