けん爺さんのつぶやき

日々の出来事を徒然に。

26年前の悲劇

2021-01-18 08:41:00 | 日記
昨日は阪神大震災から26目のメモリアルデーの日曜日。
26年前のワシはまだ現役で現場に出ておった。
広大移転に伴う生徒や教職員用のアパート建築に沸く
東広島市西条の現場に向かうため
早朝に起床、朝食中であった。

広島でも地の底から揺れるような
今まで感じたことのない揺れに
すぐテレビをつけてNHKの地震速報を見た。

地震直後でもあったし、震源地の神戸は
破壊され情報の発信もされてなかったのか
震源地は分からず、京都の震度が『3』と
テレビで表示されてたと記憶しとる。

それを見て、それほど大した地震じゃなかった。
そう思い、食事を済ませ現場に向かうた。
途中、カーラジオもつけんかったんじゃろうね、
そんな大地震が阪神・淡路地方を襲うとったとは
露とも知らず、仕事に追われ
夕方、他の現場の打ち合わせに寄ったところで
初めてそんな大災害が起きとる事を知った。

それから2週間も経たん内に、
自分が淡路島に渡り、仮設住宅の建設の
応援に行くことになろうとは思いもせんかった。

女房殿の親友の大学生の息子さんが
家の下敷きになって亡くなったのも後から聞いた。
毎年、年賀状が届き、その様子を聞いていた。

当時、広島も2月・3月竣工の現場が多く
メチャクチャ忙しく、とても他所の応援に
行くような時間はなかったが、
被災地のニュースを毎晩見るうちに
放っておけない気持ちにかられ、
テント、飲用水、キャンプ用の調理器具、
寝袋、等々の準備をして
『緊急用車両』のお札をいただき
瀬戸大橋経由で徳島経由で淡路島に到着。

動物だって仲間の窮地をだまって見過ごせない、
全国から集まった建設職人の気持ちは
一緒じゃと思うた、寒空に同じ日本人が
肉親を亡くし、家もなくし、絶望の淵にある。
誰が放っておけようか。
コメント
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