”Scott Walkerに恋して”MadamSwallowのTeaSalon

スコット・ウォーカーをこよなく愛するSwallowとお茶をご一緒しましょう
自作のアップロードをお茶うけに・・・

シリーズ・あの人は今・・・

2012-03-24 22:14:49 | 昭和おもひで話

ScottがUKポップス界で不動の地位を誇っていた頃でしょうか、すこしずつ新しい才能を開花させようと若いアーティストが
ぞくぞく登場しましたね。

raindropさんもお持ちのMLの69年ごろのグラビアを賑わしていたアイドル的なグループの中にも本物の才能を長く磨き続けている
人が今もがんばっている事を知ると嬉しくなります。これもYoutubeのおかげ。

憶えていらっしゃる方も多いと思います。
ピーター・フランプトン
デビュー当時からScottに極似と評判だった彼。可愛い版Scottって感じで。

 似てる?似てる?

写真をクリックすると大きく見られます。

でもピーター本人はロックギタリストとしてまたロックシンガーとしてどんどん成長していったようです。
すいません。70年後半から80年にはいると私のデータは完全にシャッターアウトになるので詳しくは知らないのです。
でも彼が来日した時偶然チケットが手に入り、コンサート観に行きましたよ。
とっても気さくで明るいステージ。でもギターソロになると人が変わったように目つきが違う。
一生懸命な真面目なステージに好感持てました。
マイクに仕掛けをした面白い演奏も披露してましたっけ。

先日Youtube巡りをしている時偶然彼の健在ぶりを知りました。

<!-- ピーターフランプトン -->1976年Live

<!-- ピーターフランプトン -->2008年位?

イイ感じに健在ぶりを見せてますよね。

                   

これからこんな風に懐かしい人の近況をシリーズ”あの人は今”とどっかで聞いた題名で取り上げていきたいと思います。
だいたい60年代から70年代までのなっつかしいアーティストで、こんな人いたねーと言う人がいたらお知らせください。
最近の情報もわかったら添えて頂くとたすかりますが、解らないという場合はこちらで調べます。


若きレコードプロデューサー、ScottWalker

2012-03-16 21:32:10 | 昭和おもひで話

皆さんお馴染みスコ研の第一人者“スコット・ウォーカーScott Engel魂の軌跡、航海記”のブロガー、
Michieさん。
ついに“The Drift”最終章を完成なさいました。
その素晴らしい功績に拍手!
彼女の深い考察力のおかげであの難しいScottの世界を
少しですが、理解の線まで立ち入ることが出来ました。感謝の念に堪えません。

ところで、その“The Drift"のなかの“The Escape” の解説の中に面白いlinkが。
日本フィリップスの本城和弘氏の68年のWB Japanさよならコンサートの間に行われたGaryとカーナビーツのコラボのシングルの制作にプロデューサーを買って出たScottの様子の談話が紹介されてます。
「恋の朝焼け」作詞Scott、作曲乗輪寺モトオ。これが本城氏なんだそうな!
以下「20世紀に連れてって」と言うサイトからの抜粋です。

                     

本城:やっぱりウォーカー・ブラザース。
 昭和42年、まだ日本で売れる前に僕がロンドンに行って。それが初めて僕が海外行ったときですよ。5月の3日だったかな、ロンドンに着いたのが。それで、ミュージック・ライフからも、ウォーカー・ブラザースの取材をしてくれ、って言われてて。ロンドンのフィリップスのオフィス行って、「彼らの取材させてくれ」って言ったら、「いや実はウォーカー・ブラザースは、明日解散するんだ」って(笑)。「えええぇー!」ってなっちゃってねえ(笑)。
 それで、スコット(ウォーカー)の隠れ家に行くことになったんですね。彼はファンに見つかるんで、しょっちゅう引っ越しやってるわけですよ。マネージャーの車で、どこでファンに見つかるか判らないからぐるぐる回り道して、やっと辿り着いて裏口から。表はもうカーテンで閉ざされてますから。真っ暗な部屋に少しだけ灯り付けて、ビル・エヴァンスを聴いてたのかな。話してみたら、随分インテリジェンスのある人だなぁ、って思ってね。歌手はサラ・ヴォーンが好きだ、とか、ジャック・ブレルも好きだとかね。

松永:そこで、「解散されたんじゃ困る」みたいなことを言って。

本城:だから、じゃあ日本用に再結成、ってかたちで日本に来たわけですよ。

大江田:そこに山本(隆士)さんが噛んでたわけですよ(笑)。(注:「20世紀に連れてって」第3回)

本城:(笑)そうそうそうそう。
松永:ああ、あのスライド・コンサートで、ファンが詰めかけて九段会館の入口のガラスが割れそうになった、っていう。

本城:(笑)まあ、よく覚えてないんだけど。とにかく彼らが日本に来る前に何か盛り上げようとしてやったのかな。ほんっとにねえ、ビートルズと同じくらい人気があったんだから、日本では。今の人は判らないかもしれないけど。67年の暮れに来日して、羽田からヒルトン・ホテル(現キャピタル東急)まで、一緒にパトカーの先導で車に乗ったときに、熱狂的なファンに取り囲まれるっていう経験を僕もしましたよ(笑)。ウォーカー・ブラザースはほとんど100%近く女性ファンですからね。

松永:ウォーカー・ブラザースの来日フィーヴァーって、今では本当に忘れ去られていますよね。
本城:そうでしょうね。で、68年の正月の2日と3日かな、大阪でライヴ・レコーディングをやって、2枚組のアルバムを作って。
 そうそう。そのとき、ゲイリー(ウォーカー)のレコーディングをカーナビーツとやるって話になってて。だけど、曲つったって、何を歌わせようかと思ってるうちに当日を迎えちゃって。日本人の作家の誰に頼んで作ってもらうか、っていうのが思いつかないのね。だからレコーディング前夜に僕が勝手にメロディ作って、スタジオに持ってって、「こんなのあんだけど」って渡して。そしたら、そこにスコットも来てたんだ。スコットが結構、そういうスタジオ・ワークが好きで、僕のメロディをもとに彼がその場で詞を書いて(注:「斯古都」名義)。それで、アイ高野のドラムのチューニングもスコットがやったんだ。非常にチューニングを低くして、重い感じの音にしたんだね。それが今まで日本では判んなかったんですよ、イギリスではどうやってるのか。バスドラのところも毛布かなんかでミュートして。「ああ、こうやってやるんだ」って。しかも、結構イギリスっぽい良い音にになったんですよ(笑)。それで、スタジオ変えて、翌日かな。大晦日。今度はコーラスを入れよう、ってことになって。僕と、スコットと、スコットのマネージャーで3人でコーラス入れたんだ。すごいんだよ、またスコットのファルセットが。わー、すげーなあ、って思ってねえ。僕は低音受け持ったんだけどね。

松永:グリー・クラブですもんね(笑)。(慶応大グリークラブ出身)

本城:そうそう(笑)。それで、出来た、と。ところが、一曲しか無かったのね。「B面どうしよう?」ってなっちゃって(笑)。で、いろいろ考えたんですけど、A面のカラオケにライヴの中からゲイリーが「ハロー」とか「ミナサーン」とか言ってる断片を全部かき集めて、各小節に割り振って(笑)一曲作ったんですよ。ラップみたいに(笑)。「ハロー・ゲイリー~ゲイリーのテーマ」とかタイトル付けて。結局、そのA面の「恋の朝焼け」はオリコンで50位くらいまでしか行かなかったですけど・・・

                      

このレコーディング風景、MLの記事よーく憶えています。
Scottがちんけな(失礼!)カーナビーツと並んでコーラスを録音しているのを不思議な気分で眺めていましたっけ。
でもレコーディングにはほんとに妥協を許さなかったようでホントに朝方までかかったと書いてありましたね。
ここにも書いてあるけど、ドラムの中に毛布をつっこんで
「こうすると音が抑えられるんだ」というScottにカーナビーツのメンバーがしきりに感心していたことも。

懐かしくも楽しいこれぞ昭和の思い出話。
星加ルミコ氏のエピソードより面白かった。
ここに掲載したのはWBに関する部分だけですが全部興味深いお話ばかり。他にもいろいろなエピソードが・・・
michieさんのhttp://www.geocities.jp/twshill/musicd/musicpart12-4-7.html
のページの下の方、“The Escape"の解説の最初にlinkされてます。ぜひお読みになることお勧めします。
なつかしいよ~


子守歌

2012-03-09 17:38:50 | 昭和おもひで話

 赤ん坊は母乳をごんごんのんでずんずん大きくなっていきます。
だんだん知恵がついたか?なかなか寝てくれない。
娘と交代でだっこして寝かしつけようとしても
立って揺らしていないと怒るし、重いし、腰に来る。
子守歌も“ねんころり”はこっちが飽きる。
ふいに口をついて出てきた大昔に大ヒットした
アーサーキッドの“ショウジョウジ”を歌ってみたら
あらま、すとんと寝てくれました。
それ以来睡魔のスィッチが入るみたいで寝かしつけるときの定番に。
オルウェイズ ハングリィ ベーリーハングリィ・・・♪

 <!-- ショウジョウジ -->

他にもないかな
デイヴィー・ジョーンズを偲んで“デイ・ドリーム”を試してみたらこれは機嫌が良くなった。
 <!-- day dream -->

調子づいてB・ストライザンドの"メモリー”は?

 <!-- メモリー -->

ごめんよ、これはおばあちゃん歌えない

ScottはLeeをベットに寝かしつけたことがあるかな?
お膝に乗せて何か歌ってあげたかしら?
ついついそんなこと考えながら揺すっていたら・・
あら、寝ちゃった・・・

<!-- Lovers Lalaby -->

おやすみなさい

末筆になりましたが、
3,11から1年。犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災者の方々の1日も早い復興を応援いたします。

 


数枚のスナップから・・・

2012-03-05 14:55:02 | Scott Engel

                                                                                                     

前回の"facebook"でも話題になりましたが、
21歳で憧れのヨーロッパへ夢を抱いて飛び立ったScottですが、
catさんもおっしゃっていたように
当時の彼はとても明るく元気なアメリカンボーイだったようです。
アレンジャーのジャック・ニッチェの薄くなった髪をディップで逆毛を立てて遊んでみたり、
ルルの頭を小突いてみたり。(女の子になんてことを!)
ママの気分でこれ!と叱ってしまいそうなやんちゃだけれど憎めない、
誰からも可愛がられる青年だったようです。

catさんのところでも御紹介済みのScottのカットサロン?なりきっているところが茶目っけたっぷり。

               
最後のブロンドのカツラをつけられて「ひどいよー」って騒いでいるのはGaryです。Scottが笑いながら逃げていますね。

          
これは珍しいお食事中のScott。いつもハンバーガーばかりだからちゃんとしたランチに夢中?

こんなふうに明るかった彼も時代の波、UKの音楽業界の変化の嵐に巻き込まれ、次第に心を閉ざしていくことに。

でも今日のScottがあるのは皮肉にもそんな波乱万丈の人生のおかげ。
またイギリスを拠点としたヨーロッパでの生活も彼のイマジネーションをつぶさずにこられた一因でもあると思います。

最後に彼の人生の証。7枚のアルバム(確か?)とこの二人。