我が人生の垢

人生の垢を、過去、現在を好き勝手に写真で記録。
解体されて行く身近な、レール造の駅舎のレールを記録して行きたい。

番外 「暮らしと美術と高島屋」展からローズちゃんコレクション 02

2013-10-02 08:09:24 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
    

    

    

    
 色々です。
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番外 「暮らしと美術と高島屋」から 01

2013-10-01 08:27:08 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
    

    
 入り口の通路には、高島屋の歴史を物語る写真が、しかし長堀高島屋は忘れ去られてしまっていた。

    
 目を移すと、・・・・。
なぜ、今長堀高島屋が出てきたのか。左のカテゴリー、「長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11」を。
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番外 再会 小川三知のステンドグラス

2013-09-10 11:23:14 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
久し振りに高島屋史料館へ出向いた。そして、解体された、高島屋長堀店のロビーを飾っていた、小川三知のステンドグラスに再会。
    
 実物です。

    
 外から見ると??

    
 お分かりでしょうか!

    
 帰路の昼食、黒門市場で「かもなんばん」

    

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特番 コメントへの返礼 そらまめ様への分

2010-07-24 09:16:42 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
私にとって、いつも意表をつく別次元のコメントへのお礼。お中元にしては少し時期はずれ、猛暑お見舞いと致します。
     
 以前に長堀高島屋の解体記録でも紹介してますが改めて再登場。戦前の最も繁盛していた頃の高島屋長堀橋店。

     
 正面玄関。岡田信一郎の設計。大正11年竣工、開店。岡田信一郎は大阪中央公会堂や鳩山会館(旧鳩山一郎邸)、などの設計で知られている。

          
 昭和初期の高島屋の絵葉書。1831年、京都で飯田新七が古着・木綿商を開く。海外の博覧会に豪華な刺繍を施した着物などを出品し、数々の賞を受賞したことで、その後、宮内省御用達の栄誉を冠する。1919年には改組し、株式会社 高島屋呉服店として長堀橋に店を構える。のちの1932年、現在の大阪店を竣工し、東洋一の規模を誇る大規模百貨店を開店する。

     

     
 絵葉書の一番下の一階内部に据え付けられたステンドグラス、難波へ移転したときに保存されたもの。

     
 おまけ、保存されることになった階段の手摺。(将来、階段の一部が復元される予定)

 ステンドグラス
 岡田信一郎と同じく大正・昭和初期に活躍した工芸家の小川三知(おがわさんち)。アメリカ留学後、日本にアメリカ式のステンドグラスを広めた人物と言われます。鳩山会館内のステンドグラスも小川三知の手による。

 そらまめさまへ、単なるビルの解体工事を聞きつけ長堀高島屋であることを知り、関係者にお願いし昔の面影を探しました。暑気払いに小川三知のステンドグラス(写真ですみません)を送らせていただきます。

暑気払い、口にするにはこれがよろしい。
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番外 ひっそりと消えていった、長堀高島屋 最終の姿

2008-12-16 18:32:51 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
  

 更地になってしまった長堀高島屋、本当に無くなってしまった。

  

 そして、仮囲いだけが堺筋に残った。おしまい。

おまけ
 昭和25~30年代を代表した基礎工法。これは特許真管式基礎工法と呼んでいた鹿島建設の当時の深礎工法、地下3階の下から50年ぶりに姿を現した。と云ってもなんてことのないコンクリートの塊、されど当時の鹿島建設、および建設技術者にとっては高層ビルを可能にした懐かしい工法です。長堀高島屋の南側(増築部)から発掘し、記録をとって壊してしまった。せめてもの、古巣への恩返し。

  

 
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番外 ひっそりと消えていった、長堀高島屋 内部の痕跡

2008-12-13 09:12:19 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11

  

 柱と梁。

  

 柱頭部の装飾。

  

 隅部の梁。
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番外 ひっそりと消えていった、長堀高島屋 古地図でたどる

2008-12-10 17:42:32 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
借用で失礼、ROSS様のブログには堺筋の最盛期の百貨店(三越、白木屋、高島屋、松坂屋)の歴史を古地図と写真を使い、非常に分かりやすく説明されている。
あまりにも見事なので、長堀高島屋の解体記録にも使わせていただく事をご承諾いただいた。解説、説明は、ぜひとも下記アドレスでお願いしたい。

  

 大阪には創業から67年後の1898年(明治31年)心斎橋筋と三ツ寺町通りの交差点北東角に進出しているが、高島屋呉服店と書かれた店が1913年に発行された大阪地図に載っている。

  

1922年には、当時のメインロード長堀橋の南側、堺筋と鰻谷南通りの交差点南東角に鉄筋コンクリート地下1階、地上7階建の新店舗を開設している。

明治以降の「大阪」と、それ以前の「大坂」を訪ね、大阪を再発見するブログ

ROSSさんの大阪ハクナマタタ、高島屋大阪店の歴史より借用
( http://blog.goo.ne.jp/luckyhillson/e/fd0d21c3c5f36783b4823d3291872bca )
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番外 ひっそりと消えていった、長堀高島屋 構造図

2008-12-08 09:11:27 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
  

  

 架構建築”耐震構造論”内藤多仲著(大正13年)より

 お叱りを覚悟の上で、90年前の構造図ですが今の構造図でここまで詳細に書かれてるのは少ないように思います。

 構造に関する事故などが多発してますが、現在の構造設計は進化?してるが構造設計に対しての執念、愛着?が足りないのでは。
 
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番外 ひっそりと消えていった、長堀高島屋 2008.11.04

2008-12-05 09:33:32 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
  

 整地中。

  

 堺筋側から。

  

 旧高島屋呉服店(大阪長堀店、左側)と丸善石油本社ビル(昭和36年、右側)、大正11年の高島屋の基礎の形が良く分かる。現在の基礎との違いを専門の構造設計者にとくと見てほしい。設計図(当時は青写真や青焼きと言ってました)の下側が堺筋です。

 構造の設計は大阪中央公会堂や東京タワー、名古屋テレビ塔、大阪通天閣を設計した内藤多仲によるものです。
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番外 ひっそりと消えていく、長堀高島屋 2008.0901

2008-12-02 17:23:50 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
  

 忘れていた訳でもないが、切りだけはつけておきたい。

  

 正面玄関部解体(堺筋側)、盛り上がってるところが玄関です。

  

 入口花崗岩。(2008.09.17)下の写真の向かって右側、直径は300mm。

  

 玄関の両側の柱列、花崗岩の本石だった。(資料、高島屋史料館)
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番外 ひっそりと消えていく、長堀高島屋 2008.08 塀の内側

2008-08-07 16:31:33 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
  
 
 長堀高島屋部分。
  

 正面入口の跡です。
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番外 ひっそりと消えていく、長堀高島屋 2008.08 塀の内側

2008-08-05 08:09:36 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
  

 ここに何があったかは、すぐ出てこない。

  

 奥は昭和38年竣工、平成20年に解体された”丸善石油本社ビル”の残骸。手前は長堀高島屋が存在した場所。
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番外 ひっそりと消えていく、長堀高島屋 2008.07 基礎

2008-07-28 08:10:21 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
  

 基礎の底盤(底)を覗いてみた。一般の基礎などで用いられてる玉石や割り石などは敷かれて居なかった。しっかりした砂層の上に基礎が置かれていた。

  

 地下一階の床です。砂層の上に10cm位のコンクリートが打設され、9mm位の鉄筋が20cm間隔で入っていた。その上にアスファルト防水がされ、上には20cmくらいのコンクリートが施工されていた。

現在の地下の構造との違いは
 1 地下一階でありながら二重床にはなってないこと。
 2 地下一階の床構造は構造床になっていない。(土間)
 3 中央部の柱には基礎梁(柱と柱を繋ぐ)が設けられていない。

これで大きな不具合もなく80年近く使われてきた、現在の構造設計者もコンピュータに毒されないで一度原点に戻って構造設計を再考してもいいのでは。コンピュータと各種設計基準に振り回される構造技術者は魅力のない職種になっている、何とかならないかな。

次から次と設計基準を技術の進歩ととらまえて、数年毎に不適格建築物を量産してることを見直すことも大切です。

 くだらないことを言い過ぎたかな。くだらないことかもしれないが、長堀高島屋を記録しただけでも良しとしたい。

 TAKATAKATAKA流でいえば、まあいいか。岡田信一郎先生、内藤多仲先生、そして高島屋を愛する方々、唯の産廃にはしなかったよ。
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番外 ひっそりと消えていく、長堀高島屋 2008.07 .25 LIVE

2008-07-25 16:44:06 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
  

 何だこれはと言う無かれ、これでもまじめだ。大正11年竣工のビルの基礎だぞ。東京タワー、名古屋タワー、通天閣、大阪中央公会堂、などの構造設計した内藤多仲先生の大阪最初の高層鉄筋コンクリート造の基礎です。
と言っても何も変わったことは無かった。

  

 確認することに意味がある。と自問自答だ。

  
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番外 ひっそりと消えていく、長堀高島屋 2008.07 LIVE

2008-07-23 07:42:38 | 長堀高島屋解体記録 岡田信一郎設計T11
  

 ここまで解体された。

  

 造るのは時間が掛かるが壊すのはアッという間だ。

この部分は、旧長堀高島屋部分だ。昔の面影を残してるが見納めになってしまった。今回の主目的は、まじめな話”基礎構造”の確認調査だった。
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