趣味水彩

後世に残したい史跡や懐かしい街並みを描いた透明水彩画の作品集です。旅や外出の合間に路傍に佇み描いた趣味の水彩画です。

モヤイ像(2020/6/21)

2020-07-11 | アート・文化

日本全国の好感度ドンケツの我が茨城県の県庁所在地は水戸市ですが、昔々のその昔はこのモヤイ像のある柏原池の近くが常陸の国の国府があつた石岡市です。このモヤイ像は柏原池公園にある女性のモヤイです。石岡市や隣の笠間市あたりは水戸徳川家の影響を受けた地で、幕末維新の時代には徳川幕府に忠誠を誓う諸生派と勤王を志す改革派の武闘派の出身地でもあります。石岡市の近くの地は新選組の参謀で江戸北辰一刀流の剣客伊東甲子太郎、その弟鈴木三樹三郎が出た地です。

伊東甲子太郎は新選組に入隊したものの勤王の志が強く、御陵衛士という組織を作り新選組を脱退しましたが、京都駅近くの油小路で新選組に暗殺されてしまいました。皮肉なことに坂本龍馬が京都見回り組の佐々木只三郎(会津藩家老の弟)に暗殺される前日に、暗殺の危険が迫っていることを忠告した伊東本人も数日後に暗殺されてしまいました。

伊東の弟鈴木三樹三郎は暗殺を生き延びて、鳥羽伏見の戦いで近藤勇を銃撃負傷させたりして戊申戦争にも参加し維新後は石岡市で生涯を終えました。この辺りは新選組初代筆頭局長の芹沢鴨、新見錦、野口五郎、平間重助などの新選組水戸派の出身地で、同じ地域の出身者が敵味方となり幕末維新を入り乱れて争った人々の生地なのです。芹沢と言う地はもちろん芹沢鴨の生地ですが、彼に従い行動を共にした平間重助は芹沢暗殺の夜逃げおおせて生地で密かに戻り生涯隠れ住みました。維新政府の新選組探索の厳しかった追及を逃れて隠れ住んだのです。

石岡市あたりをめぐる幕末の歴史はこのように小説にもなる時代だったのです。もちろん、柏原池のモヤイが設けられるずいぶん昔のことで、水戸藩をめぐる生々しい歴史が現在にも影を投げかけている茨城の話です。

モヤイから話がずいぶん飛んで申し訳ありません。

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