義仲に添ひて芭蕉の墓建つる
義仲寺こそは侘び寂びの満つ 樋田哲夫
大津市・義仲寺は旧東海道を挟んで琵琶湖に面した景勝地であったらしい。現在は埋め立てられて湖は遠くなっている。800年前平氏討伐に挙兵した木曽義仲は北陸路に大勝したが、なぜか頼朝の不興を買い、命で都へ上った範頼、義経に敗れた。その地が義仲寺である。後年芭蕉がなんども訪れ、遺言により義仲と眠る。
義仲寺こそは侘び寂びの満つ 樋田哲夫
大津市・義仲寺は旧東海道を挟んで琵琶湖に面した景勝地であったらしい。現在は埋め立てられて湖は遠くなっている。800年前平氏討伐に挙兵した木曽義仲は北陸路に大勝したが、なぜか頼朝の不興を買い、命で都へ上った範頼、義経に敗れた。その地が義仲寺である。後年芭蕉がなんども訪れ、遺言により義仲と眠る。
鹿児島へ行かれたのですね。上空からの写真ブログで見ました。窓際の一番いい席だったんですね。運がよかったのです。
四国歩き遍路で幸松さんとはなんども出会いと別れを繰り返した不思議な縁があり、今でもメールや年賀状のやり取りが続いています。お大師さんの縁で北海道の大切な知人の一人です。
ブログは毎日更新して頑張っています。
義仲寺は寺とばかり思っていたので、大きな建物があるものと想像していたのが間違いでした。周辺まで行きながらうろうろ探す始末、たどり着いてびっくり。民家に毛の生えた程度で、山門だけが寺でした。義仲、芭蕉、巴御前の墓碑がメーンで中は句碑が多く文学と歴史が詰まった寺でした。何よりも境内の美しさは小さな別世界を作り出していて感じ入りました。メモやら写真を撮りながら約1時間ほどいました。
間違いなく芭蕉の遺骸がこの墓の中に収められたことは事実で、夕暮れが迫ったひと時、芭蕉と義仲の往時に思いを馳せ暫し感慨に耽った。
話は変わるが、広中洋子さんが先日鹿児島に飛んだ際、室戸岬と足摺岬の上空から写した写真が掲載されていました。念の為。