『ノルウェイの森』 の真意

2011-05-07 | ことば・文章

本当に、大切な作品です。

人物の描写や心情は限りなく繊細で 共感できるのに

「なんでこうなるの?」という展開とストーリー。

作者の真意が大きな謎。それはミステリー小説以上に・・・

 

「喪失感」「リアリズム」がキーワードだと思っていました。

そして「エウリピデス」(デウス・エクス・マキナ)

 

ギリシア悲劇って凄いですよね。

親殺し 子殺しとか あらゆる感情もストーリーも

既に描かれてしまっている。今から2千年前に。

僕は 小説を書こうとして 途方に暮れました・・・

「もう全部書かれてる。後は真似るだけ?」って。

そしたら、自分が書く意味なんて無いのか、という絶望感。

 

この文章を書こうとしてエウリピデスを調べたのですが

道義的なモラルとか 社会通念を越えてしまってるんですね。

だから レイコさんとのセックスとか モラルでは説明がつかない関係とつながってくるのか、と考えました。 

 

「リアリズム」と「デウス・エクス・マキナ」は相対する概念ですね。直子の死は、どちらなのか。

もともと この設定では彼女は「死ぬことを定められている」キャストに思えます。それは「デウス・エクス・マキナ」の解決でもあって、主人公は、神の交通整理が終わって、自分のいる場所がわからなくなるのです。

では そこに至るまでの二人の愛情や 行き場の無い感情は どういう意味を持つのか。ラストが決まっているなら、全ては無意味にも思えるのに。延々と「リアリズム」の手法で語られる人間の営み。性的なことも 愚直なまでに細かく。

 

あまり大げさな表現は使いたくないけど、この作品は 人間 の矮小だけど決して消えない感情を拾い上げて、その意味を問うている気がします。たとえば「神」がいるなら、その答えを知っているのかもしれない。でも、 キリスト教とか学生運動などのその時代の枠組みは、何も答えを与えない。「世間」に対する不信感が、世界に対する不信感にもつながっていく。個人としての 信念と、愛情を交わす関係が大きな意味を持ってくる。「100%の恋愛小説」という表現が、逆説的に意味を帯びて(笑)

 

心は、自然といろいろなことを感じるし、他者とのつながりも、避けられない。それが人間のリアリズムなんでしょうか。

作者は リアリズムの手法を突き詰めることと、「デウス・エクス・マキナ」と対峙させることで、人間の意味を問いかけ、空しく苦しい喪失感と、生きていることの輝かしい価値を対比して、浮かび上がらせた気がします。

撒き散らされたリアリティに、ミスリードの嵐。でも、作者の真意は、言い知れぬ感情のレベルで、読み手に伝わっていく。