台風一過&菜園の様子
↑ 2枚とも、屋上より、台風一過晴れ渡る。
ゴボウ
ブロッコリー野菜
畑、皆さんの菜園の様子。倒れたトマトの支柱
台風過ぎ去りし後、一層秋が進むことでしょう。
コメ欄は閉めています。
台風一過&菜園の様子
↑ 2枚とも、屋上より、台風一過晴れ渡る。
ゴボウ
ブロッコリー野菜
畑、皆さんの菜園の様子。倒れたトマトの支柱
台風過ぎ去りし後、一層秋が進むことでしょう。
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台風一過、暑い・暑い
風もおさまり、お昼頃は静かになり、気温がぐんぐん上昇。
あの強風では、・・・・と、畑に状況視察に出向いた。
里見公園の噴水が、勢い良いよく青空に水を噴き上げていた。
里見公園乙女の噴水。
33度cの気温、暑さを紛らわすには恰好の見もの。
辺りには、深夜の強風で枯れ枝や、モミジの葉が沢山落ちていた。
幸い菜園は、種蒔きしたばかしなので、風に煽られるものは無く被害はなかった。
コメ欄は閉めています
またもや彼岸花 、近くの・宝蔵院
早起きは三文の徳に続きです。
また、彼岸花で失礼します。前回は、国府台菜園近くでした。
今回は近くの鐘楼が眩しい宝蔵院です。葛飾区でもかなり名が通った、彼岸
花の咲く名所です。多くのカメラマンが訪れます。
しばらく「柴又用水」を掲載していて、一般の方には興味ない記事でし
たのでクロスしていました、斟酌下さい。
宝蔵院です
井上靖、柳原白蓮の碑があります。
新中川土手から眺めた鐘楼です。
朝の散歩時、東の太陽に輝いて眩しい鐘楼です。
鐘楼の下、通路脇にも彼岸花が並ぶ。
多くのカメラマン見学者が訪れるので看板が掲出されていた。
「中に入らないで下さい」
柳原白蓮の歌碑・自筆による。
本堂前にて
寺の境内にて、灯篭、無縁仏があちこちに見られた。
境内は彼岸花が咲き乱れていました。
大型の台風18号は、関東甲信や東北などを暴風域に巻き込みながら北東へ進んでいて、1時間におよそ100ミリの猛烈な雨が降ったと見られる。
東京地方は深夜に、局地的に非常に激しい雨や、強風が吹いた。
大型の台風18号は、午前3時には、新潟県佐渡市の南南西50キロの海上にあって1時間に70キロの速さで北東へ進んでいった。
大正・昭和期の柴又用水跡を歩く
(葛飾探検隊・記録用 )
金町浄水場からの放水を利用
昭和元年(1926)8月、金町浄水場が江戸川から源水を取水して、稼動開始した。
柴又地域の北側にある金町浄水場では、江戸川から取水して、浄水処理したのち時間が経過し過ぎて上水として供給できない水を再び江戸川に戻していた。これを知った、柴又の農民は、この水を柴又用水に放流するように懇願し、その結果が真光寺真勝院裏付近から放流し、現在の柴又東リ付近の水路に合流し、柴又用水となった。
「大正・昭和における柴又用水における
利用と維持管理の変遷」 山科 盛人 福井 恒明 (出典)
コンクリートが見えます。
付近の古老に尋ねるとこの道路をどぶ川が走って柴又道路方向に流れていた。(談)
この丸いコンクリートが放流口であったかは定かでない。
探検団の人達、一度中も見学したいものです・・・ね。
今回は金町浄水場からの放流水の現場?を探検した。
柴又用水は、①小岩用水からの分水、 ②江戸川・新八用水路からの揚水、 ③金町浄水場からの放水
の3ヶ所の現場を見分した。
農民は苦労して水を確保して、作物に当てがった。 如何に農業と水が大切であるか!!考えさせら
れた。確保した水を地域内に留めておくための「堰」を設けたのは、柴又の歴史的領域を示すものと考
えられる。
謝 辞
8月の下見に行った際、付近の古老から昔話を聞かせて貰いました、この場をお借りして御礼申し
上げます。 文献・山科盛人、福井恒明氏の研究資料をお借りしました。そして記事の骨格をなしたこ
とに感謝 いたします。
コメント欄は閉めています。
大正・昭和期の柴又用水跡を歩く
(葛飾探検団・記録用 )
=柴又用水のもう1つの水源 、新八用水路=
大木が生い茂るところが、新八用水路です。
駐車場、サッカー野球場があり日曜日とあって多くの観光客が訪れて居た。
水路口は雑草で被われてわからなかった。
河川敷に水路約70~80mが続く、江戸川の河川に行く葛飾探検団
新八用水路(江戸川の取水路)を見学する団員。
遠くに矢切の渡しの渡舟が見える。
◎ この付近の江戸川は、干潮時には、素足で対岸へ歩いて渡った場所だと言います(金町に長年住む古老談)
南葛時代の古い地図を見ると、川が二叉に別れ陸の孤島があったことが地図上で明確になった。
金町の古老談を裏付けることになります。
◎ この僅か上流が『矢切の渡し』です。細川たかしのヒット曲は、ここから生まれた。
◎ 日曜日で、お客さんが渡船で楽しむ様子が、木陰から望見できた。
←クリック拡大
東京府南葛郡地図
江戸川に孤島があり
浅瀬であったコトが良く解る
「参考」
矢切の渡し付近は「からめきの瀬」と呼ばれていた。これは浅くて攻めやすいと言う意味で、「カラめての瀬」が変化したものと言われている。
2度にわたって国府台合戦が行われたが、この辺一帯が戦場として、葛西城に陣を取った、後北条死と里見城に陣を取った里見氏の間に江戸川を挟んで1万人の人々が命を落としたと言われている。
長閑に行き交渡しを見ているとそんなことは微塵も考えられない。
以下文献による。
↓
「大正・昭和における柴又用水における
利用と維持管理の変遷」
山科 盛人 福井 恒明 (引用)
住民の方々からのヒヤリングにより、次の情報を得た。
新八水路
↑ 火災保険図、図-15にて確認できる、江戸川と接続している水路を≪新八水路≫と呼ばれていた。
水路脇には、「新八酒屋」があったことから由来すると言う。
新八水路を介して、柴又用水への水の管理を行っていたのが、「圦番屋」(入番屋)である。
江戸川の潮の満ち干は、春先の雪溶けや台風により水位が変わる。水路に設けた堰枠への堰板の出し入れによって、水利が上がった時取水し、水位が下がった時閉じる操作を行った。
しかし、江戸川河川改修や上流の取水によって水位の低下によりこれが不可能となった。
そのために足踏み水車を使い、人力によって取水を行った。足踏み水車は、3段階繋げて取水する必要があった。1段階に3台づつ、計9台の足踏み水車が並んだと言う。足踏みの労働は、住民が交代で行い、交替時間の計測は、線香を用いて、燃え尽きるまでを交代目安とした。
昭和に入り水車に代わって、クボタ発動機〈1922年生産開始〉を用いて取水(揚水)が行われた。この発動機が故障すると、修理するものがおらず、クボタ本社の京橋までの1日がかりで修理に行った。
昭和10年ころになると、電線を引きモーターを導入して水をくみ上げた。コンクリート基盤(120cm×120cm程度)が江戸川河川敷に1基残存し、水位低下時には確認できると言う。
江戸川河川敷に、コスモスが咲いていた。
柴又の土手から眺めた山本亭
葛飾探検団は、歩いて現場実査し、自ら学び、発表し、皆さんが学んだことを共有し、記録に留めて後世への資料とします。今回は「柴又の文化的景観」ということで柴又帝釈天を中心として3部門に分かれて見て回りました。次会それぞれ感じたこと、思わぬ発見があり、その内容を皆さんとで語られることでしょう。
次回は金町浄水場の記事を掲載します。
コメ欄は閉めています。
大正・昭和期の柴又用水跡を歩く
(葛飾探検隊・記録用 )
葛飾探検団のサークルの旗 葛飾柴又、寅さんの故郷
柴又駅前で
葛飾探検団の皆さんが三々五々集合、9,30分。
最初に訪れた柴又ホームの隠れたる部分です。チョイとは行った横丁から覗く。
その昔は、柴又駅の下を、「柴又用水」が、通水していた。
この付近には鷺沼が存在したと言う。
なぜ柴又駅の見知らるところにマンホール。
柴又用水はどぶ用水となり、時代とともに下水管が敷き設され、街の美化が始まる。
今も残る柴又用水跡(下水道管が敷き設)
柴又街道を渡り、江戸川土手方向に進む。
「しばまたこばし」付近から右に分水して、”さくら道”方向に流れたと言う。
そう言われて見ますと、道路がどこまでも直線で続く。
地図を見ると用水路は網の目のように張り巡らされていた。
オットット、家庭菜園ならぬ、冬瓜が都会の真ん中にぶら下がる!!
直線道路、柴又用水分水路跡を行く
”柴又小学校西“野交差点に『堰』があり無駄な水が流れないように、
板で堰を作り分配したとの事です。
↑
赤字で”堰”が記入してあります。
黄色い円内を歩きました。
道を左に折れて、柴又街道に出る。
新柴又駅に近い、日蓮宗寺院の題経寺【↑2枚】
寅さん会館にて小休止,30分。
会館内では、サイクルショップ・バザーが行われていた。
次回は新八用水路に向かいます
コメ欄は閉めています。
大正・昭和期の柴又用水を歩く
(葛飾探検団記録用 )
柴又地域の文化的景観を保存するための
基本的な方針「葛飾柴又の文化的景観保存計画」が取りまとめられました
その趣旨は次のようなものです。
( 調査報告書の概説部分をお借りしました。)
◎ 葛飾探検団との係わり合い。
クリック拡大
探検団は、郷土と天文博物館内のボランティヤ組織です。
葛飾区では、一大イベントとして「柴又の文化的景観」に取り組んでいます。
そこで少しでもこの行事の側面から応援し、ボランティヤとしてお手伝いが出来ればと、
柴又地区の文化的景観を歩いています。
川・道・路傍の碑、寺社などを訪ねながら、葛飾の暮らしや文化がどう変わったかを調査・記録します。
調査研究や展示などの博物館活動に参加しながら郷土の歴史を学ぶボランティヤです。
ワーキング部門(前回班編成)
◎ 大都市近郊の低地開発の歴史を伝える空間(柴又用水路)
に専従して調べることは前会合で決まった。
本日は、ワーキング部門の活動日です。
集まった葛飾探検団の面々
江戸川河川敷、新八水路の見分に向かう
歩いたコースやその個所の活動経過を、次回に掲載します。
コメント欄は閉じています。
大正・昭和期の柴又用水跡を歩く
(葛飾探検団・記録用 )
葛飾探検団に参加し「柴ぶら」に参加し、
「知られざる歴史、柴又の文化的魅力」の大要が解るようになった。
8月20(日)郷土と天文博物館にて、
この調査に専門的分野で関わった(基礎調査)東大教授の花田先生の講演と
これに伴うデスカッション、(質問)が催うされた。
この時に、「ワーキング・グループに分けて調査方向の検証」がなされた。
そして、3部門のワーキンググループに班分けされあた。
3ヶ班に分けた。
その3つの班とは、
1、帝釈天読経寺及び門前からなる空間。、
① 帝釈天読経
② 帝釈天門前
2、帝釈天読経寺と門前と係わった農村部の空間
① 国分道添い
② 帝釈天南方・江戸川河川敷
3、大都市近郊の低地開発の歴史を伝える空間(柴又用水路)
① 柴又用水域
② 金町浄水場付近
③ 江戸川・河川敷
このワーキンググループの班に分けて、
3、大都市近郊の低地開発の歴史柴又用水路・・・・・の部門を選択した。
暇に任せて、8月23((水)に下見方々現場実査した。
実査の結果
柴又用水の実査に当たって
この時の重点項目
1、小岩用水と柴又用水の分岐点
2、江戸川への排水路と新八用水路(江戸川からポンプにて揚水していた
3、金町浄水場からの放水 (金町浄水場は、江戸川を源水とする浄水場として、稼働開始。
余った水を浄水場から、下水路に放流していた)
実査の概要
① 柴又八幡神社境内の柴又用水の碑。
天保6年(1835年)、鈴木幸七の手によって用水路が引かれ、水利用に悩んでいた
柴又の地を救いました。
これは鈴木幸七に対する顕彰碑です。
葛飾区登録有形文化財
柴又用水の碑
平成2年(1990)3月19日登録
根府川遺志の不整形板石碑で、明治6年(1873)銘の訓導(旧制小学校教員)橘田春湖による名文が刻まれています。、
銘文によると柴又は土地がやや高く、昔から水の利用に苦労が絶えませんでしたが、天保6年(1835)に鈴木幸七の手によって用水路が引かれ、窮状が克服されたことがわかります。さらにこの事業の結果、堤防も堅固にされ、洪水も防がれました。
この碑は鈴木幸七にたいする顕彰碑であると同時に、明治初年(1868)における当地域の農工水利開発の由来を示す点でも注目すべき記念碑です。
東京都葛飾区教育委員会
②、小岩用水と柴又用水の分岐点付近
葛飾区新宿交通公園前にて
③ 柴又用水分岐点
← クリック拡大 →
小岩用水から柴又用水へ 現在は一方通行路歩道です
下水道普及によって58年に埋め立てられた
④、柴又用水で、唯一水が流れている場所
クリック拡大
京成柴又駅前の帝釈橋。 柴又水路の面影
この場所だけが、水路となって水が流れて柴又用水の面影を残す。
⑤、 柴又街道を渡ります
柴又用水道標 しばまたごはし跡
いぬまはし跡 此処から裏道らしく細くなる
用水案内道標と?? でどはし(出土橋)
付近の案内板
⑥、排水ポンプ所の建物が残る
排水ポンプ場の全景
江戸川に通じる導水管か?今も残る。 裏から見た建物
⑦ 反省と実査できなかった場所
A 江戸川から揚水していた、新八用水路は発見に至らなかった。
B 金町浄水場からの放水は、近くの古老に話を聴いたがよく解らなかった。
未解決に終わった。
次回9月10日(日曜日)の葛飾探検団が実査するときに入念に調べたい。
コメント欄は閉めています
早起きは三文の徳!!
満開の曼殊沙華に出会えた
国府台菜園に何年通ったであろう。
こんな満開に出会ったことがない。ビフテフル! ワンダフル!
早起きは三文の徳、きっと神が引き合わせてくれたのでしょう。
管理者に感謝
前方の鳥居は国府台天満宮
朝の散歩のご夫婦も、「きれいですね!」が、挨拶となった
曼殊沙華はアッと言う間に花が乱れます。
塀の中は、安国山総寧寺の敷地です。
畑では、違った花にお目に掛かれた
コスモスの花が!!
* 菜園に通い坂道彼岸花 (縄)
蚊に刺されて、オウかゆい・・・!!
参りました
大根・にんじんを撒いたその後、発芽状況は如何・・・に?
本日は、小松菜を撒かなくてはと、思い早朝の菜園に出かけた。
蚊がいきなり飛びついてきて、払っても逃げない、カユクテ参りました。
予定していた農作業(草取り・種蒔き)終えて、早々引き上げた。
AM5,30分、隣のkさんと一緒になる。
今到着したところです…と、農作業の手入れに余念がなかった。そこへ女性のSさんが見えて
”蚊の話”になった。早朝の作業には防除対策をしなければ!!・・・・と。
エシャロットがやや伸びてきた。
9/4日播種、ニンジンの発芽状況
9/4、大根を撒いた、発芽状況(2枚合わせ)
白菜の苗、風に弱いのでビニールで囲った。
キャベツの苗の植え付け。
9/4日、施肥をしました、順調に成長しています。
畝を見ると曲がったり、凸凹だったり、草が有ったりです。
鍬でサクを切るのも、目見当なので致し方ない。
Kさん、Sさんに別れを告げ菜園を後にした。
こんどの早朝作業は、蚊に対する防除を考えなくては!!