奥戸・宝蔵院、[和光の鐘桜]
(昭和三十八年春、建立)
時あたかも10数年前、毎朝鐘が鳴った。
どなたが突いているのであろうか・・・・興味を持って確かめに出かけた。
60歳前後の御婦人でした。撞木を力いっぱい振り絞り、鐘から引き離し一気に離す。
和光の鐘がゴ~ンと・・・・周辺の一面に響いた。
鐘が響いている間、ご婦人は鐘の下を3回駆け回り、次の撞木を突く
準備に取り掛かった。また、ゴ~ン・・・・。
心の三毒「貪・瞋・痴」を拭い去ったのであろう。
これが何回繰り返されたか、数は忘れた。時が経過して、鐘が止んで居たのに気付いた。
あれから・・・月日は相当に経過した。
緑の中に燦然と輝く鐘楼の白、強固な石垣の上に建つ4本の柱、
吊り下がった鐘、大好きな風景です。
宝暦の頃、国事につ勤むる男女この寺へ逃れしが捕史の襲うところとなりて、
当時の住職と共に討たれしという哀史伝われり。
寺鐘の失われしはその頃のことにして、爾来堂宇荒廃のまま時移り、世は変わり、
今日まで鐘桜建つことなし。
昭和の住職関谷宣雄師、鐘桜再建を発願して、多歳浄財を得て、昭和三十八年春、
和光の鐘桜の建立を見る。
往古迦賦色迦王悪龍の請に依って伽藍を建て、鐘を打ってその瞋心を息むという。
諸々の悪龍の瞋心ここに息むべし、
時恰も新中川放水路開鑿に当たり、宝蔵院はその流れの岸に臨めり。
晨夕の鐘声は水底に没せし農家、耕地のために、また新しき
供養の意味を持つと謂うべし。
井上靖
中川へ 向けて鐘楼 彼岸花 (縄)
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