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公害の原点を歩く (Ⅰ)

2008年04月21日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

足尾精錬所

仕事を休んで、このツアーに参加した。
来て、見てよかった。

公害の原点
この目でシッカリと眼底に焼き付けた。


渡良瀬川右岸にある足尾精錬所


この1本の煙突が足尾の山々をハゲヤマにした。


渡良瀬川右岸崖上の工場の一部


赤錆で無残でもあり、これが日本公害の原点だ!
といわんばかりの工場跡


白い建物に『足尾精錬』・・・とかすかに読み取れる


銅独特の『緑青』が今も岩盤を染める


精錬所跡を見てきて庭に黄色い花・・・・ホット・・一息ついた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日のメモ

公害の原点をこの目で!!

渡良瀬川上流・松木川沿いを歩くと、
まもなく深い谷を隔てて崖にしがみつくSF映画の廃墟のような
赤さびた建物と煙突
が見えてきた。

日本の公害の原点といわれた足尾銅山の足尾精錬所である。

北関東の遠い山肌には萌黄色のかすかな新緑の芽、
山全体が土留めのように麓から頂まで至る所に植栽工事が施してある。

荒涼とした岸の斜面におびただしい数の墓が並んでいた。
苔むしたり、傾いたりした墓石もあった。
『坑夫の墓』と書いた標識があり近くには寺もあった。

足尾銅山が発見されたのは、江戸時代のはじめ慶長15年(1610)年で、
幕府の御用銅山になった・・・と、ものの本に記してあった。

古河市兵衛が、一時衰退していた足尾銅山を再開発したのは
明治10年(1877)年。
新しい技術と近代的設備を導入し日清・日露の銅特需ブームに乗って
足尾は日本の殖産興業として発展した。

精錬所ができたのは明治17年(1844)年だが、
銅鉱石を溶かすときに生じる有害な亜硫酸ガスが山々の草木を枯らし、その鉱毒水が渡良瀬川を汚染し流域の田畑を荒廃させた。
これが代議士・田中正造が決起したいわゆる『足尾銅山鉱毒事件』である。

なぜこの様な公害の原点、廃墟のような建物を無残にも
残してあるのだろう・・・・・そんな疑問を抱いた。
実はこれが、町全体ひいては日本の大きな観光資源・歴史的な財産と
なっていることにハタと気がついた。

渡良瀬遊水池、その1・

        鉱毒の旧谷中村に立つ その2

                          (葛ハイパンフ参考に
                                   現地を見ながら記述)

後日数回に分けて掲載します。

 

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11 コメント

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SF映画の廃墟のような (momomama)
2008-04-21 17:30:27
観たときにすぐ ジブリ映画を思い出しました。
こんな廃墟がよくでます。
人間の悲しみを風景で表わすと こうなりますね。。


広島の原爆ドームのように 忘れちゃいけない象徴として
残してあるんですね。

日本全国でこんな記念碑(?)ばかりになって
未来 国全部ひっくるめて“嘆きの国”なんて言われないように
美しい自然を残したいですね。。
返信する
水俣病を・・ (どんこ)
2008-04-21 21:12:58
身近に経験しているどんこは公害には人一倍敏感です。

同級生の新聞記者はこの水俣病のスクープで名を上げました。

もっと早期に企業や行政が被害者の立場で対応していたらあれだけの被害は起こらなかったでしょうに・・・。

お抱かえ学者などのコメントも今読んでみると噴飯ものですが、当時は大多数の国民も加害者の立場にいたことが良く分かります。

足尾銅山事件から水俣病は何も学んでいなかったのです。歴史から学ばない国は亡びるのではないかと痛感しました。
返信する
みどり (自然を尋ねる人)
2008-04-21 21:39:11
 春から初夏へ向かって自然は走っています。
花が散り、山々は若葉色でなぜか鰹が目の前をちらつきます。
それを見た後ですから足尾の悲惨さ良くわかります。
そのままにして観光立地で生活を考えるのも1つでしょうが人が生きていくためには自然の色が大切だと思います。
山は緑、空は青、鳥が歌い、ルンルン気分で花を摘む少女、こんな姿が最高です。
返信する
Unknown (とん子)
2008-04-21 21:53:07
私も何年か前に行きましたが気持ちのいいところでは無かったです。

禿山・・ヘンな色の地肌。。

公害の元。。皆さんの健康はどうなっていたんでしょうか??

中にも入りましたが苦労の後が??

↓のコメントにとん子に又返事無し??もう返事なければきませんよ!!
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古河市兵衛 (和三郎)
2008-04-22 01:16:19
こういうことをやると古河工業みたいなサッカーチームを持てるくらいの会社を作れるんだ^^;
こういうものは、人間の愚かな行いを記録するために残しておいたほうがいいですね。
こういうものを潰して、きれいな公園なんかにしないほうがよい。
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足尾銅山 (横浜のおーちゃん)
2008-04-22 11:19:33
明治の曙期に殖産の大きな力にもなり、公害の原点ともなった施設を残して置く意義はあるのでしょう。
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公害 (とくさん)
2008-04-22 11:27:34
おはようございます
昔は公害と云う言葉すらなかった。
足尾銅山で初めて公害と云う言葉が出た来たのですか。
以前の公害はなすすべもなかったが、今では公害より災害が多くなって来た。
日本の公害に対する技術も進歩したが、災害に対する備えは今一つ。
公害も災害も無くなる世の中になって欲しいですね。

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返信 (縄文人)
2008-04-22 17:32:01
①公害のことについて少し本を読んだことがあります。大気汚染、水質汚濁、地盤沈下、振動、騒音、悪臭・・と。
大気汚染というものが、これほど人間を痛めつけるとは思いもしなかった。

②足尾行き、団体行動・・・なので、見て歩きの為に路地や、奥深く入って見られなかったことが残念でした。

③リダーの
20年前と比べたら・・・ずいぶん良くなって・・という言葉に救われた。

momomamaさん
日本3大公害 水俣病・イタイイタイ病・四日市喘息。
足尾公害事件は、既に工場活動を停止しており、
公害ということから捉えれば原点であったのでしょう。
上に記した三大公害病は、現在進行中で厚生省も躍起になってその対策に頭を痛めていたようです。
しらず知らずに蝕まれる公害・・・・・・・。

どんこさん
足尾の町を歩いていて多くの墓場が目に付いた。
廃墟が与える怖いような、打ちひしがれたような大きなイメージ、そして山々の裸地化・・・・。
当時は、職業病などという言葉すらなかったのであろう・・・?
働く人が鉱毒のために亡くなっていったのではないかと・・・そんな気がしました。
いつも重き、深いコメント感謝・・・。

自然さん
こうして自然を謳歌できるのも、人間生きて入ればこそです。
足尾の街はソメイヨシノが満開で、山の緑が少しほころんでいました。
緑になるのでしょうか・・・山肌が見える山?

とんこさん
イヤイヤ申し訳ない。
平身低頭ごめんなさい。
朝早く仕事に出て、帰ってきた脚でコメントを書く。
日勤を終わった後とか・・・頭がボ~ットして、ツイツイ皆さんに迷惑を書けることが多いのです。
こればかしは、言い訳は無用でした。

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返信 (縄文人)
2008-04-22 17:43:33
和三郎さん
どなたか仰っていましたが、原爆ドームもシカリでしょう。
山のハゲヤマ、そして鉱毒水の汚染による田地田畑の荒廃。
工場に、まだ安全マークの旗がはためいていた。
話によればまだ何らかの仕事をやっているとか・・・・?

お~ちゃん
残すことに意義があるのだと思いました。

とくさん
公害は技術の進歩で少なくなったようです。
それより何より人が人を殺す事件が多くなりました。
それも若い人の殺人事件。うんざりです。
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日本の公害の原点 (ヒキノ)
2008-04-22 19:51:10
「負の世界遺産・足尾銅山」に登録申請中とか?
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