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"Once more, please." もう一度 ・ 『奥多摩湖』

2019年02月06日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

 

石川達三「日陰の村」日経・夕刊  文学の周辺

 


日陰の村、小河内村  
東京都資料から出典

日経新聞・夕刊、2/2を

読んでいると、下の記事が目に飛び込んできた。

そうそう!!山行きで奥多摩湖へ何回も足を運んだ。

村民の集団陳情に向った多摩むかしも2度ほど往復した。


 "Once more, please." もう一度、
あの「日陰の村=『湖底の故郷』に、陽を当てたかった。

 

 

日経新聞の記事 

「日陰の村」は37年9月「新潮」に発表された。
東京の水源として貯水池の底に沈むことになり、当時大きな社会問題化した。

その旧小河内村を克明に描いた小説です。立ち退きの補償を当てにする村民は
勤労意欲が減退し、山林や畑は荒れ放題。

ところが工事着工は、何年も先に延ばされて村は益々疲弊する。
村民は、奥多摩道を通り集団陳情に出かける。

その一部始終が丹念に取材され村落の哀史が浮き彫りにされる。

 

 


上記は、「日陰の村」解説の冒頭部分書き出しです。

 



奥多摩湖周辺図

 
何回か訪れた奥多摩湖。

 
湖底に沈んだ村の歴史を刻んだ碑、
右の赤石は「湖底の故郷」を刻んだ歌碑、ここに佇むと故郷への思いが・・・・・、
熱く込み上げるものがあり涙腺が緩む。

 

 東海林太郎・「湖底の故郷

夕日は赤し 身は悲し
涙は熱く 頰濡らす
   さらば湖底のわが村よ・・

この歌は、「日陰の村」と同じ年に発表された
発表を見るや湧然として世の共感を呼び、全国内に愛唱されるに至り、
村民もこれに依って離郷の悲想を大いに慰められた。

 

奥多摩湖には、4~5回訪ねた。

「奥多摩 水と緑のふれあい館」を訪ね、旧小河内村の日常生活用具、

農機具も見学、実際手にも触れました。

それらをつなぎ合わせて編集した。長編です。
村民の立場に立って考え作りました。思うと熱いものが込み上げる。

 "Once more, please." もう一度、

 

DB  湖底の故郷 

 

 

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南葛88ヶ所、 四つ木地区

2019年02月06日 | 宗  南葛88ヶ所巡り

43番寺 善福院  葛飾区四つ木3-4-29

 

善福院の縁起

善福院は、永正16年(1519)祐誉法印が東照宮若王寺と称して創建、

徳川家康公の神号をはばかり善福院と改号したといいます。

 

 

      南葛88ヶ書大師様

 

コメ欄は閉じています

 

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