哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

世界の同一性を疑う

2010年07月28日 | xx3人類最大の謎

Lefebvre_portrait_of_a_woman_2 もう少しくわしく、この謎の作られ方を調べてみましょう。

まず「世界は、はっきりとここにある」ということはどういうことなのか?どんな場合でも、そういうことであるのか、あるいはそうではないこともあり得るのか、そこからして疑ってみることにします。

はっきりとここにある、とはどういうことか? それがだれにとっても客観的な現実であるということでしょうか? もしそうであるとしても、まず客観的現実というものは、本当にだれにとっても同じものなのでしょうか? 

たしかに、人間ならだれもが「世界は、はっきりとここにある」と思っているに違いない、と思える。しかし、今ここにあると感じられる世界が現実の本物の世界だ、と思えるという状態は、私の内部の状態であるから、私が今これが世界だと思っているものが他の人が世界だと思っているものと同じだという証拠はない。私が、他の人も私が世界だと思っているものを世界だと思っているだろうと思っているだけで、それがそうであるという証拠はない。それを確かめるために他の人に質問してみてもだめです。

だれかをつかまえて、世界ははっきりとここにあると感じているかどうか、質問してみましょう。すると人間だれもが「私は『世界ははっきりとここにある』と感じている」と言うでしょう。しかしその言葉の形は同じであるけれども、それぞれの人が感じている世界が同じ一つのものである、という証拠は、どこにもありませんね。

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