哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

言葉で語れないもの

2009年10月03日 | xx私はなぜ息をするのか

Ertex

たとえば、私の身体に対する私の愛情は、目に見えるこの現実世界の中にはない。ひいきのサッカーチームに対する私の愛情は、目に見えるこの現実世界の中にはない。ペットが死んでしまったときの私の悲しさは、目に見えるこの現実世界の中にはない。私の背中のこの痒いところからくるイライラ感は、目に見えるこの現実の物質世界にはない。こういうものは、この現実の物質世界とはあまり関係がない。この現実世界よりもずっと大きな世界にある。いや、大きな世界にある、というのは正確な言い方ではない。こういうものは、人々と共感することがむずかしい。共感できないものは世界ということもできない。

それは比喩や想像を使って人々と共感できるような架空の世界といえるものでもない。ただ、私の身体がそれをかなり強烈に感じる、というだけのことです。人と共感できないものは、言葉で語ることは不可能というしかない。言葉で語れないものを語ろうとすれば、かならずおかしな表現になる。

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