イバラノツルヒコの華麗なる生活

ボンソワール、今夜も僕と素敵な話をしよう

ひさびさに

2006-10-21 21:07:31 | Weblog
なんだかそういう気分なので、今日は絵チャット部屋にいようと思います。


…というわけで、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
22:00-24:00(といいつつ少しオーバーしたけど)の間に、たくさんの方にお越しいただきました。
いろいろと至らない点があって十分お楽しみいただけなかった方もいらっしゃるかと思いますが、次回は改善できる部分もあるかと思いますのでまたよろしくお願いします。

というわけで、ちょっとだけログを紹介するね。






…というわけで、久々に借りっぱなしの絵チャット部屋が有効活用されたよ。
今回も1時間前告知になっちゃってごめんね。

拝受

2006-10-20 23:32:35 | Weblog


僕は、ぬいぐるみというものにさほど魅力を感じないたちなんだけれど、可愛い後輩たちが「僕に似ているから」という理由で買ってきてくれたものがあるなら、それは有難く受け取らなくっちゃなあ、と思うくらいに礼儀はわきまえているつもりだ。

それがどんなに自分にとっては不本意なイメージのものだとしてもね…。

かなわなくてもいい夢

2006-10-19 23:47:16 | Weblog


おそらく誰でもひとつやふたつ、実現しなくても構わない夢っていうものがあるんじゃないかって思う。隠れ家みたいなカフェのマスターをやるとか、愛犬一匹だけ連れて秘境を旅するとか、ヴィンテージもののカメラばっかり置いている店を出すとか、そんなふうな。

僕だったら、やっぱり古書店がいいかなあ。きれいな絵のついた昔の洋書とか、あやしげな呪文の書かれた魔術書とか、解読不可能な化学式がびっしり書いてある本とか、そんなものたちにかこまれて、昼だか夜だかもわからないような薄暗い店内で、一日じいっとお客を待つんだよ。

もっともそんな暮らしは一日で飽きてしまいそうだし、そもそもそんな調子じゃあ経営が成り立ちそうにもないから、やっぱり実現はしなくていいんだけどね。つまり、そういう暮らしでも満ち足りていられる自分、というものになんとなくあこがれてしまうのかもしれないなあ。

ほとんど自動書記

2006-10-18 22:47:55 | Weblog


ボンソワ。今日はほんとうは、僕がロマンを感じるものについて書こうと思ったんだけれど、それにはちゃんとした絵を描きたいところで、でも時間がないのでそのエントリーは後日にまわすとして、絵チャット部屋でとりあえずラクガキしたものをアップすることにしたんだよ。感じとしては電話中につい描いちゃうヘンな線とかと同じで、意味はないよ。

…そうまでして更新しなくてもいいような気がするよね。
まあそんな日もあるってことで、アデュー。

できないこともある

2006-10-17 23:24:29 | Weblog


頭の中で、「人類すべてを愛する」イメージを描くことはなんとなく可能だけど、毎日の生活の中で会う人すべてを愛せるかというと、なかなか難しいことだよね。
もちろん、喧嘩をしたりした後で、でもやっぱり自分にとって大事な人だ、って思うことだってあるけれど、最後まで受け入れがたい人とか、興味がわかない人がいる、っていうのは、割と普通のことだと思う。

だけど、これをひっくりかえして、「会う人全てに僕が好かれるわけではない」ということを実感すると、やっぱりへこんじゃうのはどういうわけだろうね。

理屈が感情を制御できるなら、苦労はないんだけどな。

五分の魂

2006-10-16 22:36:15 | Weblog


今朝方、部屋にクモが入り込んでいたので、捕まえてベランダに放してやった。
たしか、朝グモはなんとか、とかいう迷信があったような気がするし、クモは害虫を食べてくれる、なんていうのもきいたことがあるような気もするけれど、実際理由はどうでもよくて、殺すよりは逃がしてやったほうがいいや、と僕が思っただけのことだ。

これで、もし見つけたのがゴキブリだったら、問答無用で殺しているわけで、まあこれにも不潔だとかいろいろな理由がつけられるけど、多分僕にとって、本当のところは理屈じゃないと思う。

僕が虫だったらそんな理不尽な話はないんだけど、その理不尽さを虫の代わりに訴えてあげよう、とは思わなくて、かといって世の中は理不尽なものさ、と言う気にもならなくて、結局なんとなくこんなことをブログに書いてみたりしたんだよ。

悲しい

2006-10-11 21:18:29 | Weblog


悲しくて悲しくて参ってしまっている友達に、僕は何ができるのかな。
黙って側にいたり、肩をたたいたり、話を聞いたり、元気のでそうな音楽を一緒にきいたり、何だってやらないよりはいいのかな。
でもそれが「僕が楽になるための方便」にはなっちゃわないのかな。

そんなことを考えて何もできないよりは、月並みな慰めに思える言葉でも、言ったほうがいい、と思うのに。