イバラノツルヒコの華麗なる生活

ボンソワール、今夜も僕と素敵な話をしよう

はやりもの

2005-07-21 19:52:15 | Weblog


僕の周りにいる人たちの大半は、こと服装に関しては、かなりばらついた格好をしている。それぞれなんとなく傾向はあって、好みというかよく着る服や色というのもわりとはっきりしている。だから、本当ならすごくバリエーションのある集団にみえるはずなんだけど、印象としては全体がなんとなく似ている。そしてこれは学校全体の雰囲気ともかなりかぶる。

それは、ほとんど誰も「はやりもの」を身に着けていないからだ。だから結果として、「なんだかいまどきな感じが全然しない集団」というのができあがってしまう。たとえば、新歓コンパのシーズンに、駅前に集まったとすると、ロータリーのあちこちの集団が、どこの学生たちのものか大体わかってしまうんだけど、僕らの学校の集団が一番地味でいながら統一性がなく、その結果うちの集団だなっていうことがよくわかる。

じゃあ僕らが「個性的ですてき」かというと、残念なことに多分そうじゃない。いわゆる「個性的なおしゃれ」っていうのは、世の中のはやりものの枠組みの中にほとんど入っていて、プラスほんの半歩くらいはみだした状態を指すからだ。髪型から靴まで、最先端とはいわないまでも大体今ふうのものにしておいて、その組み合わせをちょっとひねったり、自分だけのアイテムを加えたりというアレンジくらいでとめておかないと、多分「勘違いした人」になってしまう。もっとも僕らは勘違い以前にそういう努力が感じられないって言われそうだけど。

僕はいちいちシャツは入れなきゃいけないとか出さなきゃいけないとか、襟は立てなきゃいけないとか寝かさなきゃいけないとか、校則みたいなことを言われるのは面倒くさいし、腰履きのパンツとかはなんかどうも落ち着かなくて嫌だし、そもそもそんなにしょっちゅう新しい服を買うほど金がないしで、結局好きなものしか着ていないけど、こだわりがない訳じゃない。ただそのこだわりが世間に認めてもらえない方向だというのは、正直少し悩ましい。自由にはリスクがともなう、なんて言っちゃったら大げさだけどさ。