にゃんちくる!

だいたいまんまと猫

ちよを送って思うこと

2015年01月16日 | にゃんち
動物を飼うとき、最期まで責任もって飼うのは当たり前なこと。
いつかはお別れがくる。

わたしは生まれながらの猫飼いなので、今まで何匹も看取ってきた。
猫を飼い始めたらまずそれを念頭に置き、死別に対しての覚悟は持っているつもり。
その生涯をいかに幸せなものにしてやるかが大事。

わたしはちよに苦しい思いをさせてしまった。
死別の悲しみよりも、苦しい思いをさせてしまったことがつらい。

病気になってしまうのをコントロールできるとは思っていない。
なってしまったものはしかたない。
その苦しみを少しでもなくしてやれるなら、できることはなんでもしてやればいい。

でも、ちよの病気はそれすらも許してくれなかった。
治療を諦めたぶん、緩和をしてやりたいのに
言葉がわからないからどうしてやれば楽なのかわからないし
その痛みや苦しみがどんなものなのかも理解できないし
わたしが良かれと思ってすることがちよを苦しめていたかもしれない。
献身的な介護に見えても、それは結局はわたしのエゴでしかない。
この辺の事は考えても考えても、悩んでも悩んでもしかたないんだけどもね・・・。


『闘病中、ちよは苦しんでいた。』

どう言われようと、それが現実。
わたしの中では変わらない事実。
きれいごと言って気持ちをすり替えることはしないつもり。
ずっと心に引っ掛けたまま生きていく。
ずっとずっと「ちよ、ごめんな。」て思いながら生きていく。

ちよは、最期、そうしたかったかどうかはわからないけど
わたしの膝の上で息を引き取った。
わたしがそうしたかったから。
飼い猫をお膝の上で抱きしめて看取るだなんて、猫飼い冥利に尽きる。
わたしは幸せだったな。

わたしはちよに苦しい思いをさせたのに
ちよはわたしに幸せな気持ちを残していった。
感謝しかない。



こんな飼い主でよかったら、またおいで。



*この記事にはコメントは不要です。よろしくお願いします。




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