ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

開口神社

2014-07-03 05:00:00 | 大阪にて

集団的自衛権の行使を容認するという、戦後一貫して守ってきた平和外交を覆すようなことを、安倍内閣はとうとう国会の審議を経ずに、閣僚だけで決めてしまいました。やり方も一方的ですが、一度あったことは二度あるし、二度あることは三度あると言うので、これからも国民にとって都合の悪いことには、こういう手法が使われていくのだと思うと、やはり戦前の二の舞になるのかと思うと、空恐ろしい気分になるというものです。齢とった私などはどちらにしても余命幾ばくもないし、徴兵されることもありますまい、これから先、実際に武力を行使するのにはもう少し時間がかかるでしょうから、私からすると子どもの世代より、孫の世代のことが心配です。おそらく安倍晋三と言う人は後世の人から、悪名高き人の中に名を連ねるんでしょうが、反対にこういう人を持ち上げたがる人もいるものです。

             

菅原神社から一旦自転車を停めておいた大小路ビルまで戻り、自転車で阪堺電車の大小路駅付近まで行き、開口神社を探しました。菅原神社からは200mも南へ歩けば開口神社の北鳥居に到着するのですが、そこからまた大小路ビルまで戻るのも時間がかかるというものです。菅原神社では近づくとたまたま雅楽の音が聞こえてきましたが、こちら開口神社ではけたたましい女性の声が聞こえてきます。北の鳥居から中に入ると自転車が所狭しと置いてありました。

       

どうやら境内に幼稚園でもあるのでしょうか。参観日だったのかも知れませんが、大勢の女性が勝ってがってに喋るとこうも姦しいのか(かしましいを変換するとこんな字に・・・)、聖なる地には似つかわしくありません。自転車が置かれた反対側、つまり入口の左側には祠が並んでいます。左から順に楠木神社、舟玉神社、少彦名神社、恵比須神社、大国魂神社、北辰神社、産霊神社で、次の一群が豊受神社、神明神社、琴平神社、三宅八幡神社、兜神社、厳島神社、熊野神社です。まぁよくも一ヶ所にこれだけの神を並べたものだと感心しながら、欲張りやなぁと軽蔑もするのですが、大鳥井瀬神社を探した時に跡碑のあった兜神社がこんなところに祀られていました。

             

更に奥は薬師社、薬師と言うのは仏教の言葉、別段、本地垂迹・神仏習合でも私は構わないのですが、明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈は何だったんだという思いに至ります。結局は日本国は神の国であることを強制するために国家神道を強いて、富国強兵路線を推進し、日清・日露から更にあの戦争へと突き進んだのでした。征韓論の主唱者だった西郷隆盛が西南戦争で敗れても、維新政府の首脳は全て征韓論者であって、常に東アジアを侵略しようと考えていたのでした。安倍晋三の『日本を取り戻す』とは、こういうことへの回帰だったのですね。

             

舳は「へさき」、舳松は「へのまつ」と読むようですが、昔堺には舳松村という村があったようで、この開口神社より少し南東部にあたります。境内には何の説明も有りませんが、今は無きその村の鎮守だったのでしょう。左側は岩室神社、菅原神社、右側は賽神社、白髭神社、相変わらずの祀りようです。

       

境内にはたくさんの碑や祠が有りますが、殆ど説明されたものは有りません。一番左が、扇塚という碑が置かれています。真ん中の鳥居の奥には影向石という石が置かれています。右端は堺の荒神さんと呼ばれる竃神社、岩室神社から竃神社まで境内東側に一列に並んでいました。

             

ここまで来ると、拝殿の間の広い境内が見渡せるようになりました。ここまでが開口神社の東北部分の紹介です。


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