単独走を愛するジジイランナー

趣味のマラソンを生活の中心に置く人生観をデイリーに綴る日記

最近ない危機

2009-04-30 | マラソン
 昨日は私が言いだしっぺの鎌倉アルプスジョグを実施。10名が集まりました。しかし肝心の言いだしっぺの自分が2キロも走ったところで左足が激痛でそれ以上走れなくなって途中リタイアとうことになってしまいました。
 状況は悪くて、こんなに痛みで走れなくなったことは近年なかったことです。2月中旬のレース途中で故障して以来、外科にも通い、練習もかなり控え、痛みも回復してきて多少の長い距離が走れるようなった矢先の再度の激痛でした。無理なストレッチが神経を無理に伸ばしてしまい、それが痛みの原因となっているようです。これで、本当に5月17日の野辺山ウルトラ参加は無理に近い線となってきました。それに先駆けて3日、4日には走友と伊豆トレイルを実施する予定ですが、これもちょっとまともに走れないかもしれません。迷惑をかけないようにしないと。
 いままでの故障は何とか走りながら時間はかかりましたが、治して来ました。こんかいのぶり返しは加齢による治癒力、回復力の衰えとランナーとしてのある意味限界を感じざるを得ない事態となりました。なんとか自分の体をうまくマネジメントしてはやくまともに走れるようになりたいと感じています。

血圧とストレス

2009-04-24 | 健康
 今朝は2ヶ月ぶりに内科に出向きました。2ヶ月毎に血液検査を実施し、コレステロール値と尿酸値の動向をチェックするためです。自分は遺伝的な高コレステロールで、数年前からとうとう薬の世話になることになったのです。今回は2ヶ月分の処方箋を出してもらうだけです。ついでにいつも血圧測定をされます。今朝はいつになく異常に高い数値が出て、降圧剤を処方され経過を見ることになってしまいました。祖父、父とこれまた高血圧だったことを医者はよく知っているからです。私にも当然その要素があるということです。
 ストレスの可否を聞かれましたが、何がストレスかいつもあまり意識していないので因果関係は定かでありませんが、まずは2ヶ月前に故障した脚腰が相変わらず痛くて満足な練習すらできないイライラ、そして痛み、会社での大きなイライラ、これがストレスと言えばそうなのでしょう。50を過ぎてから体の衰えは著しく、更に高血圧という新たな不安まで加わってしまいました。
 内科を出て会社に向かう電車の中で、目の前に座っていた学生が下りたので、座ろうとしたら、横にいた紫色に髪を染めた若いブスな女性がものすごい勢いで前に割り込んで席を奪取しました。あきれるやら、非常識やら一体あの女はなんなのでしょうか。またしても血圧が上がる要素となってしまいました。

このごろ思うこと

2009-04-21 | マラソン
 暫くぶりの投稿となってしまいました。特筆することなく平々凡々なぐーたらな毎日だったからです。故障も既にまるまる2ヶ月以上を経過し、多少の回復は見られるものの、まだまだ痛みは続いています。I整形外科の診断も明快なものではなく、要するに自然治癒を期待するために安静或いは軽度なトレーニングに留めるというものです。親切な走友が信頼のおける整体を紹介してくれ先日施術を受けてきました。施術前には問診がありますが、色々触られてのコメントは整形外科的な症状は見受けられない、つまり疲労の蓄積によるものという見解なのでしょう。
 
 このごろでは以前に比べてかなり距離的にもペース的にも走れるようになったことは確実に快方にむかっているとの証左でしょう。分散していた痛みが次第に一部分に集中するようになっています。でも痛いことは痛い。過去の色々な故障の経験では自然と痛みがなくなるまでには半年以上かかかっていました。4月29日の祭日には鎌倉アルプスを中心としたプチトレイルジョグを実施します。また、5月3日には泊りがけで伊豆の山稜トレイルを試みます。問題は17日の野辺山の71キロウルトラですね。非常に不安で一杯です。
 
 50歳を過ぎたあたりから、視力(老眼を含む)と消化器系の働きが低下してきているようです。また病気、疲労などの回復が非常に時間がかかるようになってきました。既に55歳。今年は56歳。自分は果たしてサブスリーどころか3時間15分も切れないのではないかと最近感じます。走りながら思うこと、考えることは故障のこと、会社のこと、家族のこと、亡くなった両親のこと、病気が再発したまだ若い姪のこと、そしてその両親の心境のこと、不景気のこと、今後の収支のこと、自分の健康不安のこと、などなど断片的に脳裏に次々に思いが走り抜けます。結論などまったくなく、ただそんな思いがそれぞれの情景をもって頭の中を駆け抜けるのです。そして明日もまた走らなければという思いで締めくくるのです。

故障後初のロングジョグ

2009-04-13 | マラソン
 週末の土曜日には走友らと大磯~網代間50キロLSDを実施しました。まだ腰の故障が癒えておらず、医者からは10キロまでと止められてはいましたが、最後までダメなら東海道へエスケープできるので挑戦しました。
 走ってみると以外にも痛みはそこそこでペース的にはキロ6分を切っているのに何時ものような痛みと腰周辺の負担をあまり感じません。最初の給水ポイントの国府津でもまだぜんぜん余裕。今日は走友もいるので自然と頑張りが故障の痛みに買っているのでしょうか。その後順調に進み、いよいよ1号線から135号線へ出ました。途中から有料道路になるので、走れるのは山側を通る旧道です。旧道は山坂の峠道でアップダウンがかなりあります。上りでかなりの筋力を使うので次第に故障箇所に負担が滞留してきて痛みも増加してきました。一旦根府川で給水。その後はさらに上りが長い間続きます。頂点からは今度は一気に真鶴なで下ります。私の腰痛は下りでさらに増幅し、結局真鶴までの31キロで私はリタイア。しかし、思った以上に走れたのでそれなりに満足でした。疲れを早く抜いて、故障の治癒に勤めたいと思います。

哲学

2009-04-10 | マラソン
 昨日の朝は両方のふくらはぎが腓返りを起こし、その痛みで目が覚めました。その後も両ふくらはぎに痛みが残っていたので走行は控えました。今朝は大丈夫でしたので、ゆっくりと11キロを走りました。まだ故障の箇所は痛いですが、次第に快方に向っているようです。

 今日はこの11年マラソンを通して気が付いたことに触れてみようと思います。
マラソンである程度の記録を狙うようになると記録の更新に挑戦するようになります。それを実現するためには、どうやったら実現できるのか具体的な練習計画を立てるようになります。何度も失敗し、色々な本を参照しながら自分に合った方法論を試行錯誤で作り上げていく。非常に計画的になります。マラソンは42キロと長いので、最初に突っ走ってしまうと途中でバテテしまいます。つまり体力を如何に温存しながら走破するかというレースマネジメントが要求されます。42キロはそれなりにしっかりと練習を積み重ねていかないと記録を狙うほどには走れないのは当然のことです。しかし、一所懸命その日のために数ヶ月掛けて練習してきても調整で失敗したり、風邪を引いたりしてしまうと結果は惨めなものになってしまいます。非常に酷なスポーツです。つまり、絶対条件(練習しないと結果は期待できない)はあっても十分条件(これだけ練習したので必ず好結果が保証される)はないのです。仕事もおんなじですね。またフロックは殆どの場合起きません。ここがゴルフなどのスポーツ(たまたま好スコアが出たなど)と違います。また、速い人には絶対に勝てないまさに弱肉強食の世界ですね。しかし、ここでどうやったら強い人に勝つことができるのか、と考えるようになります。そうか、幾ら早い人でもチーム対チームなら工夫で相手チームに勝てる、と気付かされます。まさに駅伝の世界です。社会も会社もチームで動くことが多いですから大いに相通じることがあるのです。こんなことをマラソンを通じて学びました。