本日もお疲れ様です。

私は群馬県桐生市内で歯科医院の院長をしています。『思い出話』、『近況報告』などを自己紹介しながら書いてみます。

相棒は「せんせい」!

2007-11-01 01:32:41 | 「学生の頃」
~入院話のつづき~

 「喉頭気管外傷」
 付けられた病名には担当の先生も“名づけ”に困っていたようです。まる3日、息苦しいのが続きました。気管が裂けているため食事はとれずに点滴の毎日になりそうでした。
 さらに毎日になりそうなことがありました、“筆談”です。そろそろと思っても「声」が出せないのです、恐怖感もありました。そんな僕を見てか、看護師さんが持ってきてくれたものが「せんせい」でした。

 「せんせい」(メーカー忘れた(>.<)!)
  本体とヒモでつながったペンの先が磁石でできていて、白いキャンパスをなぞると黒く線が描け、キャンパス下のレバーを横に動かすと描いた線がすぐ消せるものです。
 ちびっ子の教育用グッズですね(^.^)。
 これがもう便利、便利! 。使ってみると楽しくて、お見舞いに来てくれた野球部員も話せるのにわざわざ「せんせい」で筆談していきました。本当に手放せない相棒です。

 入院5日目位に「流動食」のための“経鼻チューブ”を挿入しました。これで経口ならぬ経鼻栄養がとれます。これだと食事中という雰囲気がありませんし、手が空いているので筆談もできてしまいます。
 と、そこへ野球部員らが・・・

「変な感じ・・・。」   ~食事中 みんなでせんせい 見舞い客~

1週間、ベッド上でほとんど動かずに過ごす毎日、暑い夏でしたが入浴も当分先になりそうです。             ~つづく~
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行先は病院。~後編~

2007-10-17 22:32:24 | 「学生の頃」
僕が部活動中に怪我をしたという連絡を受けた高血圧気味の母はむしろ血の気が引く様に思えたそうです。

母「慎太郎が野球で怪我したみたい、入院になったから盛岡にすぐ行ってみる。」

父「!」

以外にも母は冷静に身支度を済ませたそうです。ただ、在来線と新幹線の乗り継ぎの事など考えていられません、とりあえず父と桐生駅へ。
JR桐生駅のホームは改札から階段を上がったところに両毛線・渡良瀬渓谷鉄道など3つの線があり、盛岡へ行くにはまず、両毛線「小山行」に乗る必要があります。

母は栃木県小山方面行のホームへ…!
ここでいきなり反対方面のホームへ(>.<)
その時「ああ、自分は焦ってるんだな。」と母は思ったそうです。
 え?~このくらいのドジはいつもの事ですよね?(^.^)~

とにかく「盛岡へ行きたいんです!」と駅員さんに聞きながら乗り換えればいいと思っていたそうです。母にとって一人で盛岡へ行くことは冒険に近いので必死だったと思います。たとえ自分が高血圧症で具合が悪くなったとしても“行先は病院なんだから大丈夫!"と思っていたそうです。
 ん?~大丈夫じゃないんじゃないかな?~
自分の行先が病院だからどうにかなっても入院してしまえ!と・・・いうことです。

そんな母です、病室へ入ってきた時、僕は“良かった、無事に着いたんだ。”とホッとしました。
僕が怪我したせいです・・・。「ごめんなさい!」声が出なかったので僕は母に何度も手を合わせていました。       ~つづく~
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行先は病院。~前編~

2007-10-17 14:13:00 | 「学生の頃」
~母親の動向を書くのをしばらく忘れてました(^.^)。~

~岩手医科大学付属病院 耳鼻咽喉科~

ベッド上で横になることはできませんでした。
気管が裂けていたからかも知れませんが横になろうとすると息ができなくなるのです。斜めでも苦しく、少し前かがみが楽でした。
夕方になっていましたが夏でしたので日が長く、僕にはこの苦しい時間が永遠に続くように感じられました。

担当医師 「とにかく、安静を!」

 僕  「はい。」(頭を少し下げるだけ) しばらく筆談になりそうです。

病室まで来てくれていたチームメイトやマネージャーはとりあえず帰宅することに。キャプテンが僕の母親の到着まで待っていてくれました。

息苦しいながらも、うとうととして時間は過ぎ、気付くと病室は暗くなっていました。そんな中・・・。

先輩 「つめ、お母さんが着てくれたぞ。」

母が着いたのは病院が消灯した後でした。   ~つづく~
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人生初の入院。

2007-10-06 01:09:13 | 「学生の頃」
ようやく着きました。
「連絡受けてます!苦しそうですね、早く行きましょう!」
正面玄関で看護師さんが待機していてくれたのには感動しました。
~救急車の運転手さんありがとうございました。~

即入院でした。

たまたま耳鼻咽喉科のベッドが空いていて、ユニホームのまま病室へ。
6人部屋でした。

担当医師 「苦しいと思うけど、まず安静にして様子をみよう。」実は呼吸困難になってもおかしくは無かったようで“気管切開”の準備がしてあったそうです。

少しずつ落ち着いてきた僕ですが気がかりなことがありました。
僕の予想 “きっと先輩は僕の実家(群馬)に連絡するだろうな。ん~、母さんが即行で来るだろうな。すごく心配”
僕の母は高血圧症でした、10年以上前ですが軽い“脳卒中”で倒れたことがあります。母にとっては桐生から盛岡までかなりの旅になるでしょう、電車の乗り継ぎは苦手だし、方向音痴だし、足は短いし…それは関係ないか。
そこで、先輩に頼みました。

私  「実家に連絡する時は僕の症状を“軽く(軽症です)”伝えてくれませんか?」(筆談)
先輩 「もうしちゃったよ、すぐ来るって!」

ぬ~、やはり心配。           ~つづく~
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サイレンは鳴らず!?

2007-10-04 23:43:10 | 「学生の頃」
ショートでライナーを採り損ねたんですね。情けない。
自分でも早く病院へ連れて行って欲しくて必死にジェスチャーしました。
何故ジェスチャー?声がまったく出せないのです。後から解った事ですが気管が裂けた上に「声帯」がつぶれていたとのこと。

先輩の車で近くの病院へ…。

 先輩 「喉に野球のボールを受け、息が吸えないし、血痰が出てます!」
 医師 「これは“耳鼻咽喉科”へ行ったほうがいいな。」
     「岩手医大へ連絡しておくからすぐ行きなさい!」
 私  「苦しい!救急車は!?」とあまりの苦しさに“筆談”でリクエストしました。
 医師 「いいよ、準備してもらうね。」

急遽、救急車で搬送してもらうことに、先輩と一緒に乗せてもらいました。
さあ、出発!…でも僕が救急車に期待していたことが始まりません。サイレンを鳴らさないで交通規制に従って走り始めたのです。先輩も不思議そうにしていました。
この救急車は消防からの出動ではなく、病院から病院への搬送ということで一般車両と同じらしいのです。
もう!苦しいのにがっかりです。
実は駆け込みで診ていただいた病院から岩手医大は車で30分はかかるのです。

いつもより長く感じる道のり              つづく
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瀕死の重傷?

2007-10-03 23:51:31 | 「学生の頃」
大学2年の夏でした。
準硬式野球部のフリーバッティング中…。
「キンッ!」という快音とともに打球が僕の元へ。
「ショートッ!」、部員の声。
  「っ!」 瞬間、喉元に重い一発をもらった様に感じた僕は、思わずその場でうずくまりました。
さらに呼吸がうまくできないことに気づき、「もしかして…!?」恐怖感が襲ってきました。

どうやら打球が僕の喉を直撃したようです。どの程度の呼吸困難かというと、口に入れた直径1mm弱程度のストロー1本だけで呼吸する感じでした。
血痰も出てきました…! この時、初めて体験したことがあります、「走馬灯」の様に両親などたくさんの人の顔が“ぐるぐる”と見えていないものが見えてくるのです!?  「父さん、母さん、ごめん!」           
                       ~つづく~
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部屋は○畳半・・・。

2007-09-27 21:48:47 | 「学生の頃」
大学1年~3年まで学生寮。うわさで築80年、ホントはもっとかも。

この学生寮、各部屋の広さがピンキリで、いわゆる「格差」が極端でした。5,6畳~12畳までありました。

僕の部屋は“最狭”部屋でしたが、畳の部分が3畳半。ですが、備え付けの収納があったのでそれほど困りませんでした。

「何が困ったの?」と言えば…、一階にある洗濯機が数少ない上に2層式でしたので4階に住む僕は20分~30分毎に階段を昇り降り。あとは、ハトのフンとたまに「金縛り」に遭うことかな?(笑)

その寮も、今は取り壊されてありません。ちょっぴり寂しい。

「不便」の方が“思い出”はたくさん!?、かも。


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「パジャマプレス」って知ってます?

2007-09-26 02:44:16 | 「学生の頃」
10数年前のFMラジオ番組です。僕はFM群馬で聴いてました。
深夜0:00~2:00 月曜~金曜まで パーソナリティが日替で放送していました。
高校の頃から聴き始め、水曜担当の「赤坂泰彦さん」が特に好きでした。

その頃、それこそ平成になったばかりの頃、番組コーナーへの投稿手段は「ハガキ」が主流。
番組を聴きながら書いたものが1週間後に生で読んでもらうのを楽しみに聴いてましたね。
初めて投稿したときは「もしかしたら読んでもらえるかも!?」とテープ録音の準備をしていました(笑)!
月日が経つと投稿手段が「ハガキ」だけじゃなく「ファックス」が出現し、家庭にない場合、近くのコンビニから送りに行ったリスナーも多かったようです。僕の家にもファクシミリは無く、コンビニも近くに無かったので「「ファックス」だけのコーナーは蚊帳の外でした。

赤坂さんは今もラジオ番組やTV司会で活躍していますが…、パジャマプレスを思い出すと(思い出しちゃダメかな?笑)、今の姿がまるで別人ですね。大きなお世話かも知れませんが、「今日もお疲れ様です。」
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あだ名は…『爪』が。

2007-09-20 21:15:28 | 「学生の頃」
僕の苗字は『坂爪(サカヅメ)』…。
どうやら、この『爪・ツメ』というのがあだ名の標的になりやすいみたく ~爪~  

~ま、普通かも。~

 『ツメちゃん』、『ヅメさん』、『瓜(ウリ)ちゃん』…です。

3つ目の『ウリちゃん』は高校生の時、爪を『瓜』と書き間違えられまくっていた僕を不憫に思った?友人が呼び出したあだ名。

これはさすがに呼ばれても気付きません。でも、彼は気にせず呼び続け、15年以上経った今でもそう呼びます。 
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名前では少し困ることが…。

2007-09-18 23:18:27 | 「学生の頃」
ブログ始めて2日目…。
私の名前、『坂爪慎太郎』といいます。今、『坂爪』をつい「ハシヅメ、キタヅメ」と呼んだ方少なくないのではありませんか?
この名前、電話だと最低2,3回繰り返し説明します。この『爪』という字が曲者かもしれませんね。書いてみるとつい、『瓜』と書いてしまいそうになる方が多いようです。学生の時、野球をしていましたがユニフォームを作った時背番号の上に刻まれる名前が『SAKAURI』で仕上がったことがあります。多分、お店の方が書き間違えたのでしょうね。
                                          
私以上に名前で思わぬ誤解を招いてしまった方、本日もお疲れ様です。
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