子どものころ、これで友達

と大喧嘩になったことがある。

は頭の中にあると言い、

は胸を指さしていた。

の言い分。
遊んでて楽しいと思ったり、褒められて嬉しくなったり、
こうして

と喧嘩して腹が立ったり、
言いたいことが伝わらなくて悔しかったり、
飼っていたペットが死んじゃって悲しかったりすると、
胸がドキドキするの。
だから“心”はここにある。

の言い分。
そう思うことも、感じることも、
それによって考えることも、みな頭の中でしていること。
だから“心”はここにある。

と

の言い合いを聞いていた周りの子たちは一様に、

を嗤って馬鹿にした。

はいつもおかしなことを言っている。

の言っていることが正しい。

はロボットだ、と。
担任の先生も、
“そうね、『思いを胸に』、という言葉もあるから、心は胸にあるのかもね”

は誰に何を言われても、どうしてもどうしても譲れなくて、
そののちもずっとずっと考え続けることになった。
それから暫く、

は“ターミネーター”と呼ばれるようになった。
もう30年くらい前のことだけれども、

はこの時の大喧嘩を未だに思い出して考えることがある。
どちらが正解なのだろうかと。
最近はこう思う。
どちらも正解であり、不正解ではないかと。
人なんかが辿り着けないずっとずっと遠い場所にあって、
この身に纏っているのも、

が探し続けている“心”なのかも知れない。