つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

モン・サン・ミッシェル

2007-09-02 | 海外旅行
 世界遺産のモン・サン・ミッシェルも訪ねました。パリより西へ370km。一日がかりでした。対岸はイギリス。もともとは修道院ですが、英国との100年戦争では、要塞になったり、地下が牢獄になったりして歴史に翻弄されます。フランス革命の時も革命政権に反対すると、入獄。囚人12000人とか・・・
 8世紀、司祭の夢に天使ミカエルが3度現われ、この場所に教会を建てるよう告げます。増築が繰り返され、ロマネスク様式やゴチック様式が見られます。尖塔には金色のミカエル像。
 ジャンヌ・ダルクも夢に天使ミカエルが現れ、闘うよう告げられたので、女性ながら戦闘にたちました。発音の関係でミカエルもミッシェルも同一の天使です。
 
 海岸より2km離れていても、干潮になると歩いて渡れます。しかし、潮の満干の時間が分からない時代は、巡礼の人が波に呑まれて命を落とすこともありました。
 全景の写真を撮るため、バスはやや手前のポイントに停車してくれましたものの、雨で見晴らしが悪く、諦め、この写真はパンフレットから・・・

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4 コメント

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Unknown (コスモス)
2007-09-02 15:21:46
こんにちは。
 フランス革命は高校で習い、朧気ながらも残っています。
 でも、今、記事を拝見して、そのむごさに心が痛みました。

写真の修道院も本当に牢獄のように思えます。
 例え修道院のままで、歴史の渦に巻き込まれてなくても、このような地にどうして造られたのでしょう?
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コスモスさま (matsubara)
2007-09-02 19:21:29
いつもありがとうございます。
なぜ80mの海の中の岩山に修道院が出来たかは、司祭が夢を見たからです。一度目は夢を無視、二度目も無視したら、三度目には、天使のミカエルは怒って司祭の頭に雷を落としました。驚いた司祭は修道院建設工事にかかりました。司祭の遺体の頭蓋骨はくぼんでいるそうで、真実実があります。ミカエルの金像が塔のてっぺんにあります。
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Unknown (reiko)
2007-09-03 10:09:38
私達も訪れました。結構坂がきつかった記憶で、修道院から牢獄と使用が変化し又修道院になったのでしたね。英語の説明で大体の訳でしか理解できませんでしたが中は広くてちょっと怖い感じの所も有りでもオムレツは美味しかった。引き潮で歩けました。
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reikoさま (matsubara)
2007-09-03 16:16:21
私は、きつくて途中で棄権しました。
日本語の訳でした。ハンガリーのオペラ座の時は英語訳でした。フリータイムでしたので・・・
オムレツはふわふわして美味しかったですね。今日の英会話で言うべきでしたが、すっかり忘れていて・・・
引き潮でしたが、近くの駐車場までバスで行きました。
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