世界遺産のモン・サン・ミッシェルも訪ねました。パリより西へ370km。一日がかりでした。対岸はイギリス。もともとは修道院ですが、英国との100年戦争では、要塞になったり、地下が牢獄になったりして歴史に翻弄されます。フランス革命の時も革命政権に反対すると、入獄。囚人12000人とか・・・
8世紀、司祭の夢に天使ミカエルが3度現われ、この場所に教会を建てるよう告げます。増築が繰り返され、ロマネスク様式やゴチック様式が見られます。尖塔には金色のミカエル像。
ジャンヌ・ダルクも夢に天使ミカエルが現れ、闘うよう告げられたので、女性ながら戦闘にたちました。発音の関係でミカエルもミッシェルも同一の天使です。
海岸より2km離れていても、干潮になると歩いて渡れます。しかし、潮の満干の時間が分からない時代は、巡礼の人が波に呑まれて命を落とすこともありました。
全景の写真を撮るため、バスはやや手前のポイントに停車してくれましたものの、雨で見晴らしが悪く、諦め、この写真はパンフレットから・・・
8世紀、司祭の夢に天使ミカエルが3度現われ、この場所に教会を建てるよう告げます。増築が繰り返され、ロマネスク様式やゴチック様式が見られます。尖塔には金色のミカエル像。
ジャンヌ・ダルクも夢に天使ミカエルが現れ、闘うよう告げられたので、女性ながら戦闘にたちました。発音の関係でミカエルもミッシェルも同一の天使です。
海岸より2km離れていても、干潮になると歩いて渡れます。しかし、潮の満干の時間が分からない時代は、巡礼の人が波に呑まれて命を落とすこともありました。
全景の写真を撮るため、バスはやや手前のポイントに停車してくれましたものの、雨で見晴らしが悪く、諦め、この写真はパンフレットから・・・
フランス革命は高校で習い、朧気ながらも残っています。
でも、今、記事を拝見して、そのむごさに心が痛みました。
写真の修道院も本当に牢獄のように思えます。
例え修道院のままで、歴史の渦に巻き込まれてなくても、このような地にどうして造られたのでしょう?
なぜ80mの海の中の岩山に修道院が出来たかは、司祭が夢を見たからです。一度目は夢を無視、二度目も無視したら、三度目には、天使のミカエルは怒って司祭の頭に雷を落としました。驚いた司祭は修道院建設工事にかかりました。司祭の遺体の頭蓋骨はくぼんでいるそうで、真実実があります。ミカエルの金像が塔のてっぺんにあります。
日本語の訳でした。ハンガリーのオペラ座の時は英語訳でした。フリータイムでしたので・・・
オムレツはふわふわして美味しかったですね。今日の英会話で言うべきでしたが、すっかり忘れていて・・・
引き潮でしたが、近くの駐車場までバスで行きました。