つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

奈良だより 36

2009-12-02 | 歴史
 奈良の前田様から、藤原京発掘だよりが届きました。以下はメールです。上の写真は、藤原京から天の香具山を望む。

 「昨日は、藤原京で大極殿院の東面と南面(朝堂院の北面)の遺構が発掘され現地説明会がありました。すでに大極殿院南門の跡は発掘されていて、今回の発掘でその南門と接続する回廊の状態が明らかになりました。来年は平城遷都1300年で、色んなイベントが計画されていますが、平城遷都1300年は藤原廃都1300年でもあります。
 藤原京もすでに160次の発掘調査が行われていますが、建築資材や礎石などは平城宮の建設に再利用のため抜き取って持ち去られ、藤原京の発掘では礎石の抜き取り穴や、基壇の跡が残っているだけです。

 写真中左の南北の大溝は、藤原宮造営の木材を近江の国から琵琶湖→瀬田川→宇治川→木津川→運河と運搬した運河の跡と考えられています。南から北方向に撮影していますが、遺構の下を北へ伸びています。建物の完成にしたがって建物をさけるように運河の方向は北から東へ変わっているのが確認されました。

 写真中右の大極殿院東側回廊は、北から南方向に撮影しています。過去の調査で回廊は礎石建ち複廊形式と判明しています。赤いビニールテープの三本が礎石の抜き取り穴にそって張られています。今回調査の礎石据え付け穴42個のうち礎石の残存は2個だけで(写真の右手前部分に写っています。)他は持ち去られています。

 写真下の大極殿院南側回廊は、西から東方向に撮影しています。右後方の山は音羽山(万葉の倉橋山)大極殿院南回廊は朝堂院北回廊と同じです。回廊は3本の柱で屋根は瓦で葺かれています。柱間は各3mで基壇の幅は約8.4mと推定されています。今回の調査で将来の宮殿復元に貴重なデーターが得られたようです。」


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4 コメント

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おはようございます~♪ (コスモス)
2009-12-02 07:33:28
matsubaraさま
 昨日は”つきみそう”ありがとうございました。愉しみながら、一句一句読ませて頂きます。
 前田さまの前回の「邪馬台国に関する」記事も知識は無いものの興味深く拝見しました。
 私には初めて知る事ばかりすが
奈良の歴史の長さ・深さに驚くと共に、
それを学ばれる前田さまを尊敬しています。


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Unknown (平安人)
2009-12-02 08:03:09
お早うございます
前田様の記事 興味深く拝見させて頂きました
藤原京跡にはいつ頃行ったのか思い出せない位前になります 当時はまだ殆んど発掘調査はされていなかった様に思います
ここで博覧会がありました その時には見に行っています
前回の前田様の記事の時にも書きましたが私はまだ本格的な発掘調査の現地説明会には行ったことがありません 実は人の多さにちょっと尻込みしてしまいます
偶々歩きの会のコースにそこが入っていてラッキーな時位です 確か飛鳥の宮跡とキトラ古墳の2か所でした
京都市内でも時々現地説明会を遣っているようですが後でニュースで知る有様です
貴重なお話有難うございました
返信する
コスモスさま (matsubara)
2009-12-02 17:07:26
昨日はお電話ありがとうございます。
今後ともよろしく御願いします。

前田様は現職中から考古学にもご興味が
あるようでした。藤原京にも友人と案内
して頂きました。発掘されるずっと前の
ことです。
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平安人さま (matsubara)
2009-12-02 17:14:02
私も前田様に藤原京へ連れて行って貰ったのは
もう25年くらい前かと思います。
まだ発掘はされていない頃でした。
岐阜にも遺跡はありますが現地説明会には
行ったことがありません。
キトラ古墳を見られたとはラッキーでしたね。

つれづれ日記拝見しました。南禅寺のもみじの
美しさは忘れられません。
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