つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

川合玉堂 生誕140年展

2013-11-14 | 文化
 日本画家の川合玉堂の生誕140周年記念特別展が終わりに近い日、一宮市玉堂記念館図書館に出かけました。木曽川橋を渡り5分ほどで到着。我が家の二階から木曽川橋が見えます。
 玉堂は、一宮市に生まれ、8歳より14歳まで岐阜で過ごし、京都に絵を学びに出て、後に上京。42歳で東京美術学校の教授。戦争で都内の住まいが焼失したため、奥多摩に移転。今その住居跡は記念館になっています。東京に居た20年前、そちらにも行っています。
 記念展の作品は撮影禁止のため紹介出来ません。晩年に撮られた奥様とかわいい子猫との写真も展示され、動物好きであったことが伺えます。

 一宮に出かけたついでに一宮市博物館にも寄りました。そこで初めて知ったのは、一宮市に縄文後期の代表的遺跡があり、多くの発掘品があること。馬見塚遺跡と言いますが、海抜8mの一宮市に発見された時は、考古学の世界でも信じられないと驚かれたようです。縄文土器、石の鏃(やじり)、土偶、甕棺も多く発掘され人骨も見られます。ここでも撮影禁止。申込書を受理されれば許可されるのですが、その用紙に撮影目的をブログと書くと断られてしまいました。

 ここより妙興寺の方が素晴らしく、規模の大きさに驚きました。広大な敷地に建物が点在し、その境内に博物館があるのです。14世紀に創建された臨済宗禅寺。明治時代に焼失し、再建されました。勅使門は重要文化財。重文の絵画もありますが、公開されていません。



    
     一宮市博物館




   
    妙興寺通用門

   
    妙興寺山門

     
      妙興寺仏殿


鐘楼

       
        境内にあるさざれ石 岐阜県から寄贈されたもの

       
       重文の勅使門(ネットより)


   

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