つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

県美術館長のお話

2015-02-24 | 文化
 夫の友人の教会で、県美術館・古川館長のお話があると聞き、日曜日、夫と出向きました。テーマは、「最後の晩餐と織部」。近々館長は、日比野克彦氏にバトンタッチされるということをニュースで知りました。古川氏は県美術館創設にも関わっておられ、32年の勤務を終えられます。それまでの長い道のりを聞くだけでも本一冊書けそうです。カラスウリの絵を描く画家でもあります。驚いたことは、東京芸大に進学することを決意されたのは、高校三年生。それまでは医学部をめざしておられたのです。

 岐阜県美術館がオープンして32年。その間、館長が12人変わり、12人目の古川氏が12年間勤められました。どれだけ深い関わりかよく分かります。

 ダヴィンチの最後の晩餐のイエスの口元は、若い頃彼が作った彫刻「少年キリスト」の口元とそっくりであることは初耳でした。さすがに彼はクリスチャン。観察が鋭いです。その彫刻は、6年前日本でも公開されたとか・・・最後の晩餐は、ヨハネ福音書(18-32)に基づいて描かれていると聞き、もう一度聖書を読み返してみたいです。

 証拠の書類は焼却されているのですが、古田織部、蒲生氏郷、織田有楽斎(うらくさい)(信長の弟)はクリスチャンであったこと。織部が親子とも家康に切腹を命ぜられたのは、キリスト教が権力者にとり、脅威であったことも納得できます。自分の立場が脅かされるのです。高山右近はよく知られていますが・・・
 有楽町は知られているように有楽斎の屋敷があったところです。犬山にある国宝の茶室・如庵は彼が創ったもの。このジョアンが、ヨハネに通じることは意外な指摘でした。 

       



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