この日はゴッドファーザーの百箇日忌でござった。昼食をみんなで食べて,和尚様のお経を聞いたでござる。
物の本によると,故人が他界して百日目の供養で,故人を失った悲しみを卒業する日という意味で,卒哭忌(そっこくき)とも呼ぶそうでござって,和尚様もそのようにお話ししていたでござる。
故人が一番悲しむのは,残された人々が悲しみに打ちひしがれている日が続くことだそうでござるが,あちきも妻のK元帥もまだ亡くなったことが信じられないのが正直なところでござる。
その和尚様が面白いことを仰っていたでござる。曹洞宗のお寺さんでござるが,息子さんはすべてクリスチャンの幼稚園に通ったそうで,家庭訪問はシスターが来られたそうでござる。シスターも初めてお寺の門をくぐったとか・・・。和尚様も教会の餅つきに参加したとか。ほのぼのとしていい話でござる。
四十九日目で仮に故人が三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)に堕ちたとしても、百日目に再び審判があると信じられてきたところから,更なる追善供養によってこれが実現することを祈念する仏事でもあるそうで・・・ゴッドファーザーはこの心配はないひとでござったが,あちきはどうでござろうか?
聖書をよむ日が少なくなっている日々,物欲に燃える日々・・・これはもしかしたら・・・とちと心配になったあちきでござった。
物の本によると,故人が他界して百日目の供養で,故人を失った悲しみを卒業する日という意味で,卒哭忌(そっこくき)とも呼ぶそうでござって,和尚様もそのようにお話ししていたでござる。
故人が一番悲しむのは,残された人々が悲しみに打ちひしがれている日が続くことだそうでござるが,あちきも妻のK元帥もまだ亡くなったことが信じられないのが正直なところでござる。
その和尚様が面白いことを仰っていたでござる。曹洞宗のお寺さんでござるが,息子さんはすべてクリスチャンの幼稚園に通ったそうで,家庭訪問はシスターが来られたそうでござる。シスターも初めてお寺の門をくぐったとか・・・。和尚様も教会の餅つきに参加したとか。ほのぼのとしていい話でござる。
四十九日目で仮に故人が三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)に堕ちたとしても、百日目に再び審判があると信じられてきたところから,更なる追善供養によってこれが実現することを祈念する仏事でもあるそうで・・・ゴッドファーザーはこの心配はないひとでござったが,あちきはどうでござろうか?
聖書をよむ日が少なくなっている日々,物欲に燃える日々・・・これはもしかしたら・・・とちと心配になったあちきでござった。