嗣永 シュウジの小説ブログ

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『凍える愛情』 XLV

2020-03-21 19:40:13 | 凍える愛情(中編小説)
 入口に入ってすぐのエスカレーターを降りると、まずサメの水槽が目に飛び込んでくる。水槽の前にはすでに数名の客が並んでおり、最前列を独占する家族連れ客に紛れ、一組のカップルが、水槽の中を遊泳するサメの姿を目で追いながら、「ねえー、見て、大きい!!」と、大袈裟に声を上げ、暗がりでイチャついている姿があった。最早、自分たちの世界に入り込んでおり、サメの姿など目に入っていないのではないかと思えるほど、今にもおっぱじめそうな勢いで、隙間なくからだを寄せ合っており、さすがにあの中に入る勇気はなかった私たちは、どちらからともなくそのカップル客を避け、水槽の脇の空いているスペースへと移動した。

 サメの水槽の中では、カツオやマンタも一緒に飼育されているのだが、食べられてしまう心配はないのかと疑問が浮かんで来ないでもない。

「わぁ〜! 見て、サメだよ。サメ!」

 そうはしゃぎ気味で新田くんに話しかけると、彼も同じことを思っていたようで、

「わぁ〜、マジだ。つか、他の魚も一緒に泳いでるけど、食べられたりしないのかな?」

 と、私と同じテンションで相づちを打つ。

「どうかな? やっぱ、ちゃんとお腹が空かないように、皆んなにご飯をあげてるから、食べられたりしないのかな?」

 正確なことは判らなかったので、疑問を疑問で返して、適当に答えると、適当なりに自分のなかで妙に納得したらしく、「へー、そうなのかもね……」と、水槽の前で腕組みをしながら、なぜか神妙な面持ちで深く頷く。

 そのときだった。これまで水槽のなかを、ゆっくりと遊泳していた一匹のサメが、とつぜんからだを反転させ、近くを群遊していた鰯の群れのなかに、激しくからだを突っ込んだのは。不意に奇襲をかけられ、驚いた周囲の魚たちが、一斉に様々な方向に散らばり、サメの通過した通り道だけに、ぽっかりと何の魚も居ないスペースができる。そのまま何ごともなかったかのように泳ぎ去って行くサメは、とくにその後も他の魚を襲うわけでもなく、水槽の中を群遊する他の魚の群れのなかへと、さも当然のように紛れていった。悪びれること無く、素知らぬ顔で、どことなく気持ちよさそうに。襲う気があってした行動だったのか、ただ、じゃれようとしたくてした行為だったのか、それはサメのみぞ知る。

「てか、水族館なんて、何年ぶりかな?」

 隣で水槽を見つめていた新田くんが、そう独り言のように呟く。

「え? あー、そういえば私も中学生のときに、修学旅行で行ったっきりかも……」

 思い出に浸るような彼の口調に、私が同調して話を合わせる。

「俺の家って、母子家庭だったんだよね……。それもあって、ウチはそんなに裕福な家庭じゃなかったんだけど、ほら俺って友だちが居なかったからさぁ、って知らないか? まあ友達が居なかったんだよ……。でさ、土日に友だちと遊びに行ったりしてなかったからさ、そういう俺を見てて、母親が気を遣ってくれてたんだろうね……。月に一回あるかないかだったんだけどさ、小学校が休みのときに、よく近くの水族館に、母親が連れて行ってくれたんだよね……。子ども心にそれが嬉しくてさ、マジ、母親っ子だったな〜って……」

 感傷に浸る新田くんが、「あ、なんか一人で語っちゃってたね……。ごめん。忘れて……」と、ふと我に返り、強引に話を終わらせる。

「ううん。イイ話じゃん……」

 暗がりではっきりとは判らなかったが、そう声をかけた私の言葉に、一瞬だったが彼が微笑んだような気がした。

「ありがとう……」

 まるで遠くを見つめるような眼差しで、目の前の水槽を見つめたまま、呟くように彼がお礼を言う。あまりに小さく言った一言だったので、思わず、「え?」と訊き返しそうになる。

 改めて言い直させるのも野暮な気がして、

「てか、奥の水槽で、クロマグロが飼育されてるみたいだよ……」

 と、事前に入口で貰っておいたパンフレットのマグロの水槽の案内が載ったページを開いて、彼に差し出す。「どれどれ……」とでも言うように、彼が横からパンフレットを覗き込んでくる。

「へぇ〜、そうなんだ! なんか水族館でマグロなんて、意外っちゃ意外な組み合わせだよね?」

 さっきの感傷的な雰囲気とは逆に、そう明るい調子で捲し立ててくる新田くんの声には、どことなく物悲しさが隠れていた。話の流れで話し込んでしまった身の上話とはいえ、自分で作り出したおセンチな空気を誤魔化すために、無理に明るく振る舞って、その話自体をなかったことにしているようにも見えなくもなかった。

 こちらが返事をせずにいると、これまで背もたれ代わりに寄りかかっていた背後の手すりから、ヒョイっと立ち上がったかと思うと、「じゃ、行ってみようぜ! その、水槽! マグロが見られるんだろ?」と、気を取り直すように、こちらに向き直って声をかける。

「うん……。そうだね……」

 その返事を訊き終わるか訊き終わらないかのタイミングで、すでに奥の通路へと歩き出していた新田くんの足どりは、心なしか急ぎ足で、どことなくその後ろ姿が別人のように感じられた。

「新田くん……」

 ほとんど無意識に、そう呼び止めていた。なぜかと問われても判らないが、そのままどこかに行ってしまうような気がした。唐突に呼び止められ、ふり返った彼が、きょとんとしたまま、首を傾げる。

「え?」

 そうふり返られてから、やっと自分が何のために、彼を呼び止めたのか、その理由を探し始める。

「あの! どこも行かないでね……」

 前後の文脈も辻褄も整合性も、まったく無視して放った発言に、彼が困惑したような顔をする。

「は? 何言ってんの……? マグロの水槽んとこ、見に行くんじゃねーの?」

 当然の反応に、とつぜん恥ずかしさが込み上げてきて、

「ううん。なんでもない……」

 と、とっさに首をふって誤魔化した。

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