嗣永シュウジの小説ブログ

嗣永シュウジ(つぐなが しゅうじ)の小説作品を掲載します。

『凍える愛情』 XXX

2019-05-29 20:16:30 | 凍える愛情(中編小説)
 八丁堀で京葉線に乗り換え、新田くんに連れられるがまま、行き先すら告げられずに、蘇我行きの最終電車に乗り込んだ。乗った電車が終電ということもあり、車内は飲み会帰りらしき酔っ払い客で混雑しており、車内に充満している空気も、どこか酒臭さと汗臭い熱気を帯びていた。座席はチラホラ空いていたが、わざわざ酔っ払い客の隣に座りたくもなかったので(といっても私たちも同類なのだから、人のことを言える立場ではない)、私たちは、ちょうど乗客の乗り降りの際に空いた、入り口付近のスペースを陣取り、手すりの持たれかかる形で乗り込んだ。

 すぐ傍に居たカップル客も呑んだ帰りらしく、何を話しているわけではないのだが、互いに顔を赤らめながら、至近距離で見つめ合っているせいで、今にも何かおっ始めそうな、際どい雰囲気を醸し出している。あまりにも目のやり場がなく、どこか近寄りがたいオーラを放つ二人を避けるように、私と新田くんは、仕方なく彼らに背を向ける形で、窓の外に視線を向けて立っていた。

 全体的に車内はガヤガヤしており、お互いの喋る声が耳元で喋らなくては、よく聞き取れない。

「え? 何?」

 そう私が新田くんに訊き返すと、「だから!」と彼が私の耳元で面倒臭そうに言い直し、

「こうして電車に乗ってると、なんていうか、よくあのときのことを思い出すんだよな……」

 と、意味深なことを言う。

「あのとき?」

 それとなく私が尋ねると、「いや、だから……」と、前置きした上で、ポツリポツリと彼が、その意味を話しはじめる。

「ほら、前にフットサルに行ったときに、人身事故で電車が止まったことあるだろう?」

「あ、うん……、あの、電車が動かなくて、仕方なく二人で、家まで歩いて帰ったときのこと?」

「そう、そのときのこと……。電車で帰るの諦めて上に上がったらさ〜、タクシー乗り場もタクシー待ちの乗客で、長蛇の列が出来ちゃってさ〜、それ並んでるあいだに歩いて帰ったほうが早いんじゃね? ってなってさ、それだったら『二人で歩いて帰ろうか?』って、二人で強風に晒されながら、荒川渡って帰っただろ?」

 無言で頷き、彼の次の言葉を待った。

「あのときのこと、なんていうか、一人で電車に乗ってるときなんかに、ふと思い出しちゃうんだよね。自分でもなんでそのことを思い出すのか、上手く説明できないんだけどさ〜。べつに未練があるとか、そういうんじゃないんだけど、千重子さんと過ごしてた日々なかで、一番、印象に残ってたていうのもあるのかもしれないけど、なぜか、ふとしたときに、いつも決まって、あのときのことを思い出しちゃうんだよな〜……」

 そう一頻り、話し終えた彼の独り言のような呟きに、私がどう答えていいのか判らず、敢えて返事をせずにいると、その沈黙に耐えきれなくなった彼が、続きのない話に、無理やり続きをつけ足そうとでもするように、おもむろに咳払いをしたかと思うと、バツが悪そうに喋りはじめる。

「あ〜、いや、だからって、寄りを戻してくれとか、そういうことを言ってるんじゃなくて、ただ、〝思い出すんだよね〜〟ってだけ……」

 そう言葉を切り、彼が一方的に話を終わらせる。

 少し考えてから、彼の顔をといより、瞳を睨むように見つめた。悪いことをしているわけでもあるまいが、そのあまりに真剣な眼差しに、彼が動揺するように、咄嗟に視線を反らし、居心地悪そうに、「な、何だよ……」と、ほぼほぼ満員状態の狭い空間を、気持ち逃げ腰になり、半歩だけ後ずさりする。

「じゃあ、もし、私が〝寄りを戻したい!〟って言ったら……?」

 思いがけない私からの質問に、上手く状況が呑み込めず、彼が顔を顰めて考え込む。

 そして、漸く、その〝状況を〟というより、その〝意味〟を理解したらしい彼で、今度は目の前の泉から、金と銀の斧を持って現れた、女神にでも問うような面持ちで、大袈裟に目をパチクリさせながら、訊き返してくる。

「え、何? ……、も、もっかい、言って……」
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『凍える愛情』 XXIX

2019-05-19 20:40:34 | 凍える愛情(中編小説)
 二人で呑んだ夜、日比谷線の終電に乗り、茅場町駅で東西線に乗り換えて、帰るつもりだったのだが、何を思ったのか、東銀座を過ぎた辺りで新田くんが、「ちょっと、今から時間ある?」と、唐突に切り出してきた。

「い、今から?」

 意表を突かれ、思わず、声が裏返りそうになる。

 最初は冗談で言っているのかと思ったが、無言で頷く彼の表情を見る限り、どうやら冗談で言っているわけではなさそうだ。

「い、今からって、え? ど、どっか行くわけ……?」

「んー……」

 しばらく宙を見上げた彼が、少し考え込んでから、「ま、いいから……」と、こちらの質問には答えず、話をはぐらかそうとする。

「で、時間はあるわけ?」

 もう一度、そう問われ、「いや、あるにはあるけど……」と渋々答えると、

「じゃあ、決まりだ!」

 と、こちらの意思を無視して、身勝手に新田くんが何かを決めようとする。

「いや、ちょっと! 勝手に決めないでよ!」

 あまりに横暴な彼の決断に、慌てて苦言を呈すと、「え? ダメ?」と悪びれる様子もなく尋ねてくる。

「いや、ダメではないけど……」

 言葉を濁しながら、そう私が曖昧な回答をすると、「じゃあ、いいじゃん……」と、新手のナンパ師のように、今思いついたばかりの無茶振りを押しつけようとしてくる。

 あまりの彼の押しの強さに、こちらがぐうの音も出ず口籠っているせいで、見兼ねた新田くんが、「え?明日、なんか予定でもあるわけ?」と、追い討ちをかけてくる。

「いや、な、ないけどさぁ……」

「……さぁ。……、なに?」

「いや、ほら? だ、だとしても、心の準備とか、色々……」

 とくに断る理由が浮かばず、そう適当に言い訳をする。

「いろいろ?色々って、いったい何されると思ってるわけ?」

 揚げ足をとるように、新田くんが私の言葉尻を捉えて、そう指摘する。

「いや、何ってことはないけどさぁ……」

「なら、いいじゃん!」

 何とか日比谷線の終電に滑り込み、すでにこのあとの電車が一本もないのだから、新田くんの言う提案とやらに乗るのであれば、朝まで始発が動き出すのを待つか、どこかでタクる以外に帰る術を失うことになる。

 本音を言えば断りたい気持ちは、もちろんあった。ただ、と同時に、どうしても断る理由が見つからなかった。仮に翌日が仕事なのであれば、きっぱり、「明日は仕事で早いから、今日はごめんね!」と、断ってやるところなのだが、本来の推しに弱さと、嘘をつけない性分が邪魔して、今回ばかりは、完全に相手の口車に乗せられてしまっている。

「べつに、取って食おうってわけじゃないんだからさぁ〜!」

 そう半ば強引に、ゴリ押ししてくる新田くんが、「ほら、着いたよ!」と、私の手を無理矢理引いて立ち上がろうとする。

「いや、着いたって、どこ連れてく気よ! ……」

 反論しつつ、説明を求めるが、「いいから、いいから!」と、新田くんはまったく聞く耳を持とうとしない。

「ほら、早く、行くよ!」

 なし崩し的に彼に腕を引かれ、半強制的に立ち上がると、閉まりかけたドアに新田くんが先に滑り込む。そのすぐ後ろを、私が同じように、ドアに挟まれかけながら、ギリギリのところを滑り込む。勢い余ってホームの中央まで走り抜けると、不意に立ち止まった新田くんの背中がそこにあった。

「ちょっと! 降りるなら、先に言ってよ! ……」

 彼の気まぐれに巻き込まれた腫らし背に、そう顔を見上げながらクレームをつけた。ところが彼自身は、その自覚がないらしく、穏やかでない私の内心とは対照的に、「何が?」とでも言うように、トボけた顔をこちらに向けていた。

 怒る気も失せ、「もう、いいよ……」と、呆れ半分に肩を落として顔を上げると、漸く何かを察したらしい彼が、

「なに? なんか怒ってんの?」と、彼が焦ったように、こちらの顔色を窺ってくる。

 最早、相手にするのさえ面倒になり、「あー、もういいって!」と、こちらから一方的に話を終わらせ、

「……。で、次は、どこに行けばいいわけ? 私は?」

 と気を取り直して新田くんに訊いた。

 その瞬間、行き先を告げる地下鉄の騒がしいアナウンスが流れ、もったりとした地下の生暖かい空気を攫って、日比谷線のホームから最終電車が滑り出していく。
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『凍える愛情』 XXVIII

2019-05-02 21:18:34 | 凍える愛情(中編小説)
 連日の事件の報道もあり、まさかとは思いながらも、いつもヨーゼフ似の大型犬を散歩させているおじさんのことが、ここ数日、気になって仕方がなかった。犬を散歩させている七〇代の男性など、この新宿区だけでも相当数居るだろうが、ニュース番組の要点だけを略筆された情報だけを目にしていると、その無事を自分の目で、確かめずにはいられなかった。事件後、散歩の際は、周辺を気にしながら歩くようにしていたのだが、単にタイミングが合わなかっただけなのか、それとも、散歩自体を自粛していただけなのか、大抵はいつも同じ時間に散歩をしているはずなのだが、ここ最近は、その姿をまだ目にしていない。最後に会えたのが、先々週の火曜日だったとすると、もう二週間近く会っていないことになる。正直、散歩の理由など何でもよかったんだと思う。

 日課だから……。

 外の空気が吸いたくなった……。

 気分を変えたかった……。

 なんとかくムシャクシャしていたから……。

 散歩に行く理由などいくつだって浮かぶ。

 ただ、今回はその理由が〝食後の眠気を覚ましたかった〟というだけだ。




 何の根拠もなかったが〝今日は会えるのではないか〟という、変な期待がどこかにあり、食後の眠気を覚ますついでに、休憩時間の残り時間を使って、近くの神田川沿いの遊歩道を、軽く散歩することにした。どうせ貴和子さんを誘っても、「私が行くわけないじゃない!」と断られるのは判りきっていたので、敢えて先輩は誘わずに、「ちょっと出てきます」とだけ告げて、会社を出ることにした。閉め切ったまま換気もされてない、会社のなかの淀んだ空気とは違い、たとえ新宿にほど近い都会であっても、周りの環境が比較的緑の多いということもあり、まだ外の空気のほうが、美味しく感じられる気がする。

 誰かが定期的に掃除してくれているのか、不思議と遊歩道の地面には、ゴミ一つ落ちてない。途中、小休憩がとるのにちょうど良さそうな、二人がけくらいの木製のベンチが置いてある、公園とも呼べない休憩所があるのだが、その公園の地面でも、タバコの吸殻一つ落ちているのを見たことがない。新宿の都庁前の公園であれば、必ずと言っていいほど、タバコの吸殻が至る所に散乱しているのだが、近隣の住人のマナーが良いのか、それとも自治体の管理力のなせる技なのか、新宿の中心部にほど近い場所にも関わらず、どこか成城の住宅街ような治安の良さがある。

 もしすると、多少の不満はありながらも、私が今の会社を辞めずに続けている理由も、そういうところにもあるのかもしれない。

 前方から走ってくるジョギング中の男性を避けるように、遊歩道の隅でとまって道を譲ると、その男性がすれ違いざまに会釈をしてくる。

 つられてこちらが会釈をすると、その男性も、まるで「ありがとう!」とでも言うように、去り際に爽やかな笑顔を向けてくる。さすがに根が人見知りなだけに、知らない男性に笑顔も向けられるほど社交的ではないので、素っ気なく無表情のまま、もう一度会釈だけ返しておいた。

 そのまましばらく歩いていると、いつもお昼休み中の散歩の休憩地点にしている、例のベンチだけが置いてある、小さな公園があり、そこのベンチに腰をかけた。

 地面に視線を落としてみるが、やはりタバコの吸殻などは落ちておらず、ゴミらしいゴミも落ちてはいなかった。キレイに清掃された、地面を見下ろしながら、「一体、誰が掃除をしているのだろうか?」と、素朴な疑問が湧いてこないでもない。

 もしその清掃員に遭遇できたら、労いの言葉の一つでもかけてみたいものだが、そもそも根っからの人見知りに、そんな芸当ができるはずもなく、そのせっかく湧いた公徳心を、「まあ、どうでもいいか……」と、湧いた傍から反故にした。

 携帯で時間を確認しようと、コートのポケットに手をやると、手に当たったのは携帯ではなく、会社を出る前に持ち出していた缶コーヒーで、そのとき会社に携帯を置き忘れてきたことに、初めて気がついた。大した用事があったわけでもなかったので、「まあいっか」と思い直し、その缶コーヒーに手にとり、プルタブを捻った。

 カチャという音とともに、苦味のある香りが、飲み口から漂ってくる。

 いつもは飲まないのだが、たまたま先日、会社近くのコンビニで買い物をしたときに、七〇〇円クジで当たったもので、ふだん甘いモノしか口にしないこともあり、飲まずに置きっぱなしにしておいたのだが、飲まずにそのままにしておくのも勿体ない気がして、これを機にいっそ始末してしまおうと、眠気覚ましのつもりで持ち出したは良いのだが、いざ口にしてみると、その味にあまり免疫がないせいで、最初の一口目で、思わず、「不味っ!」と、口からコーヒーを吐き出しそうになる。

 辛うじて吐き出さずに済んだが、軽くむせ込みながら、ちょっとだけ顎に滴ってきたコーヒーを、ひとまず手で拭った。誰にも見られていなかったか、周囲を確認してみたが、野良猫は愚か、人っ子ひとり通ってはいなかった。

 一気に飲む気が失せ、誰も汚していない公園を、自分の手で汚すわけにもいかず、どこか捨てるところはないかと、辺りを見渡してみたが、ゴミ箱のような気の利いたモノはなく、その行き場を失った缶コーヒーを片手に、不審者のように彷徨っていると、とつぜん背後から声をかけられた。

「どうかしたんですか?」

「ヒッ!」

 不意に、背後から現れた見知らぬ女性に話しかけられ、思わず、そう悲鳴を上げると、反射的にのけぞってしまった。

 こちらがあまりに驚くもので、相手の女性もそれに驚いて、同じようにのけぞる。

「な、何してるんですか? そんなところで……」

 逆にこちらが聞き返すと、「え? あー、これ?」と手にぶら下げたビニール袋と、火挟を持ち上げて見せる。

「ゴミ拾いです。散歩してるときに、ゴミが落ちてると、あまり気持ちのいいものではないでしょ? 家に居てもやることないし、暇つぶしにはじめたら、逆に辞められなくなっちゃって……」

 本気で言っているのか、それもと冗談のつもりなのか、そう啓蒙的な説明をしながら、彼女が屈託のない笑顔を向けてくる。

 どうやらベンチ裏の茂みに落ちていたゴミを拾っていたようで、肩や頭の上に枯葉や蜘蛛の巣などが絡みついていた。あまりに私が怪しかったのか、

「それより、あなたは? なんか探し物でもしてたんですか?」と、肩についた蜘蛛の巣を払いながら、もう一度、女性が尋ねる。

 言うほどのことでもなかったので、なんと答えていいのか判らず、「いや〜……」と、こちらが返答に困っていると、女性も何かを察したようで、「あ〜、ゴミ?」と、私の持っている飲みかけの缶コーヒーを指して訊いてくる。

「あ、いえ……、だ、大丈夫ですから……」

 遠慮がちに私が立ち去ろうとすると、「いや、いいのよ。遠慮しなくて。私は好きでゴミ拾ってるんだから……」と、彼女が押しつけがましく、手に持った袋を差し出してくる。
 パッと見、六〇代くらいの見た目には見えるが、その落ち着いた立ち振る舞いや、和服姿の着こなしぶりから、もう少し上に見えなくもない。

 わざわざ袋を差し出してもらっておきながら、まだ中身が入っていたこともあり、「いや、まだ入ってるので……」と、せっかくの女性からの申し出を断り、

「いや、ほんとに大丈夫ですから……」と、もう一度、念を押した。

 気を悪くしたのではないかと、一瞬、心配したが、女性もさほど、そのことは気にしていなかったようで、「あら、そうですか? なんか、ごめんなさいね。ヘンな気を遣っちゃったみたいで……」と、落ち度もないのに、一度出した袋を引っ込め謝ってくる。

 逆に気を遣わせてしまったことが申し訳なくて、

「じゃあ、私はこれで……」と、急に居たたまれなくなり、散歩を早い目に切り上げ、逃げるように、その場をあとにした。

 単なる思いつきとはいえ、せっかく地域の掃除をしてくれている女性と巡り会えたというのに、いざその女性を目の前にしてみると、そのあまりの女性の人柄の良さに、逆に怖気づいてしまい、労いの言葉の一つでもかけるどころか、気がつくと、何も言えずに逃げ出してしまっていた。競歩で逃げながら、ふと気になってふり返ると、彼女が寂しそうに肩を落として、足下のゴミを拾っていた。

 思い止まって、「あの!」と、今度はこちらから女性を呼び止めた。

 その叫んだ私の声に女性が遠くで、すっと顔を上げ、「え?」と嬉しそうに耳に手を当て聞き返す。

「あの! ありがとうございます! ……」

 もう一度そう叫び、彼女に気持ちを伝えようとした。

 しかし、相手にこちらの気持ちは伝わらなかったようで、「え? 何? ……」と、更に大きな声を張り上げる。

 もう一度、言うには、かなり気恥ずかしくて、

「いえ! 何でもないです!」と、今度は大きく首をふって、誤魔化した。

「ねえ! また、会いましょう!」

 そう唐突に、向こうに提案され、少し返事に迷ってから、

「……。あ、はい。そうですね! また会いましょう!」

 と、まるでふだんの人見知りが嘘のように、そのいつ決行されるか判らない提案を、二つ返事で快諾した。
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『凍える愛情』 XXVII

2019-04-15 17:55:58 | 凍える愛情(中編小説)
「お弁当忘れた……」

 という貴和子さんに付き合い、久々に会社の社食で、ランチをとることにした。「今日はガッツリ行きたいのよ!」と、食べる前から食う気満々の貴和子さんは〝大盛りトンカツ定食〟を頼み、ここ最近、若干体型が気になりはじめた私は、日替わりヘルシー定食なるものを頼んだ。

「千重ちゃんって、お弁当とか作って来ないの?」

 唐突に質問され、「お弁当?」と逆に聞き返してしまった。

 龍之介くんと旦那さんの居る貴和子さんにとって、二人のお弁当を作るついでに作っているのだから、その流れで自分の分まで作るのは、ごく自然な流れなのかもしれないが、そもそも、お弁当を作る相手の居ない私にとって、わざわざ自分のために、自分の分のお弁当を作ろうという気にはならない。

 少し考え込んでから、

「えー、考えたこともなかったです……」と、正直に答えた。

「え? 何でですか?」

 ふと疑問に思い、組んだまま窓側に放り出していた脚をテーブルの下で解いて、改めて、座り直すと、まさかそう来るとは思っていなかったようで、貴和子さんが、「え?」と、携帯の画面に落としていた視線を上げてから、

「いや、なんでってことはないけど……、なんとなく千重ちゃんが、お弁当を作ってきたことないなぁ〜って思って……」

 と、戸惑うように、質問に答える。

 答えになってない答えに、こちらもどう答えていいのか判らず、「そ、そうですね〜……」と、もう一度、少し考えてから、「あ、でも! このあいだ!」と、理由のないことに、無理矢理、理由をつけようとでもするように、話しはじめた。

「コンビニで雑誌を立ち読みしてたときに、『an・an』の〝手作り弁当の特集〟見てたんですけど、そのときに、『私も、こういうの作ってみようかなぁ〜?」って考えたのは考えましたけどね。実際に行動には、まだ移してませんwww」

 照れ笑いで誤魔化しながら、「もしかすると貴和子さんみたいに、私にも旦那や子どもが居たら、そういう気持ちになるのかもしれないですねぇ〜」と、有りもしない想像を膨らまし、たられば話としてつけ足した。

「その前に彼氏を作らないとですけどね……」と、自虐を交えて話そうとしたそのとき、すでに貴和子さんのなかでは、その話題は終わっていたようで、彼女の視線は食堂に備えつけられた、テレビ画面に注がれていた。

「ねぇ〜、千重ちゃん。あの犯人って、まだ捕まってないらしいよ……」

「え?」

 背後の画面に視線を移すと、お昼の情報番組がやっており、あの新宿の事件のことを取り扱っていた。事件の内容としては、警察が捜査員を総動員して事件を捜査しているにも関わらず、まだ犯人は捕まっていないらしく、出演しているゲストのコメンテーターが、「犯人グループは、すでに海外に高飛びしていると可能性があるんじゃないか」とか、「逆に近くに潜伏しているかもしれないかい……」などと好き勝手なことを言っていた。

「あ〜、あの事件ですね? なんか、まだ近くに犯人が居ると思うと、怖いですよね〜……」

 貴和子さんの発言に調子を合わせ、そうコメントすると、「ほんとよね〜……」と、彼女も神妙な面持ちで返事をする。

 ただ、その意識はすでに食堂のカウンターに向けられていたようで、貴和子さんの番号が呼ばれるやいなや、「あ、は〜い! こっちで〜す!」と、さっきの神妙な面持ちはどこに行ったのか、あっけらかんと手を上げる。

 その変わり身の早さに、巻き込まれた私のほうが翻弄される。

 喜和子さんにとっては、近所の陰惨な事件より、目の前の食い気が勝るらしい。
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『凍える愛情』 XXVI

2019-03-25 21:55:22 | 凍える愛情(中編小説)
 翌日会社に行くと、貴和子さんの旦那さんが、出張先の京都で買ってきたというお土産を渡された。

「はい。これ、千重ちゃんの分……」

「え? 先輩、どこかに行かれたんですか?」

 出社早々、お土産の入った紙袋と手渡され、反射的にこちらが聞き返すと、貴和子さんも理解するのに少し時間がかかったようで、少し間を置いてから、「あ〜!」と、手を打って納得する。

「何言ってんの、私じゃないわよ! うちの旦那! しばらく京都に出張で行ってたから、そのお土産……」

「あ〜、そういうことですか! え? でも、いいんですか?」

「え? いいもなにも、うちの旦那が、あなたのために買ってきたもんだからね〜」

「あ、なんか、わざわざ、すみません……」

 ひとまず、そう謝罪のようなお礼をし、素直に手渡されて紙袋を受け取った。

 用が済んだらしく、一度は自分のデスクに戻ろうとしていた貴和子さんが、不意に立ち止まり、「あ、そういえば!」と、思い出したようにふり返る。

 そして、「うちの旦那が〝千重ちゃんによろしく伝えといてくれ〟って言ってたわよ……」と、ふり向きざまにつけ足してくる。

 何をよろしくなのか分からなかったが、とりあえず、「あ、はい。ありがとうございます……。こちらこそよろしくお伝えください!」と、今度は〝貴和子さんに〟ではなく、そこに居ない旦那さんに対して、間接的に、ちゃんとしたお礼の言葉を伝えた。

「あ〜、はいはい。伝えとく〜」

 伝言を頼まれた貴和子さんが、そう適当な返事をする。

 渡された袋を覗き込むと、小ぶりな長方形の箱に〝八坂の塔〟があしらわれたパッケージが包装されており、赤文字で『おたべ』と書かれてある。

「わぁ! 生八つ橋じゃないですか!」

 嬉しさのあまり、席に座ろうとする貴和子さんにそう伝えると、すでに先輩は半分ほど椅子に腰掛けており、座るか座らないかの微妙な中腰の体勢で、「え? 何? 嫌いだった?」と、意地悪な言い方で聞き返してくる。

「いやいや、大好物ですから!」

「ハハハ!」

 豪快に笑い声を上げた先輩が、「ちょっと本気にしないでよ! 冗談よ、冗談!」と、まるで悪戯を楽しむ子どものような、無邪気な笑顔も向けてくる。

「いえ、でも、ほんとに嬉しいです!」

 素直にそう言い、

「旦那さんに、本当に、よろしくお伝えください!」

 もう一度、今度は社交辞令ではなく、本心から伝えた。それを聞いた貴和子さんが、

「そんなこと言ったら、あの人調子に乗って、京都に行くたびに、千重ちゃんに〝生八つ橋〟買ってくるようになるわよ……」

 と、面白がって必要に脅してくる。

 貴和子さん曰く、旦那さんは基本的に、人に奉仕をするのが好きな、所謂〝尽くすタイプ〟らしく、旅行や出張に出かける度に、やれ「誰々にもお土産を買っておかないと……」やれ、「これあげたら、あの人喜ぶかな?」と、断るごとにお土産を買おうとするらしい。

 貴和子さんはそれを、「あの人と旅行に行くと、自分たちが愉しむために、旅行をしているのか、他人にお土産を買うために、旅行に行ってるのか、たまに、よくわかんなくなるのよねぇ〜」と、愚痴ってくることがよくあるが〝そういう他人のことを自然と思いやれる人〟と巡り会えた時点で、十分幸せな気がしないでもないのだが。

「てか、千重ちゃん。目、腫れてない?」

 貴和子さんから、そう唐突に指摘され、「え? あ〜、ちょっと目が痒くて……、花粉症かな〜?」と、とっさにそう誤魔化した。

「なんか赤いよ……、大丈夫?」

「あ〜、こういうのって、急になるっていいますもんね〜……」

「あんまりひどくなるなら、早めに眼科行ったほうがいいよ」

 気づいているのかいないのか、貴和子さんが無神経に助言してくる。

「あ、ご心配ありがとうございますwww 是非、そうさせて頂きます……」

 まさか、「昨日、泣いたんですよ……」とは言うわけにもいかず、「そういえば、タイムカード押してなかったです! ちょっと押してきます!」と告げ、一度押したタイムカードを、もう一度押しに行くフリをして、今来たばかりの廊下をロッカールームのほうへと、逃げるように踵を返した。

「急いで! あと一分で、遅刻扱いにされちゃうわよ!」

 そう叫ぶ貴和子さんの声を背中で受けながら、「え? ホントですか?」と、慌てる必要もないのに、小走りで引き返した。

 旦那さんの買ってくれたお土産が、手のなかで激しく揺さぶられ、紙袋のなかの小箱が、カタカタと音を立てていた。
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