今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「ビデ(bidet)というものがパリにあることは少年のころから知っていた。うそかまことかヨーロッパ人はめったに風呂にははいらないという。はなはだしきは生涯に二度しかはいらないとも聞いた。まさかと思ったが本当らしい。
昭和五年ルネ・クレールは『パリの屋根の下』で庶民のアパートの室内に水道がないことを教えてくれた。洗面はどうするか、入浴のかわりはどうするか。陶器の大きな洗面器に汲みおきの水を注ぐことを繰返していた。水道は各階に一つずつあるらしかった。裸の男がタオルで体をふいている場面を見せてくれた。ビデはこんな所にはない。中流以上にあるのだろう。」
「戦前の東洋陶器(戦後TOTO)は便所の陶器屋にすぎなかったが、次第に水回りの一流会社にになったのは進駐軍の『特需』で、急に需要がふえたからである。水洗便所の普及はこの特需から始まった。水洗の小便器は和風の『朝顔』を駆逐した。水洗は戦前はデパートとビルどまりだったが、戦後は団地マンションに及んで、今では大都会で汲取式は見なくなった。
私は『室内』の発行人だから、用を足すとき必ず目の前のTOTOの四字に注目した。それをINAXが追うようになった。追うものと追われるものは、追うものの方が強い。何ごとによらず独占はよくないと見ていたら突然『朝シャン』があらわれた。
ヴァンス・パッカードの『浪費をつくり出す人々』のなかに、流行をつくり出せ、そしてそれを流行遅れにさせろという条(くだり)がある。朝シャンは忽ち大流行して忽ち流行遅れになった。
私は知らなかったがTOTOとINAXはかたき同士ではなくて共に森村財閥の一員だという。いわば親類みたいな仲で、戦前の伊奈製陶はタイル専門だったから仲好だった。今も仲好だが、末端の外交はどうだか分らない。『朝シャン』もほぼ同時に発売してほぼ同時に終っている。パッカードの言う通りである。
今度は何を売出すか、何の商売も流行をつくりださなければならない。たぶんビデを売りだすだろうと傍観していたら売出さない。ビデに大和撫子がまたがる図を日本男児は見ることを好まない、イヤ好まないどころか女性週刊誌を見よと甲が論じて乙が駁したあげく、ビデという語を避けウォシュレットと命名して、お尻ふき、ビデ、乾かす、マッサージ洗浄とボタンに小さく書いて『お尻だって洗ってほしい』とテレビで広告して大成功した。近く日本中ウォシュレットだらけになったらどうする。アメリカに売りたかろうが、アメリカ人に『お尻』は禁句だそうで、CMに使えない。近く知恵者がネーミングを考えだすだろう。そのあとどうする。両社の知恵ははてしない競争をすることどの商売も同じだろう。生き残るために忙しくなるばかりであることも同じであろう。
(平成十四年七月十一日号)」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
「ビデ(bidet)というものがパリにあることは少年のころから知っていた。うそかまことかヨーロッパ人はめったに風呂にははいらないという。はなはだしきは生涯に二度しかはいらないとも聞いた。まさかと思ったが本当らしい。
昭和五年ルネ・クレールは『パリの屋根の下』で庶民のアパートの室内に水道がないことを教えてくれた。洗面はどうするか、入浴のかわりはどうするか。陶器の大きな洗面器に汲みおきの水を注ぐことを繰返していた。水道は各階に一つずつあるらしかった。裸の男がタオルで体をふいている場面を見せてくれた。ビデはこんな所にはない。中流以上にあるのだろう。」
「戦前の東洋陶器(戦後TOTO)は便所の陶器屋にすぎなかったが、次第に水回りの一流会社にになったのは進駐軍の『特需』で、急に需要がふえたからである。水洗便所の普及はこの特需から始まった。水洗の小便器は和風の『朝顔』を駆逐した。水洗は戦前はデパートとビルどまりだったが、戦後は団地マンションに及んで、今では大都会で汲取式は見なくなった。
私は『室内』の発行人だから、用を足すとき必ず目の前のTOTOの四字に注目した。それをINAXが追うようになった。追うものと追われるものは、追うものの方が強い。何ごとによらず独占はよくないと見ていたら突然『朝シャン』があらわれた。
ヴァンス・パッカードの『浪費をつくり出す人々』のなかに、流行をつくり出せ、そしてそれを流行遅れにさせろという条(くだり)がある。朝シャンは忽ち大流行して忽ち流行遅れになった。
私は知らなかったがTOTOとINAXはかたき同士ではなくて共に森村財閥の一員だという。いわば親類みたいな仲で、戦前の伊奈製陶はタイル専門だったから仲好だった。今も仲好だが、末端の外交はどうだか分らない。『朝シャン』もほぼ同時に発売してほぼ同時に終っている。パッカードの言う通りである。
今度は何を売出すか、何の商売も流行をつくりださなければならない。たぶんビデを売りだすだろうと傍観していたら売出さない。ビデに大和撫子がまたがる図を日本男児は見ることを好まない、イヤ好まないどころか女性週刊誌を見よと甲が論じて乙が駁したあげく、ビデという語を避けウォシュレットと命名して、お尻ふき、ビデ、乾かす、マッサージ洗浄とボタンに小さく書いて『お尻だって洗ってほしい』とテレビで広告して大成功した。近く日本中ウォシュレットだらけになったらどうする。アメリカに売りたかろうが、アメリカ人に『お尻』は禁句だそうで、CMに使えない。近く知恵者がネーミングを考えだすだろう。そのあとどうする。両社の知恵ははてしない競争をすることどの商売も同じだろう。生き残るために忙しくなるばかりであることも同じであろう。
(平成十四年七月十一日号)」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)