今日の「お気に入り」は、数年前に購読をやめた某朝日新聞の看板コラムから。
「 ここはどこだろう。
まっくらだ。
ワタシがだれなのかもわからない。
まわりには、ワタシのようなものはいないようだ。
これから、どうなるのだろうか。
てがかりは、とおいかすかなきおくにしかない。
いつかどこかで、ふたつのものがあわさってワタシというものがはじまったようなのだ。
まだみてはいないが、このそとには、せかいというひろいところがあるらしい。
そこには、オトコといういきものとオンナといういきものがいて、
それがであってあたらしいいのちができる、ときいたきおくがある。
ワタシは、ひにひにおおきくなってきた。
せまいこのばしょではきゅうくつだ。
そろそろ、せかいのほうにうつるころなのだろうか。
『カッパ』といういきもののせかいでは、
そとへのでぐちで、きかれるそうだ。
アクタガワリュウノスケさんによると、チチオヤが、ハハオヤのおなかにむかっていう。
『おまえは、このせかいへうまれてくるかどうか、よくかんがえたうえでへんじをしろ』。
『いやだ』といえば、でなくてもいいらしい。
あれあれっ、そとへおしだされそうだ。
すごいあつりょくだ。
だれも、でたいかどうかきいてくれない。
きかれても、なんといえばいいのかわからないが、きかれないのもちょっとさびしい。
ついに、そとへでた。
ひかりがまぶしい。
あたらしいせかいのはじまりだ。
からだに、ちからがわいてくるようなきがした。
ワタシをあのくらいところではぐくんでくれたオンナのひとが、
ワタシのハハオヤのハハオヤだとは、まだしらなかった。」
平成18年10月18日付けの紙面にこの文章が掲載されたのは、「代理出産」が巷の話題になったころ?